アスベスト被害聞き取り調査−道端達也氏[2008年8月15日] 産業医学的観点から見たアスベスト問題の実態 藤木篤(神戸大学大学院人文学研究科博士後期課程): 本日はお忙しい中、時間を割いて頂きありがとうございます。では早速、最初に、聞き取り調査の主旨説明から参ります。 現在、神戸大学人文学研究科でアスベスト問題に関する人文学的研究を行っておりまして、今回の聞き取り調査はその一環として行います。これまでにも、アスベスト被害者ご本人およびそのご家族、残念ながら既に亡くなられている場合はそのご遺族の方、実際に診察や治療に携わっておられる医師の先生方、疫学者、弁護士など、さまざまな方にお話を伺って参りました。道端先生には、医師の視点から、アスベスト問題に関するより具体的なお話をお聞かせ頂けたら、と考えております。 では、早速はじめさせて頂いてよろしいでしょうか。 道端達也(玉島協同病院院長): はい。 藤木: 道端先生は産業医でいらっしゃるということですが、産業医とは実際にどういったことをされるのでしょうか。 道端: いきなり難しいな。まるで口頭試問を受けているみたいだ(笑) ええと、産業医の概念というのは、臨床医とは少し異なります。普通のお医者さんというのは、地域で活動しますよね。産業医というのは、職域、つまり普通の労働者の方を相手に健康管理やリスクアセスメント、検診といったことをするお医者さんです。産業医の中には二つありまして、専属産業医と嘱託産業医という風にわかれます。専属産業医というのは、大企業に雇われてずっとそこで働く方ですね。多くの開業医の方は、嘱託産業医で、企業と契約して月に一回なり二回なり、会議に出たり職場巡視をしたりといったことをされているようですね。 産業医とは、簡単に言えば「職域の労働者の健康管理に携わる医師」ということになります。 藤木: 実際にアスベスト被害に関して患者さんが来られるようになった、というのはいつ頃からでしょうか。 道端: その質問にお答えする前に、大前提となるお話をしておきましょう。産業医というのは、自分が名乗ればそれでできるんですが、一応資格があります。私の場合は、日本医師会の認定産業医制度と、国家資格の労働衛生コンサルタントという二つの資格を取っています。ただ取ってはいますが、私は現在どこの企業とも契約しておりませんので、実質産業医の活動はしておりません。まあ、倉敷医療生協の産業医はしておりますけども(笑)。つまり、よその企業とは産業医としての関わりはありません。 石綿の患者さんとの関わりは、臨床医として、つまり外来で来られた患者さんを診察する、といった関わり方で関わっております。それがたまたま職業病だった、ということですね。そういった意味で、産業医学的な関わりで患者さんに関わっておりますが、産業医としての関わりはありません。 では、質問に戻りましょうか。 藤木: はい。いつ頃から、どういった診察や関わり方をされてきたかをお話し頂けますか。 道端: 今は、みずしま診療所というところで二週間に一回、産業医学外来というものを行っています。早い話が、職業病の患者さんを診る外来ですね。そこで、噂を聞いて相談にやってこられたり、労働組合から持ち込まれたり、他のドクターから職業性疾患の疑いありとして紹介されてきたり、そういった関係で患者さんが外来に来られています。クボタ・ショック(2005年6月29日)以降は結構多かった、というか多くなりましたね。自分で探して来られた方もおられれば、労働組合の紹介を受けて来られた方もいたり。 それ以前はどうかというと、落ち穂拾いのような感じで、ぽつりぽつりとたまたま発見した、という感じです。私が初めて診た石綿関係の患者は、初めは肺ガンで受診されてその後外科手術をした方でした。通常、外科手術の後は病理検査をするのですが、そこで病理検査担当の先生から「ここに石綿があるよ」という報告を受けました。それまでは石綿肺があるという認識はなかったですし、レントゲン写真上でもその石綿肺の変化はなかった。ただ病理では明らかに石綿肺なんですね。 それからその人の労災申請が始まったのですが、アスベスト関連疾患(の申請)ではそれが初めてですね。これは、クボタ・ショックより前の話ですね。 クボタ・ショック以前に来られた患者さんは、先ほどの件を含めて三人おられたのですが、その内のもう一人の方は、外来でたまたま見つけたというように記憶しております。最初は胃ガンか何かで来院していたのですが、胸のレントゲン写真が異常だということからよくよく話を聞いて再検査をしたところ、石綿肺であることが発覚しました。この方は確か大型バスの整備工だったと思います。ブレーキライニングにアスベストが含まれておりましたから、それに曝露したのだと思われます。一応、これで労災申請をしました。クボタ・ショック以前だったので、認定までにかなり時間はかかりましたが。 