アスベスト被害聞き取り調査―今井桂子氏 [2009年2月27日] 永倉冬史 (中皮腫・じん肺アスベストセンター事務局長): ずっと先生たちはアスベストと被害に関する調査をいろいろな側面でされていて、今回に至っていると思うんですけれど、今回までの経過について説明してもらえますか。 松田毅 (神戸大学大学院人文学研究科教授): 永倉さんにも執筆していただいています、『倫理創成研究』という雑誌を出しています。その第2号でも報告していますが、今、日本とフランスで学際的な研究、哲学だけではなく、社会学、地理学、日本史の研究者、そして医学者、疫学者でアスベスト被害に関する共同研究をやっています。 そのような関心からも、今回、さしがや保育園のアスベスト被害の事件に関して出版されたご本『パパ・ママ 子供とアスベスト さしがや保育園 アスベスト災害の軌跡』(飯田橋パピルス、2008年12月刊行) を非常に、興味深く読みました。尼崎の事例でも、環境暴露をされ、20歳代で中皮腫を発症をされて、亡くなられている方も実際おられるようです。子どものアスベストリスクがあらためて重要な問題であると考えています。 特に本の中で画期的な専門委員会が行われていた点も興味深く思います。例えばリスク・コミュニケーションのために専門家とさしがや保育園の保護者が一緒に委員会を開き、最終的には要綱や協定も結ばれている点。あるいは健康相談や心理相談、メンタルケアもされているということで、きわめて総合的に対応されていることに感心しましたので、そのあたりの詳しいお話を聴けたらありがたく思います。 また1999年の時点では、まだ一般にアスベストの詳しい知識をそんなに多くの方がもたれてはいかった、と思うのです。正直、よく気づかれたなと思います。最初に気づかれた方がどういう前提、知識をもたれていたのか、に関心がああります。ですから一連のプロセスを時系列を追って、どういうところで気づかれ、何が問題であったのか、お聞きしたいと思います。 さらに差し障りがあるかもしれませんが、子どもさんがどう感じているか、親御さんが子どもさんにどういう言葉をかけて、どう説明をされているかも興味があります。 まず、最初に気づかれた方がどういう方でどういうバックグラウンドを持っていらっしゃったのかということをお話していただければと思います。 今井: それについては私はあまり詳しくはないんですけれども、工事が始まったときに保護者が父母会に早めに行って、窓が開いているのにまず気づいたというのが最初です。天井がはがれているのに気がつかれて、その方がどういう工事なのかということで質問をしたら、天井ははがさない壁にも触らないという説明をされた。なのにはがれているということに気がつかれたので、彼女が「どうして天井がはがされているの?」というようなことから始まったんです。 松田: その方は以前にアスベストの問題に関して何か知識を持っていらっしゃったのでしょうか。 今井: それはちょっと私にはわかりません。個人的にお話をしたことはないお母さんだったので。 松田: その方は今、検討委員会などに残られていらっしゃいますか。 今井: 今は全然来ていらっしゃいませんね。 藤木篤 (神戸大学大学院人文学研究科博士後期課程): その方が気づかれるまで、保護者側に説明はなかったのでしょうか。 今井: 基本的に改装程度はやらないんだそうです。でも保護者会でも工事全体の説明はたぶんなかったんじゃないかな。ただ部屋が少し変わるとか、出入りの場所が変わるとか、そういうことに関して説明がありました。 松田: その最初に気づかれた方が説明を求めて保護者会で質問されたときの、他の保護者の方の反応はどうだったのでしょうか。すぐに「そうだそうだ」という感じになったのでしょうか。 今井: 最初の保護者会では工事のやり方に関する説明会だったので、どこまでやるのかということに関して話があったんですが、たぶんほとんどの方、私もなんですけれども、そんなにアスベストのことには詳しくはないので、天井をはがさないから大丈夫という説明に納得したというか、「それで大丈夫なら、安全にやってください」ということしか思わなかったと思います。区がやる工事なので、まさか杜撰なことはしないだろうという安心感がありました。 松田: それが実は杜撰で、ちゃんとやられていない点が運動のきっかけになったのでしょうか。保育園側がちゃんとやりますと言ったのだけれども、実際にはそうなっていなくて、工事現場みたいなところから問題が始まったということでしょうか。 今井: そうです。 松田: そのときにアスベストについての認識がどういうかたちで広がっていったのでしょうか。 今井: アスベストというキーワードが出てからは、わりとすぐにNさんがアスベストについて説明をしてくださったと思います。 松田: Nさんですか? 今井: はい、父母の会の役員をされていて、そこでスライドを使って説明をしてくださいました。 永倉: 最初の頃、Nさんからアスベストのことを聞いて、それはなんだろうかということで、医学雑誌か何かをかなりダウンロードして片端から読んだらしいんですよ。