神戸大学大学院人文学研究科倫理創成プロジェクト

アスベスト問題に関連する研究成果や情報

アスベスト被害聞き取り調査―田尻五郎氏 [2007-06-12]

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イントロダクション:アスベスト被害から現状まで

松田毅 (神戸大学大学院人文学研究科教授)

今回の聞き取り調査の目的から、今日は医学的なことに限らず、人生の中でアスベストの被害がどう表れ、それをどう感じられたかなど、そういったお話を具体的にして頂けたら、ありがたいと考えております。

特に、田尻さんは尼崎市の総評(*1)で事務局長を勤められた経歴をお持ちとのことですので、そのあたりのお話も伺いたいと思います。まずは、田尻さんのお歳や、出身地に関することを聞かせて頂けますか。

田尻五郎

私は1932年11月生まれで、現在74才です。出身地は、鹿児島県知覧(ちらん)町です。18才の時に上阪しまして、尼崎の大同鋼板(*2)に就職しました。

その頃朝鮮戦争が終結しまして、不況に突入しました。その煽りを受け、日本の基幹産業である鉄鋼業界の再編が起こったのですが、その真っ只中でした。日鋼室蘭や大同鋼板、尼崎製鋼など、あっちこっちで解雇反対の大きな労働争議が展開されていた時期です。

私が大同鋼板に入社したのは昭和26年で、詳しくは話できませんが、労働組合の執行委員に選出され、昭和30年に大同鋼板を解雇されました。

松田

それは何故ですか?

田尻

業界再編と、労働組合の活動が理由です。私だけではなく、組合の活動に参加していない多くの人達も解雇されました。私が入社した時分、2100人くらいいた従業員が、年々百人単位で従業員が解雇され、昭和30年の闘争時には1400人でした。そして、その闘争の結果は全員解雇という形で終結したわけです。

解雇されて、いわゆる「飯が食えない」状態ですから、今で言うアルバイトのようなもので、昭和31年の夏、日雇いの臨時工として野沢石綿セメント(株)神戸工場(*3)で、約2ヶ月間アスベストをほぐす作業をしました。当時はアスベストといえど危険物質でもなんでもありません。しかも、一応法律はありましたが、労働者に対する安全衛生対策は無きに等しい状態です。マスクも手袋もせず、直接触っていました。

その後しばらくすると、鉄道の枕木や橋梁がセメントでコンクリート化されて、セメントを扱う労働者がじん肺になるということがあった。私がアルバイトに行っていた野沢は、石綿とセメントを混ぜてスレートを作っていた会社ですから、同じようなものです。作業が終わって風呂に入り退門する頃には、体からジワーッとセメントが染み出してくるんですよ。

それでも毎年の健康診断で異常も無く、今日までやってきました。ところが、2005年の6月にクボタの会見、いわゆるクボタショックを機会に、(野沢でのアルバイトの件もあったので)精密検査を考えるようになった。あれこれ考えているうちに、去年の三月に熱を出しましてね。いつもは二、三日で下がるのに、その時は全然下がらなかったんです。

それで、県立塚口病院に行ったところ、即入院となり、発熱の原因を探る検査をしていたのですが、「胸膜に腫瘍の疑い有り」と言われ、呼吸器科で精密検査を受け、一度短い退院をはさんで、5月のゴールデンウィーク明けに再度入院し、入院の翌日に病理検査手術を行い、5月16日に悪性胸膜中皮腫が判明しましたが、「年齢的に手術自体は困難である」と言われました。

中皮腫が判明するまで、自覚症状というのが全く無かった。咳をするわけでもなければ、気分が悪くなるわけでもない。ずっと元気だったんです。私にとっては本当に突然のことでしたが、症状の推移をみながら対症療法で対処しようという事でしたが、担当医から「セカンドオピニオンという意味で、他の病院での診察を受けることも可能ですよ」と言われたんですね。私自身は心当たりが無かったのですが、その担当医に「京都大学で診察を一度受けてみてはどうか」と言われましてね。

それで、私は京大病院(*4)に行きました。そして京大病院に入院の上、家族を含めて説明を受け、6月26日に手術を受けました。それから2ヶ月の経過観察と、3週間ほどの静養を目的とした退院をはさみ、12月26日に退院するまで、3月の県立病院への入院から起算して、ちょうど200日入院の闘病生活になりました。一度の退院を経て、二度目の入院は、抗ガン治療です。化学療法は副作用が出ると副作用の治療をしないといけないので、私の場合は通常の半分の量で行い、治療計画書の半分で打ち切りました。

