神戸大学大学院人文学研究科倫理創成プロジェクト

アスベスト問題に関連する研究成果や情報

アスベスト被害聞き取り調査―中村實寛(さねひろ)氏 [2006-09-25]

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松田毅 (神戸大学大学院人文学研究科教授)

前回はいろんなお話を伺いました。最初の生い立ちから始めて、大阪に出てこられて、どんな仕事をされてて、ご病気がわかった。大体そんな感じですね。

前回のことで何か付け加えがありましたらそれを最初に伺って、その後で、ご病気がわかったところから、例えば去年のNHKの番組に出られて尾辻前大臣とお話されたこととか、現在の運動だとか、日頃の中でのアスベストの問題の見方をうかがったらいいかと思います。

前回のお話に付け加えられることはございますか。

中村

別に、あれぐらいでいいです。

松田

それでは病気がわかったところからお話しいただけますか。前回もカルテを見せていただいたんですが、病気がわかったのはいつですか。

中村

2003年平成15年の健康診断2月14日、再検査したのが3月4日です。北摂の総合病院です。

松田

健康診断を受けられて北摂の総合病院で再診されて、その後の経過というのはいかがでしたか。

中村

おおまかには、一週間に一、二回の検査それまでは内科だったんですが、4月の中頃、呼吸器外科の方に回されて、呼吸器外科の方で検査を続けて、生検、細胞検査しましょうということで、5月2日に細胞検査しました。その日のうちに病院独自の病理組織検査で悪性胸膜中皮腫という診断が下りまして、5月の27日に右胸膜の全摘手術をしました。

松田

この健康診断があって、再診があって、生検があって、手術というのは三ヶ月ちょっとくらいでしょうか。

中村

そうですね。三ヶ月弱ですね。

松田

普通のペースでいくと中村さんの場合は速いのか遅いのかどうなんでしょう。

中村

いろんな方の話を聞いてみた結果、最初の健康診断を受けた時の先生が、おそらく中皮腫という方向に診断されたようです。それで多分、紹介状に書いて下さった。多分というのは、僕は紹介状の内容を見ていないから分かりませんが。それが一番の早期発見ていうんかな、一番の要因じゃないんですかね。

ですから一番最初健康診断受けた淀川健康管理センターですね。ここの内科の先生の見立てが良かったと僕は思っているんですよね。それ以降も北摂の総合病院もテキパキとやってくれたんで約二ヶ月の検査で一応手術に向けて動こうかという判断でたんで早かったんじゃないかと。

いろんな方の話を聞いてみたら、診断が出るまでに例えば、半年とか一年とか、いろんな病院を転々とされてる人が多いんですよね。そこらを考えたら僕の場合は総合的に早かったんちゃうかなと。

松田

手術があったのは平成15年の5月ということで、手術後で言うと(現在は)3年くらいですね。立ち入ったことを聞いて申し訳ないのですが、その後の経過はいかがでしょうか。拝見しているかぎりお元気そうなのですが。

中村

検査は一応ずっと受けてまして、最初は二ヶ月に一回レントゲンとCT撮ってましたそれから一年ぐらいしたら三ヶ月に一回撮って、そして、最近は今年になってから半年に一回のレントゲンとCTの検査になったんですけどね。診察は月に一回あるいは二回行ってるんですけど。

松田

それは北摂の病院ですか。

中村

はい。

松田

術後としてはいい感じですね。

中村

はい、ずっと落ち着いている感じですね。

松田

一般には、術後が悪い場合が多いと聞いているんですが。

中村

手術するまでに時間がかかったりして。

松田

進行したりしていたということですか。

中村

そうですね。それで無理して、手術したり、とかいう人が多いみたいですね。だから手術後の経過というのは思わしくない人が多いみたいですね。

松田

中村さんの場合は早期発見が良かったということですね。

中村

そうですね、そうだと思います。僕の場合は肺の下の方だけでしたんで、普通と言いますか、いろんな人の写真を見せてもらうと全体がまだらになっている人が多いんですよね。僕の場合は、裾野の方の下の方だけだったんで、そういう点も初期治療っていいますか、速いほうやったんかなと。

そやけど、進行している状態で手術されている方が術後がちょっと芳しくない人が多いみたいですね。

松田

病気のことは専門家ではないので分かりにくいのですが。セカンドオピニオンなどに関しては、今回の場合はいいお医者さんで断定してくれて、特に必要なかったということですね。

