
| 号数 | 刊行年度 | 備考 |
|---|---|---|
| 創刊号 | 1984年 | 清水正徳教授退官記念号 |
| 第2号 | 1985年 | |
| 第3号 | 1986年 | 田口寛治教授退官記念号 |
| 第4号 | 1987年 | 井上庄七教授追悼号 |
| 第5号 | 1988年 | |
| 第6号 | 1989年 | 三田博雄先生を偲ぶ |
| 第7号 | 1990年 | |
| 第8号 | 1991年 | |
| 第9号 | 1992年 | |
| 第10号 | 1993年 | |
| 第11号 | 1994年 | |
| 第12・13合併号 | 1995・1996年 | 向井守教授退官記念号 |
| 第14号 | 1997年 | |
| 第15号 | 1999年 | |
| 第16号 | 2003年 | 眞方忠道教授退官記念号 |
| 第17号 | 2005年 | |
| 第18号 | 2006年 | |
| 第19号 | 2007年 | 山本教授退職記念号 |
| 第20号 | 2008年 | |
| 第21号 | 2009年 | |
| 第22号 | 2010年 | |
| 第23号 | 2011年 | |
| 第24号 | 2012年 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| 清水正徳教授 研究年譜 | 1 | |
| モルトマンの十字架の神学の展開―その三位一体論について― | 沖野政弘 | 3 |
| ヘーゲルにおける経験と言語 | 山本道雄 | 22 |
| 近代科学と弁証法 | 禾几文栄 | 35 |
| 自我と時間―超越論的現象学の極限― | 魚住洋一 | 45 |
| 人間的自由と悪 | 高木麻楠 | 57 |
| 連関と循環―へーゲルにあって「現象する知の叙述」を支えるもの― | 栗原隆 | 66 |
| 労働と所有 | 服部正喜 | 77 |
| リッカートの価値論と哲学の課題 | 藪田正喜 | 90 |
| 清水先生を語る | 102 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| 解釈学の運命―シュライエルマッヘルからディルタイヘ― | 向井守 | 1 |
| ヒューム政治・社会思想の基礎―その経験論が提示する人問像― | 村田久行 | 15 |
| 数学における受容性の規準について | 小川由夫 | 24 |
| 『存在と無』における対人恐怖的人間像 | 伊藤信之 | 34 |
| シュライエルマッハーの一般的解釈学の成立とその構造 | 外山和子 | 46 |
| 橋本峰雄教授略歴ならびに主要著書・論文目録 | 64 | |
| 巨大な仮想読者 | 池上洵一 | 68 |
| 「ふくろう通信」より | 三田博雄 | 70 |
| 村の葬式 | 森本晃 | 74 |
| 私の教科書作り | 中野景子 | 76 |
| 暁に消えた同一性 どこから来て、どこへ行く | 栗原隆 | 78 |
| 音楽についての雑感 | 水野恵理子 | 84 |
| 私の回想―最終講義(1984・1・25)の内容― | 清水正徳 | 87 |
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作成中
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| 追悼 井上庄七教授 | 文学部文集刊行会編 | 1 |
| 存在論的様相論とレアールなものの「幅」あるいは生成の様相構造 | 松家次郎 | 150 |
| ケプラーにおける太陽中心説の新たな展開について | 西敬尚 | 162 |
| 『アンリ・ブリュラールの生涯』視角化の構造 | 岩本和子 | 175 |
| レトリックの変容 | 後藤尚人 | 190 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| 田口先生の「ヴィットゲンシュタインの哲学」について | 伊藤邦武 | 2 |
| ヴィットゲンシュタインの哲学 | 田口寛治 | 7 |
| モラリスト、田口寛治さんを偲ぶ | 陸井四郎 | 62 |
| 意味と真理―デイヴィドソンの言語哲学― | 伊藤邦武 | 67 |
| 『エウテュプロン』におけるソクラテスの探求 | 坂本知宏 | 84 |
| 「ふくろう通信」より | 三田博雄 | 96 |
| 戦後における関西のオペラ活動の流れ―昭和二十四年から五十三年まで― | 桂直久 | 100 |
| 再訪 | 小城敬三 | 104 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| 三田博雄教授略歴ならびに著作目録 | 2 |
| ゼノンとソクラテス―プラトンの対話篇『パルメニデス』127d-129d― | 坂本知宏 | 46 |
| シェリングの『自由論』―主体化の原理としての自由― | 川口晃 | 55 |
| 「芸術家の形而上学」試論―ニーチェの言語認識批判と「美」の生成について― | 中川慎二 | 65 |
| フレーゲ意味論における「言語理解」の問題について | 芦田利恵子 | 75 |
| ベルグソン研究ノート―「実在(la realite)」をめぐって― | 松家次朗 | 85 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| 人間観をたずねて(一) ―哲学入門― | 眞方忠道 | 2 |
