紀元前5世紀のアテネで「真に知恵ある」人物を求め、学者、政治家、職人を訪ね歩き、若者たちと「真とは何か」、「善とは何か」そして「美とは何か」と、対話を繰り返したソクラテス。17世紀のフランスで知識の揺るぎない土台をうちたてるために、「すべてを根こそぎくつがえし、最初の土台から新たに始めなくてはならない」と、孤独のうちに決断し、思索を透徹させたデカルト。ソクラテスのように、デカルトのように、あるいはハイデガーやウィトゲンシュタインのように、そのスタイルは違っても、哲学とは根本から問い、根本から思索することに尽きるものです。
今やわたしたちの生活世界に深く浸透する、科学技術、グローバル化した社会経済そして互いに自己主張をやめることのない多様な文化と価値。そのただ中で、対話し、思索を透徹させることを通して、この時代を少しでもよりよく生きるための知恵そしてこの時代にふさわしい知識へとわたしたちを導く営みこそが今日、哲学と呼ばれるにふさわしいものなのです。
質・量ともに充実したスタッフが体系的で段階的な哲学と倫理学の教育を行っています。講義では哲学・倫理学の古代から現代に及ぶ問題や概念、方法論を学び、演習では原典を読解する能力を養います。また、オフィスアワーを利用し、各学生の関心に合わせ、卒業論文の指導を行うと同時に、学生が研究成果を発表し、互いに議論しあう、哲学専修のスタッフ全員参加の合同演習も実施しています。こうした多様な演習と論文指導を通して、一人一人の学生が哲学的に考える力を身に付けることができるよう指導していきます。
| 嘉指 信雄 教授 | 現代哲学。特に現象学・プラグマティズムにおける他者論・行為論。京都学派を中心とする近現代日本思想研究。また「戦争と哲学」や「戦争における他者」の観点から平和研究にも取り組んでいます。 | 教員紹介 |
| 松田 毅 教授 | 認識論(知識の哲学)、ライプニッツを中心とした近世哲学。リスク論の観点からフィールドワークも取り入れた学際的な応用哲学の研究にも取り組んでいます。 | 教員紹介 |
| 加藤 憲治 准教授 | フランス哲学。特にベルクソンを中心にした生の哲学。 | 教員紹介 |
| 羽地 亮 准教授 | 分析哲学。特に、ウィトゲンシュタイン哲学、人工知能研究や神経科学の成果を援用した心の哲学、言語哲学、および「科学技術と社会との関係はどうあるべきか」という観点から科学技術の倫理の研究にも取り組んでいます。 | 教員紹介 |
| 茶谷 直人 准教授 | アリストテレスを中心とした古代ギリシア哲学、および生命倫理学。 | 教員紹介 |
「アリストテレスにおけるエウダイモニアとアクラシア」「ハーバーマスのコミュニケーション行為論の研究」「メルロ=ポンティにおける言語の問題」「バタイユにおける“ 異質学”の構想」「医療情報の電子化に伴う倫理学的問題についての考察」
卒業して社会人の道を選択することも、あるいは博士課程前期課程でさらに二年間研究を続けることもできます。将来研究者を志す人は、博士課程後期課程に進学してさらに3年間研究することができます。就職状況は順調で、民間企業に就職した人もいれば、公務員、教職についた人もいます。過去3年程度でみれば、約3割が大学院に進学し、約7割が市役所、観光業、商社、金融機関、民間教育機関、IT企業、図書館など、多方面に就職し、活躍しています。
私たちが生きて行く中で出会う様々な問い―果てしない空の蒼、あるいは人の眼差しの奥に感じた何気ない問い―そうした様々な問いに注意を向ける時、世界が全く新たな顔を見せ始める―そんな時、私たちはすでに哲学の問いの中にいます。自己とは? 他者とは? 存在とは? 歴史とは? 「哲学」は、入り口が至るところにある、最も自由な学問といえます。「哲学」の中にあなたは、自分にとって最も貴重な問い、最もスリリングな問いの同行者たちを見出すでしょう。
(嘉指信雄)
あこがれからドイツ哲学を学びました。同じテーマを忍耐強く繰り返し考える大切さ、多角的で重層的な思考、未知なるものと出会い、変化する喜びを学んだ4年間でした。私は今、母校の図書館に勤務しています。「ことば」や「コミュニケーション」に関心を抱いたことも、図書館員の仕事を選んだきっかけです。膨大な情報(知)と向きあい、まとめ上げ、伝えるこの仕事に、哲学を通じて学んだ姿勢が活かされています。
(末田真樹子 2008年3月卒業 神戸大学附属図書館勤務)
学生時代に哲学科で過ごせたことを実に有意義なことであったと思う。「哲学する」と言うことは、まず全てに疑いを抱き、深く考えることで今まで想像もしなかった世界に出会い感動すると言うことだ。しかし、自らの得た答えですら疑いの対象となったとき、世界はその無限の拡がりをもって、私たちの前に対峙することだろう。つまり、「哲学する」ことから得ることは計り知れないほど大きなものであろう。迷信的、上合理な考えを排し論理的、科学的に考えること、これがまずたいせつだろう。
(竹一 洋平 2004年3月修士修了 大阪国税局勤務)
私にとってかつて「問い」は与えられるものだった。哲学は「問い」を生むことを教える。テクストの精読、それは偉大な哲学者の生の声に耳をそばだて、息遣いを感じ取ること,そしてある新たな概念が生成されてゆく現場に遭遇し感動することに他ならない。ただしそれは単なる共感とは異なる。むしろ理解の深化とともにはっきりとなる自分自身との絶対的な距離。しかしこの距離は私に固有のものであり、それこそが「私自身の問い」を形作っていく。共感という言葉では語りえないものに対する誠実さ、それによって自らの「問い」を結晶化していくことの楽しさと喜びを、私は哲学から学んだ。
(藤井千佳世 2001年3月卒業 2004年3月修士修了 文化学研究科在学中)