そうしたら、やっぱりすごく危険なものだということがわかって、これは尋常じゃないということにNさんが最初に気づいたんです。それで、Nさんがその話を他の保護者の方にも伝えて、保護者の方々が区役所に「説明しろ」というふうに、話を聞きにいきました。 NさんはNさんで、なんとかしなければいけないということで自分の伝手をたどって我々のところにいらしたということです。最初の段階はこんな感じだったと思います。それで、Nさんは個人的にお知り合いだった全国区の安全センターというところの議長をされている先生に連絡を取って、その先生はアスベストの具体的な話を今日来ていた西田さんにお話されたんです。今度は、西田さんが今日みたいな全国会議で「こんな話があるんだけれども、永倉君行ってみないか」ということで、西田さんと二人で保護者説明会に入ったんです。そこで区の説明を聞きました。99年の終わり頃ではないかと思います。 松田: それでは、わりとすぐですね。 永倉: そうですね。最初の動きは結構早かったんじゃないかと思います。 今井: 始まったのは5月のこのへんで、工事の開始がここで、それで気がついて…。 永倉: 工事そのものはすぐ止めたんですよね。 今井: 止めたんです。それで説明会をしてもらって。 永倉: 区としてはその説明会で了承を得て、また工事を再開しようと思っていたと思うんですが、我々が行って「工事の中を見せてください」と言って中に入ったら、アスベストが落ちていたわけですよ。これはだめだと。こんなに汚染されているのは異常だという話になって、そこからばたばたといろんなことが始まったという感じです。 今井: そのへんは永倉さんが入ったところを写真に撮りました。天井を撮った写真とかもあります。 永倉: 落ちているアスベストを手でつまんで写真に撮ったりして、それが新聞に載ったりしたんですよね。 藤木: 計測みたいなことはされたのですか。 永倉: 計測はしていないです。それはしなきゃいけないということで後でシミュレーションやるんですけれど、そのときはとにかく工事を止めて、そこを囲って、子どもたちにアスベストがいかないように緊急対策をとれということで。 今井: 本当に隣の部屋には0歳児がいるのに、間仕切りのあいだに槁があるような板だけで、工事が隣でやっていた。それで、とにかく子どもたちを安全なところに非難をさせてきちんと密封してもらうということをこの頃にやったと思います。 永倉: 区としては専門家に説明をさせて、保護者の方たちに納得をしてもらおうということで。その専門家の説明を受けるのにも僕らが入って、そんな専門的に判断するということであれば、防護服でやってくれと。その上で科学的に安全だということを証明してくれみたいな話をして、それから検討委員会の設置に結びついた思うんですが。 今井: それが最初の計算だとすごい濃度だったんですね。それじゃ本当に命に関わるというような数値だったので。 永倉: もっと正確に測りましょうということで、検討委員会シミュレーションという流れになるんですが、最初はいろいろなことが毎日僕のところにも電話がかかってきたり、あの当時は区の職員がほとんどアスベストのことを知らなかったんですね。知識としても知らないし、どこに何があるという基本的な情報も知らなくて、むしろ保護者のほうがそういう情報吸収力が圧倒的に高かったんです。 今井: そのへんはわりと土地柄でお父さんとかお母さんとかが大学病院にいたので。そういうかたちで情報が広まっていったというのがありました。区のほうは保護者に対応するのが、当時は保育課の方で、保育課の方も工事のことには詳しくはないので、わからない。それで保育課に行っても当時は工事をやっている部署に訊くというたらい回しで。 永倉: それぞれが判断できないということで、ある種のたらい回しみたいになって、業を煮やしたお父さんたちが区役所に詰め掛けたりということが毎日のようにありました。 工事は止まったきりで膠着状態だし、区の職員も知識の面で保護者に論破されてしまうし、どうしようもなくなって区としてはやっぱり専門家を呼んだ検討委員会で何らかの結論を出してもらって打開しようというふうになっていったと思います。他にも同じようなケースはいろいろ扱うんだけれども、さしがや保育園というのはやっぱり事例として保護者の質が高いんですよ。情報吸収力が凄いし、そういう条件というのは確かにあった気がしますね。 今井: ただ、自分の子どもが被害に遭ったということを受けとめられない方とかもいて、何事もなかったことにしたいという思いもあって。 永倉: そうですね。思い出すとやっぱり内部的な矛盾というか、いろいろありましたよね。その調整役を今井さんが結構やっていましたよね。 今井: 次の年は。ただわりとどうするか決まっているときに役員になったので。 松田: 108人おられると、だいたい同じ年代の子どもさんが多いのでしょうか。 今井: 3,4,5歳、だいたい上の3つのクラスが多いです。