神戸大学大学院人文学研究科倫理創成プロジェクト

アスベスト問題に関連する研究成果や情報

アスベスト被害聞き取り調査―今井桂子氏 [2009-02-27]

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はじめに

事件の背景や経過に関する詳細については、下記URLを参照のこと。

東京都文京区ホームページ「さしがや保育園アスベスト健康対策等について」
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_hoiku_sasigaya.html

永倉冬史 (中皮腫・じん肺アスベストセンター事務局長)

ずっと先生たちはアスベストと被害に関する調査をいろいろな側面でされていて、今回に至っていると思うんですけれど、今回までの経過について説明してもらえますか。

松田毅 (神戸大学大学院人文学研究科教授)

永倉さんにも執筆していただいています、『倫理創成研究』という雑誌を出しています。その第2号でも報告していますが、今、日本とフランスで学際的な研究、哲学だけではなく、社会学、地理学、日本史の研究者、そして医学者、疫学者でアスベスト被害に関する共同研究をやっています。

そのような関心からも、今回、さしがや保育園のアスベスト被害の事件に関して出版されたご本『パパ・ママ 子供とアスベスト さしがや保育園 アスベスト災害の軌跡』(飯田橋パピルス、2008年刊行)を非常に、興味深く読みました。尼崎の事例でも、環境暴露をされ、20歳代で中皮腫を発症をされて、亡くなられている方も実際おられるようです。子どものアスベストリスクがあらためて重要な問題であると考えています。

特に本の中で画期的な専門委員会が行われていた点も興味深く思います。例えばリスク・コミュニケーションのために専門家とさしがや保育園の保護者が一緒に委員会を開き、最終的には要綱や協定も結ばれている点。あるいは健康相談や心理相談、メンタルケアもされているということで、きわめて総合的に対応されていることに感心しましたので、そのあたりの詳しいお話を聴けたらありがたく思います。

また1999年の時点では、まだ一般にアスベストの詳しい知識をそんなに多くの方がもたれてはいかった、と思うのです。正直、よく気づかれたなと思います。最初に気づかれた方がどういう前提、知識をもたれていたのか、に関心がああります。ですから一連のプロセスを時系列を追って、どういうところで気づかれ、何が問題であったのか、お聞きしたいと思います。

さらに差し障りがあるかもしれませんが、子どもさんがどう感じているか、親御さんが子どもさんにどういう言葉をかけて、どう説明をされているかも興味があります。

まず、最初に気づかれた方がどういう方でどういうバックグラウンドを持っていらっしゃったのかということをお話していただければと思います。

今井

それについては私はあまり詳しくはないんですけれども、工事が始まったときに保護者が父母会に早めに行って、窓が開いているのにまず気づいたというのが最初です。天井がはがれているのに気がつかれて、その方がどういう工事なのかということで質問をしたら、天井ははがさない壁にも触らないという説明をされた。なのにはがれているということに気がつかれたので、彼女が「どうして天井がはがされているの?」というようなことから始まったんです。

松田

その方は以前にアスベストの問題に関して何か知識を持っていらっしゃったのでしょうか。

今井

それはちょっと私にはわかりません。個人的にお話をしたことはないお母さんだったので。

松田

その方は今、検討委員会などに残られていらっしゃいますか。

今井

今は全然来ていらっしゃいませんね。

藤木篤 (神戸大学大学院人文学研究科博士後期課程):

その方が気づかれるまで、保護者側に説明はなかったのでしょうか。

今井

基本的に改装程度はやらないんだそうです。でも保護者会でも工事全体の説明はたぶんなかったんじゃないかな。ただ部屋が少し変わるとか、出入りの場所が変わるとか、そういうことに関して説明がありました。

松田

その最初に気づかれた方が説明を求めて保護者会で質問されたときの、他の保護者の方の反応はどうだったのでしょうか。すぐに「そうだそうだ」という感じになったのでしょうか。

今井

最初の保護者会では工事のやり方に関する説明会だったので、どこまでやるのかということに関して話があったんですが、たぶんほとんどの方、私もなんですけれども、そんなにアスベストのことには詳しくはないので、天井をはがさないから大丈夫という説明に納得したというか、「それで大丈夫なら、安全にやってください」ということしか思わなかったと思います。区がやる工事なので、まさか杜撰なことはしないだろうという安心感がありました。

松田

それが実は杜撰で、ちゃんとやられていない点が運動のきっかけになったのでしょうか。保育園側がちゃんとやりますと言ったのだけれども、実際にはそうなっていなくて、工事現場みたいなところから問題が始まったということでしょうか。

今井

そうです。

松田

そのときにアスベストについての認識がどういうかたちで広がっていったのでしょうか。

今井

アスベストというキーワードが出てからは、わりとすぐにNさんがアスベストについて説明をしてくださったと思います。

松田

Nさんですか?