| シェリングの人間観をめぐって―『自由論』以後の展開― | 川口晃 | 12 |
| On Frege's Concept | 芦田利恵子 | (1) |
| オッカムの代表の分類について | 小柳茂美 | 20 |
| クリスティアン・ヴォルフ「哲学一般に関する予備的叙説〈その一〉」 | 山本道雄・松家次朗 | 46 |
| 「カプリチョ」より | 桂直久 | 48 |
| 山とニーチェ哲学 | 松野正淳 | 51 |
| 私の教科書作り | 水野恵理子 | 55 |
| 清水先生の古稀を祝す | 58 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| 人間観をたずねて(二) ―哲学入門― | 眞方忠道 | 2 |
| 「自我」と「感覚与件」(上)―中期ウィトゲンシュタインのテクストを中心として― | 羽地亮 | 20 |
| カント定言命法の諸相―適法性と道徳性― | 柘植尚則 | (1) |
| 知の陥穽―ベルグソンに於けるゼノンのパラドクス批判の意味について― | 松家次朗 | (11) |
| Frege's Puzzle of Cognitive Value | 芦田利恵子 | (23) |
| モラルディレンマと合理主義道徳理論 | 伊藤信之 | (36) |
| 「カプリチョ」より | 桂直久 | 34 |
| 解釈者の消えたところからテクストは語る―『ヘーゲル事典』の存立機制をめぐって― | 栗原隆 | 38 |
| ケンブリッジの印象 | 森匡史 | 42 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| 人間観をたずねて(三) ―哲学入門― | 眞方忠道 | 2 |
| ドナガンの合理主義道徳理論 | 伊藤信之 | (1) |
| イデアの範囲について―『パルメニデス』130b1-e4― | 坂本知宏 | (15) |
| 経営イデオロギーとシンボリズム(1)―日本企業の場合― | 石平 | (27) |
| 「カプリチョ」より | 桂直久 | 16 |
| テュービンゲン大学へ留学して | 沖野政弘 | 19 |
| 魂の内なるハーモニー | 水野恵理子 | 23 |
| シンガポール便り | 小城敬三 | 44 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| 解体思想の彼方 | 木内孝 | 2 |
| 「自我」と「感覚与件」(下) | 羽地亮 | 20 |
| 「著者が自己自身を理解したよりも良く著者を理解すること」について(1) | 外山 和子 | (15) |
| Degrees of Reality in Plato:PartT | Kozi Asano |
| クリスティアン・ヴォルフ「哲学一般に関する予備的叙説〈その二〉」 | 山本道雄・松家次朗 | 32 |
| 道徳とエゴイズム | 藤本啓子 | (43) |
| 移行期対話篇としての『クリトン』 | 米澤茂 | (26) |
| 「カプリチョ」より | 桂直久 | 50 |
| お盆が近づくと | 森本晃 | 53 |
| 魂の内なるハーモニー | 水野恵理子 | 56 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| ジャン=リュック・マリオンの思索を巡って(1) | 鈴木泉 | 2 |
| パスカルにおける護教論と時間の問題 | 吉永和加 | 55 |
| 「承認をめぐる闘争」の変貌―イェーナ期ヘーゲルの体系構想の過程における― | 村上毅 | 65 |
| 体育場に裸の老女 | リーブ/浅野幸治 | 75 |
| テュービンゲン大学に滞在して | 沖野政弘 | 88 |
| トリア滞在記 | 山本道雄 | 102 |
| 「カプリチョ」より | 桂直久 | 107 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| ジャン=リュック・マリオンの思索を巡って(2) | 鈴木泉 | 6 |
| モルトマン神学の動向 | 沖野政弘 | 24 |
| 歴史と物語 | 栗原隆 | 42 |
| ニコライ・ハルトマンの人間観について―上― |
松家次郎 | 56 |
| 倫理的思考の可能性 | 川口東崇 | 74 |
| 家族的類似性について | 羽地亮 | 84 |
| 「真実の精神」における承認概念の意味と限界 | 村上毅 | (1) |
| ジンメルにおける文化論の二面性 | 川本格子 | (13) |
| 近代イギリス感情論における良心の概念 | 柘植尚則 | (25) |
| 『理性と道徳』におけるアラン・ゲワースの『類似的整合性原理』導出過程について | 伊藤信之 | (35) |
| 「著者が自己自身を理解したよりも良く著者を理解すること」について(2) | 外山和子 | (49) |
| 宗教と科学に関する一考察 | 禾几文栄 | 94 |
| ニーチェ哲学における体系性と「力への意志」 | 松野正淳 | 104 |
| ディオニュソス像の変遷からみたニーチェの〈悲劇〉 | 藤本啓子 | 120 |
| 「カプリチョ」より | 桂直久 | 138 |
| 加賀街道に謙信を訪ねて | 村上好 | 142 |