段々上になるほど、歩ける子たちなので、先生1人で見られる数が増えるので多いんです。本当の赤ちゃんは手がかかるので、人数が少ない。 松田: 保護者のあいだでの温度差はどうでしたか。議論の争点は何だったのでしょうか。つまり、リスクに関する認識の差があったのでしょうか。つまり、これぐらいだと大丈夫じゃないかとか、そういう議論も中にはあったのですか。 今井: それはとくにないと思います。リスクに関して正しく判断ができた人はたぶんいないんですね。まだシミュレーションもやってないですし、どういう被害かもわからない状況なので、正確に判断した上での「うちは大丈夫」ということではなくて、聞きたくないというような感じで。もちろん保育園なので両親が二人とも働いているおうちですから、夜に保護者会があっても、「うちは忙しいからいい」という態度の方たちもいました。結果的に途中で工事を止めてもらって、天井を塞いでそのままのかたちで保育園を使うという判断を区はしたかったんですけれども、アスベストがあるところでは嫌だという声がわりと多くて。改築をしてもらうためには他に移転をしなければいけない。そうすると遠くなるから、そんなことはできないという保護者ももちろんいました。それは役員の方たちが一生懸命説得をして、安全のために多少不便でも移ったほうがいいという説得をそれぞれの学年の役員にしてもらって、結果的に子育て広場という前に幼稚園だったところを人数が減ったので、地域の人たちに開放する場所として使っていたところを保育園に直してもらって、そっちに全員が移りました。 松田: それはいつ頃のことですか。 今井: 夏休みぐらいから、5月。ゴールデンウィークに戻ってきたので、そのくらいの期間他に移転をして、そのあいだにアスベストを全部とって改築をしてもらいました。 永倉: その全部除去する直前に室内でシミュレーションをやって、濃度測定をやって、それをたぶん2日間ぐらいやったんです。そのデータをもとに、外に漏れないかたちにして、工事そのものをやってしまった業者からどういう工事を何分ぐらいやったかというのを全部聞き取り調査をして、その濃度測定の結果をもとに検討委員会がそこから延々とその評価をもとに続きました。 松田: それは先ほど言われていたような数値とだいたい同じぐらいだったのですか。 永倉: 先ほど言われていたのは忘れてしまったのですけれども、シミュレーションで最大濃度とされていた濃度がずさんな改築工事の室内濃度と同等ぐらいで、そのぐらいの濃度が工事をしていた当該の部屋では出ていただろうということで、それが隣の部屋もしくはその隣の部屋にいくほどに薄まっていくわけですけれども、どれくらいの濃度がどのくらいの時間あったかということを算定した。そこに子どもたちがその部屋に何月何日に何分ぐらいいて、次の部屋には何分ぐらいいて、ということを全部算出して、そこから園児一人ひとりの曝露値を出して、曝露値から今度はリスク値を出したという作業をしました。 松田: それは108人の園児全員にやられたのですか。 永倉: 全員にやりました。あと先生たちと職員にも数値を出して、相談の案内なんかも出したのですけれども、やはり責任を感じていられたのかあまり相談とかはされなかった。 藤木: リスク値の算出方法は、1999年時に使われた計算式と同じなのでしょうか。 永倉: 曝露濃度からリスク値を出す計算式というのは変わっていないんですね。今は新たに刷新されていなくて、それはアメリカのEPAとかいくつかの機関が同じような曝露対リスクの計算式というかグラフを出しているんですけれども、それに当てはめて一番リスクの高い数値を読み取ったはずですので、その曝露対リスク値のグラフは当時から今までそのままです。今後刷新されるかどうかはわからないけれども、今のところはそれが唯一のリスク計算式です。 今井: そこからどれだけ漏れたかとか、どっち向きに風が吹いたかとか、という記録はもちろんないので、どのくらいであったかという計算をしました。 永倉: そこの曝露値に関しても委員会の中で揉めたんですけれども、その曝露値からリスク値が自動的に出ているんですけれども、どのくらい曝露したかという評価に関して委員会の中でかなり意見が分かれて、それが延々と203年かかりました。なかなかそこは非常に難しい式とかが出てきて。積分なんかも何十年ぶりかにやってみたり。 松田: 委員会の話が出たので、保護者の参加の仕方はどのようなものだったのでしょうか。例えば、委員会の構成員は何人ぐらいだったのでしょうか。 今井: 最初の委員会は保護者が委員としては出ていませんでした。傍聴できただけで発言権はないです。ただ名取先生たちに個人的に情報を教えてもらって。 永倉: それで、手を挙げて言うんだけれども、自分で何を言っているかよくわからないと。最初の委員会は11人か12人かの構成で、そこに保護者推薦枠というのを作って、そこに名取さんと僕と古谷さんと3人入ったんですね。専門家の先生が8人か9人いました。 松田: 専門家は誰が選んだのですか。 今井: 区です。 