今井

はい、父母の会の役員をされていて、そこでスライドを使って説明をしてくださいました。

永倉

最初の頃、Nさんからアスベストのことを聞いて、それはなんだろうかということで、医学雑誌か何かをかなりダウンロードして片っ端から読んだらしいんですよ。そうしたら、やっぱりすごく危険なものだということがわかって、これは尋常じゃないということにNさんが最初に気づいたんです。それで、Nさんがその話を他の保護者の方にも伝えて、保護者の方々が区役所に「説明しろ」というふうに、話を聞きにいきました。

NさんはNさんで、なんとかしなければいけないということで自分の伝手をたどって我々のところにいらしたということです。最初の段階はこんな感じだったと思います。それで、Nさんは個人的にお知り合いだった全国区の安全センターというところの議長をされている先生に連絡を取って、その先生はアスベストの具体的な話を今日来ていた西田さんにお話されたんです。今度は、西田さんが今日みたいな全国会議で「こんな話があるんだけれども、永倉君行ってみないか」ということで、西田さんと二人で保護者説明会に入ったんです。そこで区の説明を聞きました。99年の終わり頃ではないかと思います。

松田

それでは、わりとすぐですね。

永倉

そうですね。最初の動きは結構早かったんじゃないかと思います。

今井

始まったのは5月のこのへんで、工事の開始がここで、それで気がついて…。

永倉

工事そのものはすぐ止めたんですよね。

今井

止めたんです。それで説明会をしてもらって。

永倉

区としてはその説明会で了承を得て、また工事を再開しようと思っていたと思うんですが、我々が行って「工事の中を見せてください」と言って中に入ったら、アスベストが落ちていたわけですよ。これはだめだと。こんなに汚染されているのは異常だという話になって、そこからばたばたといろんなことが始まったという感じです。

今井

そのへんは永倉さんが入ったところを写真に撮りました。天井を撮った写真とかもあります。

永倉

落ちているアスベストを手でつまんで写真に撮ったりして、それが新聞に載ったりしたんですよね。

藤木

計測みたいなことはされたのですか。

永倉

計測はしていないです。それはしなきゃいけないということで後でシミュレーションやるんですけれど、そのときはとにかく工事を止めて、そこを囲って、子どもたちにアスベストがいかないように緊急対策をとれということで。

今井

本当に隣の部屋には0歳児がいるのに、間仕切りのあいだに槁があるような板だけで、工事が隣でやっていた。それで、とにかく子どもたちを安全なところに非難をさせてきちんと密封してもらうということをこの頃にやったと思います。

永倉

区としては専門家に説明をさせて、保護者の方たちに納得をしてもらおうということで。その専門家の説明を受けるのにも僕らが入って、そんな専門的に判断するということであれば、防護服でやってくれと。その上で科学的に安全だということを証明してくれみたいな話をして、それから検討委員会の設置に結びついた思うんですが。

今井

それが最初の計算だとすごい濃度だったんですね。それじゃ本当に命に関わるというような数値だったので。

永倉

もっと正確に測りましょうということで、検討委員会シミュレーションという流れになるんですが、最初はいろいろなことが毎日僕のところにも電話がかかってきたり、あの当時は区の職員がほとんどアスベストのことを知らなかったんですね。知識としても知らないし、どこに何があるという基本的な情報も知らなくて、むしろ保護者のほうがそういう情報吸収力が圧倒的に高かったんです。

今井

そのへんはわりと土地柄でお父さんとかお母さんとかが大学病院にいたので。そういうかたちで情報が広まっていったというのがありました。区のほうは保護者に対応するのが、当時は保育課の方で、保育課の方も工事のことには詳しくはないので、わからない。それで保育課に行っても当時は工事をやっている部署に訊くというたらい回しで。