藤木: クボタ・ショック以降では、認定がおりるまでの期間は短くなったのですか。 道端: はっきりとした統計があるというわけではないので、断言はできませんが、印象としては短くなっていますね。先ほどの肺ガンの方だって、1年以上かかりましたから。なにせ長かったです。何回も聞き取りされてね。 藤木: 患者さんご本人も先生も、労働基準監督署から聞き取りを受けるのですか。 道端: そういうことになりますね。何回か意見書を求められましたし、患者さんも何回も聞かれていると思います。監督署が聞くことというのは、作業内容もそうですが、最終事業所を確認したかったんでしょうね。そういったことを何回も確認していたようです。私の方には当然医学的なことを聞いてきました。 藤木: 先生が診察された中で、ずっと水島コンビナートで働いていた患者さんはおられますか。 道端: コンビナートの患者さんはほとんどうちに来ないから。先ほどの大型バスの整備工をやっていたという患者さんも、コンビナートではないので。 藤木: 水島コンビナートでアスベストを扱っていなかったなんていうことは… 道端: ありえません。必ず扱っています。 何人か、小さい下請け会社で働いていた方は外来で来られましたが、コンビナートで働いていた方はほとんどこられませんでしたね。今目立つのは、玉野の人ですね。造船所がありますから。 藤木: アスベストは造船所や製鉄業なんかですと耐熱、防炎目的で大量に使用されていたみたいですが、働いておられた方は当然吸っていますよね。 道端: 吸っているでしょうね。 藤木: 水島コンビナート以外にも、このあたりで働いておられる方はまんべんなく来られるのですか。 道端: そんなに数が来ないので(笑)。この病院にもそれに関する患者さんは来られてませんので。確かに患者さんはおられますけどね。この玉島の地域に、昔は朝日石綿の工場がありましたから。かつてそこで働いた方は何人もおられるみたいです。少なくとも一人の患者さんはそこでずっと働いていたそうで、はっきりと胸膜肥厚斑という診断が出ています。その方が言うには、「自分の同僚はもう何人も死んどるわー」と。名簿とかしっかり手に入れて、この辺の話ももう少し詰めて行かないといけないと思っているんですけど、なかなかそこまで手が回らないですね。 藤木: 朝日石綿は、これまで聞き取り調査を行う中で何度か話題にあがったことがあります。朝日石綿とニチアスに関しては、クボタと比べると、被害者と自社との因果関係を認めたがらない、という風に聞いております。今は改名してエーアンドエーマテリアルという名前になっているようですが。 今はもう工場はないんですよね? 道端: 今はありません。 藤木: 実際に職場で日常的に曝露しておられた方と、ただ単にアスベストが使用されていた建築物の中もしくはその近くで働いておられたという方、つまり職業曝露の方と環境曝露の方では注意すべき点が変わってくると思います。朝日石綿のような大きな石綿工場の側では、環境曝露によるアスベスト被害の可能性も考えられますが、このあたりでは環境曝露で発症された方というのは見つかっているのでしょうか。 道端: 確かに、そういう人がいる可能性はあると思います。その場合、まず、朝日石綿の工場の近くに住んでいたことがあるかどうかということを調べなければならないでしょうね。 因果関係をどう確定するか 藤木: アスベストの場合、因果関係といいますか、原因と結果が一対一で確定できないため、この二つ(原因と結果)をどのように結びつけていくか、という問題がおこってきます。医師の側では、どのようにこれらの因果関係を確定させていくのですか。 道端: 石綿が悪さをする、というのは医学的には確定していることです。ですから、石綿に関しては、因果関係は実はわかりやすいんですよ。他の病気に比べるとね。実際、社会的な合意もそういうふうになっておりますし。とりあえず、中皮腫だったら石綿が原因であると言っていいと思います。 難しいのは肺ガンです。先ほど、石綿肺に肺ガンが合併していた患者さんの話をしましたね。これは、石綿が原因であると考えるわけです。それから、単純に肺ガンだけではなく、胸膜肥厚斑があった場合。これも同じで、石綿に原因があると言える。問題は、肺ガン単体で、石綿があまり見られない場合。これをどう考えるかですが、そこが一番難しい。議論が分かれるところです。 藤木: 肺ガンであるとわかって、実際に肺を検査してみて、アスベスト小体があまり出てこなかった場合は… 道端: それは違うでしょう、ということになる。 これは本にも書いてあることなんですけれども、アスベストもクリアランスされる、つまり排泄されるんです。白石綿(クリソタイル)は排泄されやすい種類の石綿なので、肺に残りにくいんですね。そうなると、曝露が原因で肺ガンになったかどうかということは、現在の医学ではよくわからない。