日本史学研究室の沿革
日本史学専修の教育(学部)
日本史学研究室の一年
卒業論文・修士論文・博士論文一覧
日本史学研究室の沿革
| 1949年 | 神戸大学を設置。文理学部文科史学科国史学専攻として誕生。史学第一講座と史学第二講座を置く。神戸経済大学予科教授今井林太郎(日本中世・近世史)が教授として着任。 |
| 1951年 | 阿部真琴(日本近代史)が助教授として着任。高尾一彦(日本中世・近世史)が講師として着任。 |
| 1953年 | 第1期生が卒業。文学部に専攻生制度(1年制)が設けられる。 |
| 1952年 | 長倉保(日本近世・近代史)が助手として着任。 |
| 1954年 | 文理学部が文学部と理学部に分離。 |
| 1957年 | 阿部真琴が助教授昇任。 |
| 1958年 | 文学専攻科(1年制)を設置。高尾一彦が助教授昇任。 |
| 1961年 | 神戸大学学生日本史研究会「『横田家文書』目録」(ガリ版刷り)作成。 |
| 1963年 | 「日本史学科」を発行主体とする『ダイアローグ』第1号刊行。第9号(1968年)まで残存。 |
| 1964年 | 史学第一講座が日本史学古代中世講座に、史学第二講座が日本史学近世講座に正式に改称される。長倉保が神奈川大学に転出。文学部学舎が神戸市灘区六甲台町に移転。 |
| 1968年 | 大学院文学研究科(修士課程)設置。 |
| 1972年 | 阿部真琴が定年退官。高尾一彦が教授昇任。 |
| 1973年 | 今井林太郎が定年退官。五味文彦(日本中世史)が講師として着任。 |
| 1974年 | 戸田芳實(日本古代・中世史)が教授として着任。国史学・東洋史学・西洋史学合同の神戸大学史学研究会創立。 |
| 1976年 | 五味文彦がお茶の水女子大学に転出。 |
| 1977年 | 藤井譲治(日本近世史)が助教授として着任。 |
| 1980年 | 鈴木正幸(日本近現代史)が助教授として着任。大学院文化学研究科(博士課程)設置(日本史学の教員は社会文化専攻比較社会文化史講座日本社会文化史を担当)。 |
| 1983年 | 藤井譲治が京都大学に転出。 |
| 1985年 | 神戸大学史学研究会再建。 |
| 1986年 | 横田冬彦(日本近世史)が助教授として着任。神戸大学史学研究会『神戸大学史学年報』第1号刊行(現在も継続)。 |
| 1987年 | 高尾一彦が定年退官。『中川家文書』(臨川書店)を刊行。神戸大学文学部日本史研究室同窓会発足。藤田達生(日本中世史)が文化学研究科助手として着任。 |
| 1988年 | 鈴木正幸が教授昇任。 |
| 1989年 | 西谷地晴美(日本中世史)が助手として着任。『田住家文書目録』を刊行。 |
| 1991年 | 戸田芳實が神戸女子大学に転出。西谷地晴美が退官。奥村弘(日本近世・近代史)が助教授として着任。 |
| 1992年 | 熱田公(日本中世史)が教授として着任。藤田達生が退官。 |
| 1994年 | 熱田公が定年退官。 |
| 1995年 | 阪神・淡路大震災。日本史学の教官・学生・大学院生らによる歴史資料の救済活動が行われる(後に神戸大学文学部日本史学研究室を中心とする歴史資料ネットワークの活動につながる)。坂江渉(日本古代史)が文化学研究科助手として着任。 |
| 1996年 | 横田冬彦が京都橘女子大学に転出。高橋昌明(日本古代・中世史)が教授として着任。『大谷家文書目録』を刊行。 |
| 1998年 | 坂江渉が退官。市澤哲(日本中世史)が助教授として着任。 |
| 2001年 | 文学部改組により5講座(大講座制)15専修に改まる。史学科日本史学専攻は日本史学専修となり、日本史学の2講座は東洋史学・西洋史学の講座と合わせて史学講座となった。森田竜雄(日本中世史)が文化学研究科助手として着任。 |
| 2002年 | 大学院文化学研究科(博士課程)を改組。 |
| 2003年 | 日本史学の教官を中心とする神戸大学文学部地域連携センター設置。 |
| 2004年 | 森田竜雄が退官。神戸大学が国立大学法人神戸大学となる。 |
| 2006年 | 鈴木正幸が定年退職。奥村弘が教授昇任。河島真(日本近現代史)が助教授として着任。坂江渉(日本古代史)が講師として着任。 |
| 2007年 | 文学部の教員組織が新設の大学院人文学研究科(博士課程前期課程・後期課程)に移行。助教授の職名が准教授と改められる。久下正史(日本民俗学・日本文化論)が大学院文化学研究科助手から人文学研究科助手に配置換え。 |