永倉

それぞれが判断できないということで、ある種のたらい回しみたいになって、業を煮やしたお父さんたちが区役所に詰め掛けたりということが毎日のようにありました。

工事は止まったきりで膠着状態だし、区の職員も知識の面で保護者に論破されてしまうし、どうしようもなくなって区としてはやっぱり専門家を呼んだ検討委員会で何らかの結論を出してもらって打開しようというふうになっていったと思います。他にも同じようなケースはいろいろ扱うんだけれども、さしがや保育園というのはやっぱり事例として保護者の質が高いんですよ。情報吸収力が凄いし、そういう条件というのは確かにあった気がしますね。

今井

ただ、自分の子どもが被害に遭ったということを受けとめられない方とかもいて、何事もなかったことにしたいという思いもあって。

永倉

そうですね。思い出すとやっぱり内部的な矛盾というか、いろいろありましたよね。その調整役を今井さんが結構やっていましたよね。

今井

次の年は。ただわりとどうするか決まっているときに役員になったので。

松田

108人おられると、だいたい同じ年代の子どもさんが多いのでしょうか。

今井

3,4,5歳、だいたい上の3つのクラスが多いです。段々上になるほど、歩ける子たちなので、先生1人で見られる数が増えるので多いんです。本当の赤ちゃんは手がかかるので、人数が少ない。

松田

保護者のあいだでの温度差はどうでしたか。議論の争点は何だったのでしょうか。つまり、リスクに関する認識の差があったのでしょうか。つまり、これぐらいだと大丈夫じゃないかとか、そういう議論も中にはあったのですか。

今井

それはとくにないと思います。リスクに関して正しく判断ができた人はたぶんいないんですね。まだシミュレーションもやってないですし、どういう被害かもわからない状況なので、正確に判断した上での「うちは大丈夫」ということではなくて、聞きたくないというような感じで。もちろん保育園なので両親が二人とも働いているおうちですから、夜に保護者会があっても、「うちは忙しいからいい」という態度の方たちもいました。結果的に途中で工事を止めてもらって、天井を塞いでそのままのかたちで保育園を使うという判断を区はしたかったんですけれども、アスベストがあるところでは嫌だという声がわりと多くて。

改築をしてもらうためには他に移転をしなければいけない。そうすると遠くなるから、そんなことはできないという保護者ももちろんいました。それは役員の方たちが一生懸命説得をして、安全のために多少不便でも移ったほうがいいという説得をそれぞれの学年の役員にしてもらって、結果的に子育て広場という前に幼稚園だったところを人数が減ったので、地域の人たちに開放する場所として使っていたところを保育園に直してもらって、そっちに全員が移りました。

松田

それはいつ頃のことですか。

今井

夏休みぐらいから、5月。ゴールデンウィークに戻ってきたので、そのくらいの期間他に移転をして、そのあいだにアスベストを全部とって改築をしてもらいました。

永倉

その全部除去する直前に室内でシミュレーションをやって、濃度測定をやって、それをたぶん2日間ぐらいやったんです。そのデータをもとに、外に漏れないかたちにして、工事そのものをやってしまった業者からどういう工事を何分ぐらいやったかというのを全部聞き取り調査をして、その濃度測定の結果をもとに検討委員会がそこから延々とその評価をもとに続きました。

松田

それは先ほど言われていたような数値とだいたい同じぐらいだったのですか。

永倉

先ほど言われていたのは忘れてしまったのですけれども、シミュレーションで最大濃度とされていた濃度がずさんな改築工事の室内濃度と同等ぐらいで、そのぐらいの濃度が工事をしていた当該の部屋では出ていただろうということで、それが隣の部屋もしくはその隣の部屋にいくほどに薄まっていくわけですけれども、どれくらいの濃度がどのくらいの時間あったかということを算定した。そこに子どもたちがその部屋に何月何日に何分ぐらいいて、次の部屋には何分ぐらいいて、ということを全部算出して、そこから園児一人ひとりの曝露値を出して、曝露値から今度はリスク値を出したという作業をしました。

松田

それは108人の園児全員にやられたのですか。

永倉

全員にやりました。あと先生たちと職員にも数値を出して、相談の案内なんかも出したのですけれども、やはり責任を感じていられたのかあまり相談とかはされなかった。

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