田尻夫人

抗ガン治療に関しては、抗ガン剤を投与するか否か、先生方の間でも意見は様々だったようです。それで、「体にダメージを与えることになるが、全量投与するか」というように意見を求められたのですが、「わからないので、お任せします」とお伝えしました。結局は、医師の判断で(投与は)途中で打ち切られたようです。

田尻

私はあまり詳しくは知りませんが、今、アメリカなどではガンの治療は手術から放射線治療に主流が移りつつあるそうですね。日本の場合も放射線治療はあるみたいですが、ガンの治療を目的とした放射線治療用の機器は少ないようです。そこで、目的に適う機器をアメリカから三台買い入れる計画をたて、うち一台が京大病院に割り当てられて、中皮腫に対して放射線治療を行う、という運びになった。つまり、中皮腫に対する放射線治療として、私が国内第一号に選ばれた様な結果で、これは非常に身体にだるさなどがでるきつい治療でした。他の種類のガンに対しては既に放射線治療を行われておりましたので、健康保険が利いたのですが、中皮腫に対しては、新方式の治療でまだ利かなかった。しかし、(治療自体は)私が頼んだわけではないので、(治療費は)大学側の研究費用で、治療を受けました。

退院当初は100mも歩いたら息切れがして、小休止を入れなければ、すぐには歩き出せない。精確に計測したわけではありませんが、今は300m程度なら大丈夫だと思います。毎日自分の足で歩くわけですが、介護保険の適用を受けて、五月から週三回の頻度でリハビリに通うようにもなりました。

松田

リハビリは、どのようなところへ通われているのですか。

田尻

介護保険のデイサービスです。

田尻夫人

整形外科がやっておりますので、スポーツジムにあるようなエアバイクやボート漕ぎのような器具を使って運動を行っています。

田尻

入院中に弱った筋力の回復が主目的です。日常生活には一向差し支えない、という(医師の)説明の下に手術を受けて、右肺の全摘出に踏み切ったわけですが、日常生活へ復帰するのに、こんなに長くかかるとは思わなかった(笑)。

外出する機会があれば、なるべく外に出るようにしているのですが、なかなか出歩きが出来ないんですよね。今度、6月30日、7月1日とシンポジウム(*5)がありますが、なんとか出席はしたいと思っていますが。奈良医科大学の車谷先生も、飯田さんも、組合運動をしていた関係で面識はあるので、もしアスベストに関するお話で私に協力できることがあれば、協力は惜しみません、と伝えておきました。

松田

現在は経過観察のような感じで通われている、ということでしょうか。治療そのものはもうされていないのですか?

田尻

はい、治療はしておりません。若干飛ばしたところもありますが、大体のあらすじはこのようなものです。

野沢での労働実態とその後

松田

少し遡って、昭和31年にアスベストを用いたスレートの製造に携わった時のことをお伺いしてもよろしいですか。例えば、アスベストの種類や、作業の内容などはどのようなものだったのでしょうか。

田尻

アスベストの種類は白石綿(クリソタイル)です。確か、青石綿(クロシドライト)は日本では発掘されないんですよね。全て輸入に頼っていたはずです。ですから、青を使いだしたのは、もう少し後ではないでしょうか。私は7〜8年、クボタの救済金支払い対象となる地域にも居住しておりました。

田尻夫人

(資料を参照しながら)えぇと、野沢石綿で働いていたのは、昭和31年の6月16日から8月28日までですね。そして、クボタ1km圏内に住んだのは昭和33年の10月から、昭和40年の11月までですね。

田尻

今は救済の対象範囲が徐々に広がりつつあるようですが、1km圏内には入っているはずです。

松田

ということは、環境曝露の可能性もあるかもしれませんね。

田尻

そうですね。ですが、病院の病理検査の分析時に石綿の種類までは調べていないんです。アスベストが出た、ということははっきりしているものの、その種類まではわからない。そこで、その分析を(奈良医科大学の)車谷先生がする様ですので、協力して分析していきたいと思っています。

松田

分析の結果は出ているのですか?

