■本研究について
戦後の日本は「家」からの解放を旗印に新しい家族をめざした。封建遺制としての「家」、イデオロギーとしての「家」、個人を抑圧する存在としての「家」を否定し、友愛家族や夫婦家族を理想としてきた。そして1970年代、「家」から核家族へ、または直系家族制から夫婦家族制へ、現実の家族が変化したと考えらるようになった(森岡清美「家族の変動」森岡清美編『社会学講座3 家族社会学』東京大学出版会、1972)。しかし、新しい家族が定着したと思われた1980年代、近代家族論が登場し、「家」の解放が個人の解放ではないこと、すなわち個人を抑圧するのは新しい家族と考えられた夫婦家族(「近代家族」)も同じであることが示されると(落合恵美子「近代家族の誕生と終焉」『現代思想』13-6、1985)、従来の家族認識に変化があらわれはじめた。封建的で抑圧的な家族が直系家族(「家」)で、民主的で自由な家族が夫婦家族であるという単純な家族像が通用しなくなったからである。そして、イデオロギー的側面から家族を類型化し、変化をみようとする家族変動論が後退し、あらためて形態としての家族が注目されるようになった。
そして、人口学的状況を鑑みて分析した場合も(伊藤達也『生活の中の人口学』古今書院、1994、落合恵美子『二一世紀家族へ』有斐閣、1994)、また最新の実証的なデータを詳細に解析した場合も(加藤彰彦「家族変動の社会学的研究」博士学位論文(早稲田大学)2003)、戦後日本の家族は表面的には大きく変化したが、直系家族構造そのものは維持されていると考えられるようになってきた。前者では人口学的状況により核家族が増えたこと、後者では直系家族が修正されつつ、維持されていることが実証されたからである。つまり、従来自明と考えられていた戦後の家族変動がけっして自明ではないことが明らかになった。
このような学問的状況のなか、現下の日本社会が直系家族社会から夫婦家族社会へ、家族構造そのものが変化しようとしているのかどうかをあらためて問い直すこと、これが目下の家族研究の重要な課題となった。
この問題に取り組むにあたり、夫婦家族の伝統を持ち、典型的な夫婦家族社会を形成している英国を比較の軸とし、現在の日本家族が夫婦家族的特徴を示しているのかどうかを検討する独自の方法を用いる。
私は2003年から2年間、英国で在外研究に従事した。第一義的な研究目的は直系家族の日欧比較であったが、その副産物として、英国の別居している親子の濃密な関係を知るに至った。数世紀にわたって夫婦家族制を維持してきた国であるが、親子は比較的近くに住み、頻繁に行き来し、子育てや老後の生活をサポートし合っていた。おそらく、別居しつつ親族が支え合う文化(「作法」)が長い時間をかけて醸成されてきたと考えられる。翻って日本を見ると、同居の場合親密な関係が維持されているが、別居になると疎遠になることが多い。われわれは同居か別居かという二者択一的な感覚が強く、学術的意味でも日常の生活レベルでも、直系家族か夫婦家族かの線引きを強く意識しているように思われてならない。
そこで、本研究では親族関係の比較から家族構造の再解釈を試みる。従来のように直接家族構造を比較するのではなく、異なる家族構造を前提に、そのなかで、親族がどのような関係を築き、支え合っているのかを調べ、そこから日本の親族関係の特徴を再考する。これまでも日英比較はさまざまな領域で行われてきたが、伝統的家族構造を踏まえ、親族関係を比較する視点は発展途上であり、大いに可能性を秘めた視点と考えられる。
日英親族の比較研究にむけた枠組みや課題、可能性についてはすでに検討してきた。本研究の期間内では、日本の親族関係、なかでも子育て期における祖父母のサポート(中期親子関係)に焦点を絞り、その実態解明を試みる。具体的には小学校就学前の子どもをもつ親を対象にインタビュー調査および質問紙調査を実施し、彼らの親(祖父母)がどこに住み、どれだけ距離時間があるのか、子育ての支援は受けられているのか、ある場合はその内容と程度などを調査する。
夫婦家族的伝統をもつイギリスでは1時間以内で行き来が可能であれば、頻繁に往来があり、濃密な親子関係が維持されている(McGlonem, Francis, Alison Park and Ceridwen Roberts, ‘Relative values: kinship and friendship,’ Jowell, Roger et al eds., British social attitudes the 13th report, London: Social and Community Planning Research, 1996)。他方、90年代の日本ではせいぜい30分以内が頻繁なつきあいの範囲であり、距離時間が少し長くなるだけでつきあいが希薄になる傾向が見られた(経済企画庁『国民生活白書(平成六年版)』大蔵省印刷局、1994)。そのような傾向が現在にもあてはまるのか、居住の近接性と具体的なサポート内容を調査する。また、親子のなかでも続柄による違いがあるのかどうか(親と長男か、親と娘なのかなど)も調べる。
本研究の独創的な点は、(1)長期間におよぶ伝統を踏まえ、夫婦家族社会英国と直系家族社会日本という視点から現在の家族的特徴を比較すること、(2)典型的な夫婦家族社会における別居の親族関係にヒントを得、現在日本の親族関係を調査することである。
申請者は、日本の伝統家族である「家」に注目し、その歴史社会学的研究を進めてきた。とくに、18-19世紀を中心に実証分析を行い、生成する「家」、変容する家族の実態など、家族変動を中心テーマとしてきた。このような歴史社会学的知見を踏まえて現在の家族を見つめ直すこと、歴史社会学的認識を重視し日英比較を行うこと、これが本研究の最大の特徴である。それにより、1990年以降、断続的に進められてきた子育てネットワークの研究が、だれが、どのようにサポートするかという福祉的視点での研究から、親族のサポートのあり方と家族構造との関連を考察し、家族構造の現在的位置を解明するものへ飛躍すると考えられる。