中村

僕の場合は必要なかったし考えもしなかったけど、いろんな人には相談受けたらセカンド・オピニオンで違う病院行ったらどうですか、って最近は言えるようになったんですけどね。

松田

次に労災などの問題もあると思いますが、今、患者と家族の会に関わられるようになったきっかけと経緯をお話し願えますか。

中村

きっかけはですね。僕がこの病気になって社会保険の傷病手当をもらって生活していたんですよ。傷病手当と言うのは18ヶ月で支給が打ち切られるんですよ。そうしたら収入が何もなくなってくるので、インターネットでいろいろ調べていたら、石綿イコール中皮腫、中皮腫イコール石綿ということがわかって、それやったら僕は建築関係やったからなんぼでもアスベストあったわなぁ、と。それからひょっとしたら労災になるん違うかなと。それでなかったら収入が途絶えたら生活もやって行かれへんし。

それから始まって、それで労災を手伝ってくれるとこないかな、と探してたら、関西労働者安全センターに行き当たって、電話したら、古川さんが出られて、一回話詳しく聞かせてくださいということで、安全センターに出向いて、資料とか持っていったんですよ。そしたら、病名が二つあるなぁということで、胸膜腫瘍と中皮腫と。どっちか確認してくださいということで、病院の先生に聞いたら、中皮腫ですよと言われて。そしたら労災の申請をしましょうということになって、16年の1月21日申請して、7月29日付で労災認定になったんです。

そのまま古川さんありがとうございました、片岡さんありがとうございました、言うて、さようならしてもよかったと思うんですけど。やっぱり世話になったんで。古川さんが患者と家族の会の準備会みたいな名刺作ってはったんで、ひょっとしたらなんかそういう運動するんやろなと。古川さん何か手伝う事があったらさせてください、ということで。患者と家族の会が翌年16年の2月7日に発足したと。そのときに西日本で広島のKさんという方と古川さんと僕の三人が会員だったんですよ。

ですから、まあきっかけというのは、古川さんに労災のお手伝いしていただいた、それの恩返しじゃないけど、なんかお手伝いすることがあったらということではじめたのがきっかけですね。

松田

手術を受けられたのが平成15年の5月ということですから、その後、傷病手当の支給が切れるということで、調べているうちに行き当たったということですね。

ところで前回ちょっと出てきた、病名が二つあるということなんですけれども、医学的にいうと、その二つの病名の違いっていうのは何か説明されましたか。

中村

いや、聞いてません。聞きたくもないし。

松田

そうですか。病名の問題っていうのは何か難しい問題があるのですか。

中村

どうなんでしょうね。たぶん同じだと思って主治医の先生が。実際は、中皮腫でも腫瘍なんですよね。ですから胸膜腫瘍っていう発言が記録として残っただけかなと思っているんですけども。

松田

話を戻しますが、(患者と家族の会を)最初三人で始められたということなんですけども。

中村

西日本だけでね。全国では12人くらい。多分。

松田

古川さんはどんな方かわかるんですけども、Kさんはどんな方でしょうか。

中村

Kさんは船会社ですね。元船員さん。船乗りで中皮腫になって、最初はアスベストが原因とわからんと、古川さんがやっぱり。一番最初古川さんが手がけた人なんですよ。労災のお手伝いをした方です。

それで、広島まで行って病床のKさんの話を聞いて、いろんな話を聞いて、労災になるんちゃうかな、いうことでいろいろ動いたら、やはり船員保険課っていうんですか、そういう組合があって、そこでいろいろ交渉したらしいんですよ。でもとりあえずは認定になって。

それで、船員保険には、例えば、僕らをはじめとして、ハツリ屋とかああいう職業の人らがじん肺になったら、健康管理手帳が配布されるんですよね。その一方で、船乗りの人らは健康管理手帳っていうのが今までなかったらしいんですよね。だからそういう診断が下っても全部実費で自分の健康保険使って診察を受けんといかんかったと、今までは。

それがKさんが労災申請なったと同時に、郵船OB会が働きかけて、船会社の組合にも健康管理手帳つくってくれと叫びだして出来たんですよね、去年。それも画期的なことなんですよね。それもみんなで声を挙げて出来たシステムなんですよね。