| 向井先生に贈る | 154 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| 現代の倫理的状況―環境と生命の問題を手掛かりに― | 山本道雄 | 2 |
| 現実の可能性―社会的現実を可能にするものとは何か(社会哲学的素描I) | 松田毅 | 18 |
| 数学における受容性の規準について | 小川由夫 | 24 |
| ニコライ・ハルトマンの人間観について―中― | 松家次朗 | 35 |
| 差異の承認はなにを意味するのか?―テイラー「承認をめぐる政治」をめぐって― | 村上毅 | 55 |
| カント良心論の展開―その概念史的意義と限界― | 土井かおる | 69 |
| R.M.ヘアの道徳哲学―[相手の立場に立つこと]について― | 板野史 | 88 |
| 「カプリチョ」より | 桂直久 | 99 |
| 京都・越前・淡路―徒然草を携えて | 村上好 | 102 |
| サモンの因果的説明の理論 | 森匡文 | (1) |
| イデア論生成の二つの論理―「相反する現われ」と「多の上に立つ一」― | 浅野幸治 | (13) |
| 1997年度講義一覧 | ||
| 1996年度卒業論文・修士論文題目一覧 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| 現実の可能性(続)―社会的現実を可能にするものとは何か(社会哲学的素描U) | 松田毅 | 2 |
| カント前批判期の哲学的方法論 | 手代木陽 | 54 |
| ヘーゲル承認論の問題性と可能性 | 村上毅 | 70 |
| 「個と一般」G. E. L. オーエン | 浅野幸治・茶谷直人 | 82 |
| 「何であるか」と「どのようなものであるか」―オーエン論文「個と一般」に寄せて― | 眞方忠道 | 108 |
| アリストテレス『詩学』における内在的目的論―『自然学』と『詩学』― | 茶谷直人 | 122 |
| 沖野政弘著『現代神学の動向―後期ハイデガーからモルトマンへ―』 | 喜田川信 | 138 |
| Hume on Moral Philosophy −Humean Moral Subjectivism | Kiyoshi TSUJI | (17) |
| Boolean Closure と随伴関係 | 河本孝之 | (5) |
| 1999年度授業題目一覧 | ||
| 1997年度卒業論文・修士論文題目一覧 | ||
| 1998年度卒業論文・修士論文題目一覧 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| 眞方教授 業績一覧 | 4 |
| ライプニッツ自由論の可能性―スピノザとの差異から― | 松田毅 | 6 |
| クオリアを解きほぐす(Unweaving Qualia)―物理主義的アプローチの可能性― | 羽地亮 | 36 |
| モルトマンの三位一体論における空間的理解―希望の神から内在する神へ― | 沖野政弘 | 50 |
| メレトス論駁―『ソクラテスの弁明』におけるエレンコス― | 坂本知宏 | 62 |
| 全面的な消滅としての死―死と人生の意味について考えるための序論― | 板野史 | 80 |
| 良心現象における超越性の行方―ハイデッガーとボンヘッファーを手がかりに― | 土井かおる | 96 |
| アリストテレス『形而上学』Θ巻第6章1048b18-35の位置づけをめぐって | 茶谷直人 | 116 |
| On Berief Ascription | Rieko ASHIDA | (1) |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| クリスティアン・ヴォルフ『世界論』第二部第一、二、三章における物体論 | 山本道雄 | 2 |
| 再考:ジェイムズとフッサール(1)―第一原理・方法としての還元・地平構造― | 嘉指信雄 | 22 |
| 形式存在論の範疇としての志向性―D・W・スミスのアプローチ― | 松田毅 | 34 |
| 認識論における二つの規範性について―クワインの議論を中心に | 成瀬尚志 | 44 |
| ライプニッツにおける幾何学の基礎 | 稲岡大志 | 54 |
| 安楽死問題におけるヤヌスの双面 | 山本道雄 | 64 |
| インフォームド・コンセントにおけるナースの役割―できること・できないこと | 茶谷直人 | 76 |
| Brandom and McDowell on Wittgenstein | Akira HAJI | (9) |
| スピノザの「共通概念」に関する解釈史の検討―ドゥルーズの解釈の意義と問題性を中心に― | 藤井千佳世 | (1) |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| クリスティアン・ヴォルフ『世界論』第一部における世界解釈 | 山本道雄 | 3 |
| 再考:ジェイムズとフッサール(2)―似而非現在・両義的身体・注意― | 嘉指信雄 | 33 |
| キリスト教の終末的将来像 | 沖野政弘 | 51 |
| クワインの近位説(proximal theory) | 成瀬尚志 | 65 |
| ライプニッツにおける神の存在論的証明と永遠真理の基礎 | 稲岡大志 | 79 |
| 『方法叙説』の暫定的道徳は暫定的であるのか | 志村幸紀 | 91 |
| スピノザに対するベーコンの影響についての覚書 −十七世紀における機械技術論の生命論的展開に関する一考察 |