田尻

まだ出ておりません。青石綿という結果が出れば、クボタの環境曝露ということになるし、白石綿であれば野沢石綿が原因ですから、労災の申請が出来る。

松田

野沢石綿で働かれていた証拠は残っているのですか?

田尻

その件でも、野沢から「うちで働いていた証拠はありますか」と電話がかかってきました。そう言われても、こっちは野沢石綿の労務係長の風貌くらいしか記憶にない。名前すらわからない。そう伝えたら、野沢石綿は、労働基準監督署に、証拠が無いと連絡したようです。しかし、労働基準監督署が調査したら、記録が出てきた。ですから、働いていたという証拠はあるのですが、野沢石綿が認めるかどうか…。

田尻夫人

野沢石綿という会社自体が(労災という制度上では)無くなっていますから。

田尻

ただ、「ノザワ」と名前を変えて、今度はアスベストが使用された建造物の解体の方で、大きなメーカーになっているようですね。

松田

野沢で行っていた作業ですが、どのような様子で行われていたかを教えて頂けますか?

田尻

石綿は、「ドンゴロス」といって、麻袋に詰められた状態で、トラックに積まれて運ばれてきます。荷降ろしの段階から私たちが手伝って、そこからベルトコンベアで二階に上げられます。上げられた先に、石綿とセメントを混合する作業場があるのですが、そこでスレートに加工します。それがまた、簡単な装置なんです。ドラム缶のような容器に、プロペラのような攪拌機がついているだけで。そこに石綿を放り込むんですが、しっとりとして塊状になっているので、そう簡単にはほぐれない。だから、それを直接手でほぐしながら攪拌機に放り込んで、セメントと混合する別の機械に入れるんです。

松田

石綿が舞い上がるといったことは?

田尻

それはもう、舞い上がりますよ。ですから、(野沢石綿周辺で)クボタのように被害がそれほど出てこないのは、従業員、周辺住民の被害者の皆さんが亡くなられて、被害実態がわからなくなっているだけではないかと思います。

松田

同じ職場で何人くらい働かれていたのでしょうか?

田尻

20人程度ではないでしょうか。その内、私のようなアルバイトは5〜6人です。

松田

その頃はまだご結婚はされてなかったのですか?

田尻

しておりませんね。野沢石綿で働いていたのは今から52年前、ですから実際に働いてから51年目にして初めて病気が判明したわけです。

松田

その間、全く気にしたことはなかった?

田尻

気にはなっていたのですが、健康診断では常に異常なしで、最近では風邪程度でもレントゲンを撮りますが、そのレントゲンでも異常がでたことはなかった。胸に異常がある、と言われたことも一度もなかった。危険物質であるかどうかはともかく、石綿はじん肺に関係がある、といったことは認識しておりましたので、クボタショックが起きてから、精密検査の必要性は感じていました。実際には、自主的に精密検査を受ける前に判明したのですが。(自覚症状が無いので)中皮腫という病気は、そうとわかった時にはもう手遅れの場合が多いと思います。

松田

以前、聞き取り調査でお話を伺った方の中に大工さんがおられまして、その方の場合は、淀川で健康診断を受けた際に、たまたま担当の医師が目利きだったようで、レントゲン写真に写った白い影に気づかれたそうです。その結果を持って、済生会病院にて精密検査を行ったところ、(中皮腫が)明らかになったというお話でした。ですから、健康診断で明らかになるケースもあるようです。ただ、医師がそのような目で見ないと見つけられないといったこともまた、事実のようです。

田尻

医師から説明を受けたことがありますが、説明を受けた後でも、私たちの目では、レントゲン写真からではわからない。CTスキャンの画像ならばわかりますが。

松田

本当に、青天の霹靂(へきれき)ですね。

田尻

50年間、手術するまで何の自覚症状もありませんでしたからね。体がだるいわけでも、咳や痰が出るわけでもありませんから。

田尻夫人

今でも、咳は出ませんね。他の肺ガン患者の方なんかは咳もして、痰も出しておられるようですが。

藤木篤(神戸大学大学院人文学研究科博士課程後期課程)

タバコは吸われないのですか?

田尻

22、23歳頃から、タバコは吸っていました。兄が肺ガンにかかったのをきっかけに止めたのですが、現在は禁煙して6年目に入ります。一本たりとも吸えないというのは、最初は辛かったですよ(笑)。

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