白鳥 義彦

(Yoshihiko SHIRATORI)

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■略歴

1989年3月 京都大学文学部卒業(専攻 社会学)
1991年3月 東京大学大学院総合文化研究科相関社会科学専攻修士課程修了
1993年10月 パリ第一大学政治学部政治社会学専攻DEA課程入学
1994年9月 東京大学大学院総合文化研究科相関社会科学専攻博士課程単位取得満期退学

1994年12月 パリ第一大学政治学部政治社会学専攻DEA課程修了
1994年10月 日本学術振興会特別研究員
1999年4月 椙山女学園大学文学部専任講師

2001年4月  神戸大学文学部助教授、同大学院文学研究科(修士課程)、文化学研究科(博士課程)担当(現在に至る)

■著書・論文・翻訳等

●2006年6月  クリストフ・シャルル著、『「知識人」の誕生 1880−1900』、藤原書店、354頁(Christophe Charle, Naissance des《Intellectuels》, 1880-1900, Paris, Les Editions de Minuit, 1990)

●2005年11月 「フランスにおける中国系移民」『アジア遊学』No.81、「特集 東アジアのグローバル化」、勉誠出版、162-179頁

●2004年11月 「フランスの教育」、関谷一彦、細見和志、山上浩嗣編著『はじめて学ぶフランス』、関西学院大学出版会、31-48頁

●2004年4月 ピエール・アンサール著、山下雅之監訳、『社会学の新生』、藤原書店、第三部、163-225頁(Pierre Ansart, Les sociologies contemporaines, ?ditions du Seuil, 1990)

●2004年3月 「エスピナスの教育論―デュルケーム教育論との関係を中心として―」『日仏教育学会年報』第10号(通巻番号No.32)、111-121頁

●2003年4月 「日本の高等教育における留学生」アレゼール日本(高等教育と研究の現在を考える会)編『大学界改造要綱』、藤原書店、130-144頁

●2001年12月 ウィリアム・W・ケリー著、「都会における場の発見―イデオロギー、制度、日常生活―」アンドルー・ゴードン編、中村政則監訳、『歴史としての戦後日本』(下)、みすず書房、267-305頁(ウィリアム・W・ケリー氏と共訳)

(William W. Kelly, "Finding a Place in Metropolitan Japan: Ideologies, Institutions, and Everyday Life," Andrew Gordon (ed.), Postwar Japan as History, Berkeley, Los Angeles, Oxford, University of California Press, 1993)

●1995年6月 「デュルケームの大学論―第三共和政の高等教育改革との関連で―」『社会学評論』181 第46巻第1号、46-61頁

●1993年3月「第一次世界大戦におけるトライチュケ批判とデュルケームの国家論」『社会学評論』172 第43巻第4号、436-450頁

●1992年10月 「フランス第三共和政下の教育改革とデュルケームの教育論」『ソシオロジ』115 第37巻第2号、21-39頁

 

メッセージ

 皆さんは、自分のアイデンティティの拠りどころがどのようなところにあると感じますか。その拠りどころの一つとして「日本人」ということがあるかもしれません。しかしそれはあらためて考えてみるならば何か少し不思議なことだと思いませんか。例えば江戸時代には、「藩」が拠りどころとなることはあったとしても、「日本人」という意識はそれほど強くなかったはずです。一方、世界の状況を見回してみると、国家、民族、宗教などの「集団」を掲げての紛争が絶えません。社会学的な視点からこうした諸状況を根源的なレベルで理解しようとするならば、人はなぜ何らかの集団に帰属しようとするのかという問題に行き当たります。

 社会学が対象とするのは近代以降の社会ですが、そこでは「個人」というものが重要な存在になるとともに、国家もまた重要な存在になってきたと言われます。社会学の古典的な理論の中でも、マルクスやヴェーバーに見られるように国家に関する考察は重要な位置を占めてきました。しかしこれらの諸理論が国家を否定的に、あるいは必要悪といった観点からとらえるとするならば、それだけでは「人はなぜ国家という集団に帰属しようとするのか」という疑問に十分に応えることは難しいことになります。フランスの社会学者デュルケームは、階級論や権力論などとは異なる観点から国家について考察し、個人と社会とをつなぐ存在として国家を位置づけ、しかもその国家が個人や国家のあるべき姿を提示すべきだと考えています。こうした考え方には、デュルケームの生きた一九世紀末から二〇世紀はじめにかけての第三共和政期のフランス社会が大きな影響を与えています。これは日本の明治期と同時代に当たるわけですが、この時期、日本と同様にフランスにおいても、近代的な国家形成が進められていました。社会学という学問の成立それ自体がこのようなフランス社会の背景の中で進められ、デュルケーム自身、新たな学問としての社会学の成立を目指して教育や研究につとめるとともに、より実践的な課題としては教育の問題に取り組んでいきました。社会学の成立の制度的な背景には、当時の高等教育改革がありますが、私自身この高等教育改革の問題についても研究を進めてきています。

 さらに、新たな世紀転換期を迎えて、今日の社会は大きな変化の局面にあります。高等教育をめぐっても、その例外ではありません。そこで、一世紀前の第三共和政期の改革とともに、現今の高等教育改革についても日仏比較という観点を中心にしながら考察を進めています。日本ではともすれば、関心が向けられるのは英米が中心ということになりかねませんが、現在においてもフランスは、これらの国とは異なる興味深いモデルを提示しており、興味は尽きません。これは、より広い文脈では、社会における知識のあり方という普遍的な観点にも結びつく研究課題です。

 また、国家をアイデンティティの拠りどころとするのが近代に典型的なものであったとするならば、今日ではそうした前提自体が相対化されるべき諸様相を示しているかもしれません。移民をめぐる問題は、この視点の相対化にも資するところが大いにあります。もともとフランス社会は移民を多く受入れてきた歴史を有しており、移民をめぐる関係やそれに関する研究には多くの蓄積があります。近代国家をめぐる問題をもとに、その枠組を問い直す様々な問題を提起するものとして、ここにも大きな関心を寄せています。