永倉: 今でこそ、いろいろな委員会に出ている先生方ですけれど、当時はいろいろ調べ上げて、来てもらいました。遠山先生だったり、内山先生だったり、今の厚生労働省とか環境省の委員会に出ていらっしゃる先生方です。あと三浦博太郎先生は名取さんが自分のお師匠ということで、連れてきた方で、それなりに委員会の中での駆け引きは多少あったんですけれども。 松田: 例えば区が自分たちにとって有利なように選んだ人というわけでもなかったのですか。 永倉: いえ、そういう意識はないと思いますけれども、当時環境での曝露というのは専門家のあいだでも低く評価されていたということもある思うんですけれども、要するに僕ら以外に誰を呼んでも同じような評価の対決にはなったと思います。そういう意味では意図的に集めたという感じはあまりしません。ただ、逆に推薦枠で僕らを入れたというのは画期的だったかもしれませんね。 今井: Aさんがかなり言っていたんですよね。 永倉: そうそう。彼が推薦枠で入れろということで交渉して。 今井: 当時は区に対する不信感が凄かったので、任せておいたら自動的に区のいいような値を出す人たちを集めるに違いないと皆が思ってしまっていたので、保護者が推薦する人を入れてくれということを安藤さんが言いました。 松田: それがあるときから保護者も入れるように変わったのですか。 今井: 委員会の報告書が出て、そこから先は曝露量とかの計算ではなくて子どもたちの健康対策をするという委員会に変わった瞬間に保護者が入った。 永倉: 委員会がひとつ終わって、次の委員会に引き継がれたんですね。最初の委員会というのは健康被害をどう評価するかという委員会で、それが2004年に結論を出して区長に送信を出して、それで区長がその送信を受けて健康対策をしなければならないという結論を出して、それで新たに健康対策の委員会をそこで立ち上げて、委員は引き継がれたんですけれども、その中に保護者が2人ずつ入っていました。 今井: 私とMさんが入りました。 永倉: 任期が2年で、2年で交替というような条件で、保護者がそこで始めて入ったんです。検討委員会はずっと続いていて、子どもたちの曝露とかいろいろな評価について議論をされたんですけれども、そういった状況に置かれている保護者に対してのメンタルケアが全くなされていなかったんですよね。それをしなきゃいけないということで、次の委員会の中でメンタルケアについて提案をされて、それが当初は月に1回だったかな、土曜日に匿名で相談を受けたい人が私のほうに連絡をして、私のほうで時間を設定して来てもらって、それで委員の中の先生方とメンタルケアの話をするという体勢が始めて後の委員会でとられたという経緯です。 今井: 健康手帳というのを作っていただいて、そこに自分の子どもの曝露量を書いてもらうことができるんですね。その値がいくつかというのを認めてもらわないと貰えない。その子どもの曝露量の説明をしてくれる先生がいて。それから相談を聴いてくださるというカウンセラーの方が来て、相談ができるという体勢が次の委員会までにできました。 松田: そういう委員会の構成とか組み立ては当初から決まっていたことですか。それとも最初の委員会ができたときにはもうそれで終わってしまったけれども、いろいろな議論がされる中で保護者を入れるような話になったのか。 永倉: 最初の委員会の結論の中で、やっぱり子どもたちがアスベスト曝露したことは間違いないと。それでそれは長期的に健康対策をとらなければいけない、とるべきだという方針を区長に対して出したんです。区長はそれを受けて長期的な健康対策が必要であれば、その健康対策に特化した委員会を長期的にやろうという判断でまた作ったんだと思います。最初からあった話ではないです。 その中に健康対策委員会を作るのであれば、やはり保護者を入れなければ、内山先生が確か途中からリスク・コミュニケーションという言い方をしだしたのだと思いますが、最初の委員会の中で委員会の位置づけという話についてどこかで議論がなされて、リスク・コミュニケーションという考え方が今欧米で一般的にされているという話を内山先生がなさって、これはこういう意味ですよという話があって、僕はそのときに初めてそういう考え方を知ったんですけれども、その委員会そのものをリスク・コミュニケーションの場にしようということがあって、当時はただの傍聴だけだったんだけれども、でもやっぱりお母さん方が必ず参加できる時間帯にやろうということで、午後7時とか遅い時間にやったんですよね。 それで、委員会が引き継がれたときにリスク・コミュニケーションの一環としてやっていこうという話が引き継がれて、その中で保護者もその中に参入させようという話にたぶん繋がったと思います。 今井: 最初の委員会が行われている最中に、保護者は何か保障してほしい、子どもたちの健康を区が面倒を見てくれるという制度を作ってほしいということを、要綱とか要望とかというかたちでずっと出し続けていたのが、最初の委員会が終わった後ですぐ。