松田

平成16年の2月に会が発足されて、その後の、今年が18年で、去年が17年でクボタの問題がクローズアップされて我々も大きな関心を持ったんですけれども、16年の段階では、どんな形のことをされていたのですか。

中村

16年はほとんどがたぶん、古川さんと僕とが話をしてたんですけども、患者と家族の会が発足したけど、たぶん西日本では10人くらいしか集まらんやろうなと。会員さんは。そういう会話しとったんですよ。

それが新聞とかテレビとかで会が発足したと報道されて、そういう話を聞いたって言うて古川さんとこに色んな相談がきだして、2004年の秋には西日本で8人か9人の会員さんになったんですよね、半年足らずで。それでこれは大変なことになるかも知れんな、言いながらやってたんですよ。

それで2004年の世界アスベスト東京会議。11月19日から21日ですね。是に参加させてもらって患者と家族の会のブースを設けさせてもらって。それがまず患者と家族の会の大きな事ちゃいますかね。

(世界アスベスト会議の資料を見せていただく)

中村

東京会議で発表させていただきまして、発言して。

松田

会に人が集まってきたのはマスコミに取り上げられて、という感じが多いのですか。

中村

そうですね。やはり一番最初暮れにNHKのラジオで内アナウンサーいう人が取材したやつ、2月7日の会が発足しましたというのを再放送みたいな形でやったらしいんですけどね。それを聞いた人が親戚に、「おばさん、NHKのラジオで家族の会みたいなんがあるみたいやで」、言うて。そういう連絡いって。

そこで患者と家族の会の関西で、関西労働者安全センターいうんがやってるらしいってラジオで聞いて、そんで古川さんに連絡が来た言う人が多いんですよね。それから、他には、病院に入院しとって、同じ病気やなぁっていうので、いろいろ情報集めしとって、口コミで広がったいうのも多いですね。

松田

いわゆる掘り起こしというところで、人数が三人から始められて、自分達で調査してというのはなかったのですか。

中村

当初はそれは全然なかったですね。ただ僕みたいに古川さんとかに相談してくるのを待ってるような状態だったんですよね。それが口コミでいろいろくるようになって。ですから、マスコミの報道の強さって言うんですか、これが大きかったと思いますね。

松田

現在ではどうですか。かなりいろいろ報道されて、会もなかなか大きくなってて、ホームページも立派なものが・・・。

中村

いえ、立派なものじゃないですけども・・・。

松田

そうですか、外から見てるとすごく内容があるので。

中村

やはり、かなり最近は増えてきているんですよね。

松田

関西だけで何人ぐらい会員の方がおられますか。

中村

関西で、多分、毎日更新されてるみたいやから、今180から190ぐらいちゃうかな思うんですけど。この間の6月の総会のときで178ぐらいやったんで、もう180、190くらいになってるかもわかんないですね。

松田

全国で言うと、もう1000とか。

中村

いや、全国で385でしたね、こないだの総会のとき、6月の中時点で。ですから、関西が多いということは、やはり尼崎と兵庫支部が圧倒的に去年の6月以降ポコポコポコっと、クボタ事件以来でてきましたんで。

松田

やっぱり全国的に見ても関西、特に兵庫とか尼崎が運動的には結集してるということでしょうか。

中村

そうですね、みんながその気になりましたんで。周りが、自治体も盛り上がってきましたし。

松田

地方、西日本というレベルで考えた時にはまだまだですか。

中村

まだ薄いですね、認識が。まずアスベストの危険性に関しても認識が薄いですね。特に僕は鹿児島出身なんやけど、九州に行ったらほとんど認識が薄いから。

松田

一週間ぐらい前、三ヶ所、政府が調査するということで、鳥栖(とす)も一応、挙がってはいたんですが、鳥栖はどうですか。

中村

鳥栖(とす)はまだそんなに尼崎みたいに熱くなってないみたいなんですよね。まず会社がちょっと前に、クボタと一緒なんですけども、やめてる。製品の製造をやめてるんですよね。

松田

水道管のようなものですか。

中村

はい、水道管みたいな。会社自体はあるんですけども。やはりクボタは古川さんが火つけて焚きつけたと。それでもう一般の主婦の人が被害者がおったいうんで、みんながビックリして燃え上がったというのが現状ですから。

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