藤井千佳世 | 103 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| ニュートンの第三運動法則とカントの第三力学法則 カントの類推論研究(3) | 山本道雄 | 9 |
| 若きジェイムズにおける現象学的領野の開示(1) ―「存在論的驚異症」と「生への還帰」― | 嘉指信雄 | 35 |
| Leibnizian Dream Arguments and the Question of the Reality of Bodies | 松田毅 | 57 |
| クワインにおける物理主義と行動主義の整合性について ― 観察文の定義の変遷をめぐって | 成瀬尚志 | 71 |
| 企業倫理に関する一考察 − 企業の道徳的責任 | 志村幸紀 | 83 |
| クーンの共約不可能性概念について | 藤木篤 | 97 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| 若きジェイムズにおける現象学的領野の開示(2) ―「職業としての哲学」と「存在すること」― | 嘉指信雄 | 3 |
| Engineering Ethics in Japan | 羽地亮 | 27 |
| 『プロタゴラス』「大演説」の「道徳」 | 坂本知宏 | 35 |
| 「理性の事実」に関する一考察 ―道徳の源泉としての理性の働きとその諸作用― | 井上英昌 | 51 |
| 『活力の真の測定に関する考察』におけるカントの「力」の概念について | 信田尚久 | 67 |
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| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| ジェイムズ根本的経験論の生成 ―哲学における新たな結晶化の中心― | 嘉指信雄 | 3 |
| ベルクソンの自我論 | 加藤憲治 | 24 |
| 防災のための行動規範を擁護する ―J・ラッドの批判に抗して― | 羽地亮 | 37 |
| 『クリトン』におけるクリトン ―ソクラテスを理解するための一つの手がかりとして | 茶谷直人 | 50 |
| クワインの真理観 | 成瀬尚志 | 71 |
| デカルト『情念論』において知性的情動が果たす役割に関する予備的考察 | 志村幸紀 | 84 |
| 人間の初期条件としての有限性 ―スピノザ『エチカ』第二部定理13およびその固体論についての考察 | 食見文彦 | 98 |
| カルナップの検証理論 | 坂本真 | 114 |
| 西田哲学の現在 | 小林敏明 | 3 |
| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| Kant's Philosophy of Experience-Its Structure and Potentiality | Michio YAMAMOTO | 17 |
| 「歓待」としての倫理 | 中川伸子 | 28 |
| 西田幾多郎における個物概念の発生 | ローラン・ステリン | 40 |
| カルナップの『構築』再考 | 坂本真 | 50 |
| 渡辺哲夫著『二〇世紀精神病理学史』 | 本林良章 | 63 |
| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| カントの「経験的実在論」 | 山本道雄 | 3 |
| Evils as parts of the history towards a Leibnizian mereological consideration | MATSUDA Tsuyoshi | 22 |
| 『エウテュプロン』におけるエウテュプロン | 茶谷直人 | 38 |
| シェリング芸術哲学の「構想力」――自然哲学と芸術哲学の関連から | 八幡さくら | 54 |
| 調律とその病理としての自閉――コモンセンス試論 | 本林良章 | 71 |
| カント倫理学における行為と法則とのつながり――道徳法則に従った行為をいかにして判断するか | 李明哲 | 84 |
| ジョルジュ・バタイユにおける“異議申し立て”とは何か(1)――人間存在の共同性の原理として | 大家慎也 | 98 |
| タイトル | 著者 | ページ |
|---|---|---|
| ヴォルフ『世界論』第三部―世界・自然・秩序 ヴォルフ『世界論』研究完結編 |
山本道雄 | 3 |
| 4.The Meaning of Kant's Transformation of Leibnizian "Principle of Reason" from a contemporary Leibnizian point of view | MATSUDA Tsuyoshi | 25 |
| ジョルジュ・バタイユにおける“異議申し立て”とは何か(2)―コジェーヴの“人間性のシステム”を超克する試み | 大家慎也 | 49 |
| 現象学的心理学の方法論的考察――経験の様式としての普遍性に向けて | 本林良章 | 67 |
| “緊張”の倫理――仏教―ポストモダンの倫理的パラダイム――ジン・Y・パーク(眞瑛朴) | 訳:大家慎也 監訳・後書き:嘉指信雄 |
81 |
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