なかなかそれも進まなかったんですけれども、そのまま出したら議会を通らないとかいろいろな話が出てきて、結果的に次の委員会になったときに、その委員会で話をしていただいて出来上がった要綱が今動いている。その要綱で健康対策を区がやっていくという保障がやっとやっとできました。 永倉: 最初は保護者の方とかも要綱とか条例とかいろいろランクがあるらしいんだけれども、要綱というレベルだと区にある程度勝手に変えられてしまうと。それだと、将来自分たちの手が届かない段階になったときに、勝手に変えられてしまうと意味がないということで、要綱ではだめだという議論になって、課と言って条例は難しいということで、区と個人が協定を結ぶというかたちに、これもかなり揉めたんですけれども、収まったんですね。だから、今保護者と区はその協定を結んでいるんです。 今井: 「そこまでは」と思っている方は要綱で守られているというかたちで、いつでも協定に変えたいんだったら変えられるというふうに区は保障しています。 永倉: その文章を作って、法案を作ってというような作業も結構何ヶ月かかかったんですよね。ワーキング・グループで僕が参加してやりました。 今井: どこまで書いてもらうか、法律的にそんなことが書けるのかということもわからないので、最終的には区の中のことなので、法律の方たちに先陣に立ったという。 松田: この時系列の年表を見ていても保護者による提訴の話が重なっていて、それは同時進行的なものだったのでしょうか。 永倉: そうです。あれは前の委員会で業を煮やしてしまった保護者が2世帯3人で提訴したんです。それで、裁判自体は被害者がまだ出ていないアスベスト被害ということでかなり難しいだろうという予測があったんだけれども、健康委員会での詳細なシミュレーション結果とかがかなり裁判所に対して効果を発揮したと思うんですけれども、和解なんだけれども、区の非を認めて、区の損害賠償も認めて、将来の健康対策も指示するような和解策で。だからかなり勝利的な和解だということだと思います。それがまた区のほうに影響を与えた。区が負けてしまったということで、これは司法でもそういう判断が下されたということで、区のほうもそれから協定案という話に繋がりました。 今井: 区の担当者が誰かというのもかなり大きいと思います。今の方はとっても理解を示してくださったのですが、中には何を言っても罵倒されて、聞いてくださらない方もいらっしゃるので、録音しようかと思ったぐらいです。 松田: 本の中には弁護士さんが出て来られるのですが、この方は裁判の弁護を担当されたのか、それとも何か他にもされたのでしょうか。 今井: 相談はずっとしていました。 松田: 裁判での弁護は別の方ですか。 永倉: いえ、両方されています。今でも先生はアスベスト関係の裁判をいろいろされていますから、お話を聴くと面白いと思います。 今井: 要綱とか協定の法案のチェックもしていただいたので、専門家から見れば何を書いてもらうと安心かというようなことも伺ったりしました。 松田: 特にアスベストを吸った人がまだ病気になっていなくても、吸わせた人が責任を持たなければならないということはなかなかないことだと思うのですが。 永倉: それはたぶん画期的な判断だと思います。判決ではないんですけれども。 今井: 要綱の中にも、まだ被害者がいないんですけれども、発症したら区が責任を持つというようなことを書いてもらいました。 松田: そうすると判例になりますよね。 永倉: 判例というかたちでは残らないでしょうけれども、司法の判断という意味ではたぶん応用が利くと思いますね。ただ和解ですから、全く違う判断を下す裁判官もいるでしょうし、だからそこはまだ固まったとまでは言えないと思います。 藤木: 本を見せていただいた限りでは、平成11年度の1月19日から年表が始まっていますが、そこから2008年までのあいだで、だいたい3年の期間が開いています。これは区側が、すでに終わったものとしてその後の対策を放棄した、というわけではないのですか。 永倉: そうではないです。検討委員会の中に議論を収斂したというか、保護者としてもその検討委員会での議論をかなり重視して、そこで何が決まるかということでずっとやっていました。 藤木: 先ほど保護者の方が業を煮やして提訴をされたという話を伺ったので、それでこの3年という時間の開き具合いから、保護者が「何も進展していないから」ということで提訴をされたのかと思ったのです。 永倉: 実際はそういうふうに思っていた人もいたと思う。 今井: 委員会はやっていたんですけれども、結論は出ないので。 永倉: かなり長引いていましたから、これはもう任せてはいられないという雰囲気はあったと思います。 今井: ちょうど3年間かかって検討委員会の報告書ができたのですが、それが待ちきれずに提訴したというかたちです。 永倉: 一部の人が提訴したということに関していろいろな保護者のあいだでの議論が起こったんですよ。それほど大事で揉めるというわけではないんだけれどもいろいろな判断があって、ただ結果的にはそこで勝利的な和解ができたということが区にとってはかなりショックだったので、それ以降の対策についてはもう観念したという感じがあったと思います。だからずっと保護者は心理的に大変だったんですよ。 今井: 提訴をした方たちに賠償金みたいなかたちでお金を払ったのですけれども、じゃあ他の子たちはどうするのという感じになって、結果的に健康手帳を発効した年に申請をした人全員に見舞金というかたちで10万円が支払われました。 永倉: 結果的には公平というかたちになったんだけれども、当初はやはりどうなのかという議論をかなりしました。 松田: 実際のリスク相談や健康相談、メンタル面では臨床心理士の方が担当されているのだと思いますが、そこでは実際にどういうやり取りがあるのでしょうか。 永倉: 相談の具体的な内容に関しては僕はわからないのですが、メンタルなところでは前田先生という方にお願いしました。あとリスク値をどうするかということに関しては内山先生と安達先生に。 松田: それは継続的に今もあるのでしょうか。 永倉: 今は相談の要望そのものがほぼなくなってきていますから、日程は決まって一週間前に僕のところに連絡が来るようになっていて、要望があれば僕のほうから句のほうに「今回は何人要望がありました」という連絡をするんだけれども、ここのところは、このあいだ1件だけNさんから相談があったんですけれども、あとはほとんどなくなっていますね。今井さんは心理相談を受けられたことはありますか。 今井: 私は心理相談はないですね。リスク値だけです。 永倉: 心理相談だけの方とリスク相談だけの方と両方受ける方とパターンがあって、あとはグループで受けたいという方もいて、その場合は僕のほうで「グループで」という依頼をして、区のほうに場所の設定をしてもらいます。なぜそうなっているかというと、保護者の方は区に直接お願いするのは個人名もわかってしまうから嫌だという方もいらっしゃるので、アスベストセンターのほうで集約してくれという話があったからです。 今井: 当初は喋りたくない、顔も見たくないという感じで対応されていたので。 永倉: 相当ひどかったですからね。 松田: 相談のかたちなんですけれども、基本的には親御さんが来ていらっしゃるということですか。お子さんが一緒ということはほとんどないですか。 今井: 一番上でもまだ今度高校なので、今までは一緒に行くということはなかったです。これからはもしかしたらあるのかもしれないですけれども。過去に保護者がどういうふうに子どもに説明したかということもわかりません。言っていないおうちもあるかもしれませんし、そのへんはわからないです。 永倉: 今検討委員会の中でときどき話題になるのは子どもたちが段々大きくなって、喫煙との関係をきちんとお知らせしていく必要があるだろうということと、その場合に区が禁煙教育みたいなことを108人にやるということは区としても難しいんですよね。だったら区の同じ年代の子どもたち全員にそういった教育をやることで子どもたちにも知ってもらうという方法がいいのではないかというような議論が今されています。禁煙教育に関しては急務なところがあると思います。早い子だともう吸い始めてしまう子もいますので。 今井: 当初はたばこはいけないということは保護者には伝わったんですけれども、夫婦間で葛藤がある家もあって、そういう温度差が家の中であったり。 松田: この冊子はまだ子どもさんは読まれないですか。高校生ぐらいだったら十分読める内容だと思います。 今井: どこまで配れるかもよくわからない。配らないでほしいというおうちもあって、今は大丈夫なのかもしれないんですけれど、なかなかどう考えているかがわからない方には話がしづらいというのが少しあるのかもしれません。 藤木: メンタルケアという体勢が整っているのは東京都に限らないのでしょうか。 永倉: いえ、メンタルケアという体勢がとられているのはさしがやのアンケートだけです。他の同じようなケースで僕も提案したりはするけれども、なかなかそこまで踏み切れないというか、需要を行政のほうもあまり感じていないということがあるみたいで。 ただ例えば僕がアスベストのことで心配されて相談を受けると延々と話される方もいるんですよ。やっぱり専門家じゃないとなかなか適切に対応しきれないような方も結構おられるし、そういう体勢というのは本来は必要だと思うんですけれども。だから、さしがやについてそういう体勢がとられたというのは恐らく画期的だと思います。 松田: 尼崎の場合でもご兄弟で中皮腫で亡くなられている方もかなりいらっしゃいます。 永倉: まず被害者の方に関して言うと、非常に状況が乏しくて孤立されている方が多くて、今こそなくなったけれども以前は中皮腫という病気がよくわからなくて親戚にも言えないというような、何か伝染病みたいなイメージを持っておられる人もいて、誰にも相談ができないということですごく悩まれている方もいて、僕らに相談してやっと話ができるというような方もいました。そういう意味ではやっぱりメンタルケアというのは遅れて来るとは絶対思います。 今井: 本当は自己の直後に相談の要望があったんですが、区は保健所に相談してくれと言ったんですけれども、保健所はどうしてもアスベストのことを知らないし、「何ですか、それ」というような対応で余計に傷つく。だから電話がかけられないというような状況が起きてしまったので、メンタルケアをするのであればきちんと理解をしてくださる方がしないと逆効果になってしまう。 松田: 区側もやっぱりアスベストに関して中皮腫の知識がある方を選んでいるのですか。 永倉: いえ、今回メンタルケアをお願いした前田先生という方はとくにアスベストのことをよく重んじているわけではないんです。一般的なメンタルケアをやられている方なので、学校に特化した話だとちょっと適切かどうかわからないんですけれども、ただリスク相談のほうはアスベストの専門家の先生がいらっしゃるから、双方に相談されるとわかるということで。アスベストのことを十分にご存知でメンタルケアができる方というのは専門家としてはまだいないんじゃないかなと思います。我々が素人ながら多少そのようなことをやっているという程度です。本来はそういう人が必要だと思います。 今井: 学校とかはわりと事件が起きると一時的にカウンセラーを配置するという体勢になっているので、事故が起こった直後が一番必要なので、そのときにいていただくことが大事だと思うんですけれども。継続して相談できるところを確保していただくことが大事かなと思います。時間が経ってまた心の重荷になってくるということがあるので。 松田: 特にこの問題だとすぐではなくて将来の先の不安ですよね。 今井: 30年後にとっても不安にな子たちがいっぱいいるかもしれないので。 永倉: 自分が曝露したということで相談されてくる方も多いんですけれども、やはりお子さんが曝露したかもしれないということで、過剰に責任を感じてしまっておられる方というのが結構いるんですよ。そういう方とお話しすることはよくあるけれども、そうするとやはり適切に何を言ったらいいかということがよくわからなかったりする。例えばお話の聴き方にしても、相槌の打ち方ひとつにしても、やっぱり専門的な知識が必要なんだろうなと思いつつ、僕らも決して適当というわけではないんだけれども、対応していることがあって、やっぱりかなり不安になりますね。 今井: Nさんは名取先生とかの一言にすごく左右されてしまった感が端から見ているとあるので。 永倉: 名取先生もそうなんだけれども、僕らは全般的なアスベストの問題とかを問題化して見ているところがあるので、やはり一人ひとりの相談をどういうふうに聴くかということよりも、「そういうものはこうあるべきだ」というようなことを言ってしまうことがあって、Nさんなんかは名取先生といろいろ連絡を取り合っていると必要以上に傷ついてしまったり、そういうことをどうも繰り返しているようで。だから本当に難しいですよね。 今井: だから、大丈夫とも言えないし、かと言って絶対安全とも言えないので、やっぱり専門家にそう言われると非常に不安を感じる方も多いんじゃないかなと。でもそれ以上も言えないんですよね。 永倉: そうなんですよね。 松田: 確かにそういう面ではメンタルケアの人はある意味無責任に楽観論を言ってもいい立場ではありますね。 永倉: そうですね。 松田: 役割分担というか。 永倉: だから僕なんかは素人だから間違っているかもしれないのであまり言えないんだけれども、相手の状況で楽観論を言っていい状態の人もいると思うんですよね。曝露の条件ももちろんあると思うんだけれども。ただ全部の人がそうではないし、言葉の端々とかそういうところから汲み取ってくるという訓練を受けていないわけですから、そこにちょっと不安があるんですけれども。 さしがやの保育園ではなくて、藤沢市のある保育園でアスベストを吸わせてしまったのではないかという事件があったんだけれども、そのお母さんの話を伺っていても延々と自分の責任だということで、どうしたらいいかという話に向かわないんですよね。子どもたちにえらいことをしてしまったということをずっとお話されていて、それを一緒に市役所に行ってそういう人の懸念を解決するためには科学的にシミュレーションをしてそこで出た答えである程度見通しをつけるというか、自分の子どもがどれくらい吸ってしまったかということを数字の上で確認を取るというのも手法ではないかという提案をして、そこでも同じようなことをやったんだけれども、それで少しその方も落ち着かれた。 そんな曝露量ではなかったということがシミュレーションでわかって安心されたんですけれども、そういう納得してもらうためのやり方というのはなかなか見つからない場合もあるし、そういう意味で言うと、そういうことが起こらないことが一番いいんですよ。予防することが。それが行政がわかっていなくて、とってしまってからというのがえらいことになるんだということを散々言うんだけれども。 松田: その場合、業者の問題というのはどういうふうに評価されているのでしょうか。 永倉: 法律的には除去業者の責任なんですけれども、だから裁判のときも行政と業者と両方を訴えた裁判をしていると思うけれども、委員会の中では業者の話はほとんど出なかったです。最初に業者がそこで何をやってしまったかということのヒアリングはかなり綿密にやったんですけれども、それ以降は行政が当然指導すべきであったし、まず行政がアスベストの工事だという発注をしなかったこと自体に重い責任を位置づけた。それで、行政の責任を追及するというかたちになっていったと思うので。それがいいのかどうかはよくわからないのですが、公共事業に関してはとりあえずそういうふうにやっていったほうが、効果は大きいと思うんです。 今井: 本当は一番曝露したのは工事をやった業者の方だと思います。 永倉: そうです。建築業者の方によく訊いてみると、外国人労働者がたくさんいたということもあると思うんですけれども、外国人がたぶん一番吸ってしまっていると思うんですけれども、そういうところまでは手が届かない。本来はそこまで見ていかなければいけなかっただろうとは思うんですが。 松田: 1999年の段階と今の2009年の段階では、多少情勢は変わってきているわけですよね。業者も含めて。基本的には変わらないのでしょうか。 永倉: 僕自身は悪くなっていると思います。 今井: 自分たちがいなくなったとしても、子どもたちが困らないためにどうするかということで、それを保障するものをかたちとして残したいというのがありました。 永倉: 潜伏期間の40年というのはそういう期間なんです。自分たちが生きているあいだには何もないかもしれないけれども、死んだ後どうなるんだろうというのが、40年という長さ。 今井: もし発症して、そのときに「何があったの」と訊かれても私たちは覚えていないかもしれない。寝たきりになっているかもしれないし、だから何かを残しておいてあげないと、自分がいないときに子どもたちが困ってしまう。 永倉: アスベストセンターもみんな40代、50代、下手をすると60代に近い人もいるからあと40年は持たないだろうと思うし。あと最近思うのは、アスベストセンターでもそうなんだけれども、後継者をどういうふうに作っていったらいいのかということです。行政もそうですよね。行政もいろいろな蓄積をちゃんと伝えていってくれているのかということも。最終的には誰にも何もわからないけれども文章だけ残っていているということもあり得るわけだし。 松田: 歴史的な証拠として教材に使われるようなかたちで残していくというようなことは重要だと思います。 永倉: そうですね。 松田: 大学では関連する授業があります。尼崎の被害者の方などのお話をうかがい、学部生も出ています。ずっと続けて関心を持ってくれるかどうかは個人差があるのは事実ですね。ただ耳に入っていると、例えば自分とか自分の子どもとか別の人かもしれないけれども、当事者になる可能性は今の時点でいろいろあると思うのです。 永倉: 今日の会議もそうだけれども、いろいろ課題が多いのでなかなかやれないところがあるんだけれども、やっぱり記録をきちんと残していくということは大事ですよね。今アスベストセンターで日本のアスベストに関する歴史を構成していてかなり古い業界紙などの記事を集めて、今年の夏ぐらいまでにはできるんだけれども、それはかなり綿密にアスベストがどのように使われてきてどういう企業がどういう輸入をして、どういうふうに使われてきたかということをかなり事細かに展開している歴史書になると思うんですよ。 藤木: それは出版されるのですか。 永倉: するつもりです。これからアスベストの裁判がたぶん増えていくと思うんですけど、その基礎的な原資料にしようということで作っていますので。調べていくと戦前満州のほうで起こったアスベストがどういうもので、日本に入ってきてどういうふうに使われてきたのかというようないろいろな歴史が出てくるので面白いと思います。今最終段階に入っているみたいだから、夏頃にはできるんじゃないかな。 松田: 阪神地区には公害の歴史があります。西淀川も大気汚染のひどかったところで、公害裁判があったのですが、その補償金をもとに財団法人を作り、活動されています。外国からの研究者も来られるようですが、裁判資料などが置いてあります。一種の歴史資料のアーカイブを作っておくことはすごく重要だと思います。 永倉: 先ほど言った石綿協会の機関紙とかも全部国会図書館とかいろいろなところから入手してコピーして、それはかなり重要な資料ということで全部アスベストセンターの鍵がかかるところに入っています。例えば法律を作らせるときの交渉文章とか、交渉のときに相手とどういう話を繰り返したとか、読み始めると結構面白いんですけれども、なかなかそういうのは保存できないものですから。下に書庫があるんですけれども、書庫もぎっちり満杯なんですね。今別なところに1ヶ所倉庫を借りて文章を移動はしていますけれども、まとめきれないですね。 松田: 今日はどうもありがとうございました。また明日も続きを他の方から聞かせていただきます。