結局は約束事の問題になってきます。このように、肺ガンにはまだはっきりしない部分がありますね。 藤木: アスベスト関連疾患としてよく挙げられる中皮腫と石綿肺は、因果関係を確定させやすいが、肺ガンに関してはそうではないと。 道端: その通りです。だから、アスベストに関しては、中皮腫より肺ガンの方が何倍も発生率が高いはずなのに、(労災の)認定数は中皮腫の方が多いですね。そこが難しいところです。 藤木: それは、やはり因果関係の確定の仕方が難しいということが数に関係しているのでしょうか。 道端: そうですね。それに加えて、お医者さんがよく知らないという問題がある。中皮腫は稀な病気だからいいんですが、肺ガンはざらにある病気ですから。お医者さんが認識していない可能性がある。 藤木: 特に普段たばこを吸われる方であれば、「たばこの方が原因ではないですか」となる。 道端: その可能性は大いにありますね。 藤木: たばこを吸い、かつアスベストを日常的に扱う職場で働いておられて、肺ガンを発症している、という場合、どのように因果関係を確定していくのでしょうか。 道端: 労働者の場合は、アスベストに原因をおいても大丈夫だと思います。これはさっきも言った「約束事」です。たばこを吸おうが吸うまいが、アスベストを一定量吸ってさえいれば肺ガンの根拠としては問題ない。その場合、たばこはあまり関係ない。 だいたい、たばこによる肺ガンという考え方だって、常識として語られていますが、その人の肺ガンが本当にたばこによるものか、と言われると証明のしようがない。 ただその場合でも、個別としてではなく、集団としてみた場合明らかにそうである、という意味で、疫学的な因果関係ということで(アスベストと肺ガンの間に)関係があるといってよいと思います。 藤木: 統計的に、または疫学的に、「確からしい」というところまでで満足するしかない、ということですね。 道端: それでいいのではないか、とは思いますが。ただ、このあたりは意見が分かれるところでして。疫学はあくまでその人個人のことに言及しているわけではないので。そこを突っ込んでいくとどうしようもない。それこそ、これも「何を原因として考えるか」という社会的合意の問題になるのかもしれません。 藤木: 環境曝露の場合はどうでしょうか。 道端: 環境曝露は難しいところですね。現在、いわゆるアスベスト新法で認められているのは中皮腫と肺ガンだけですよね。今後当然認められるべきであると思いますが、石綿肺は認められていない。 昔は、環境曝露によっては石綿肺は起こらないと言われておりました。ところが、起こるという調査結果が出てきている。昨年か一昨年、産業衛生学会だったか呼吸器学会だったか、今ちょっと正確には覚えていないんですが、確か大阪民医連のお医者さんが学会発表されているはずです。泉南地域で調査したところ、非労働者の住民に石綿肺の症状が見られた、と。これはまさしく環境曝露ですよね。 藤木: それは初耳です。環境曝露では石綿肺になることはないと思っておりましたので。 道端: そんなことはない、ということですね。 まだ本にはなっていないかもしれませんが、学会発表は確かにされているので、大阪民医連に問い合わせればわかると思います(*1,*2)。 *1 水嶋潔「泉南アスベスト健診で明らかになったこと」(『民医連医療』No.405 (2006/5) pp.16-19.) http://www.min-iren.gr.jp/syuppan/iryo/iryo2006/iryo200605.html *2 水嶋潔「大阪泉南アスベスト被害と環境曝露」(『社会労働衛生』Vol.4, No.1 (2006/11) pp.24-29.) http://www.oe-rc.org/syakairoudoueiseishi/eiseishi-4-1.html 労災申請の難しさ−検査ができない場合はどうするか 藤木: 話が戻りますが、労災についてお話を伺います。クボタ・ショック以降、労災は証拠がある程度揃っていさえすれば、認定はおりやすくなったのでしょうか。 道端: 中皮腫や石綿肺に関してはそうですね。困るのは先ほども言いましたとおり、肺ガン単独の場合です。病理検査をして何もなかった時などは、どう判断するかというのは難しい問題です。 一応肺ガンの場合、認定基準は出ていますよね。すぐ変わるので、覚えにくいんですけど。 藤木: これまでの聞き取り調査でも、同じような不満が出ていました。ちょっと目を離すと、もう基準が変わっていると。 (手元の資料を見て) 道端: 10年以上の曝露歴があって、なおかつ胸膜肥厚斑なりアスベスト小体などが肺内に見られたら大丈夫ということですね。 昨日、実は石綿曝露をされていた、肺ガンの方が一人来られたんですね。その方は胸膜プラークや石綿肺の変化が出ていないんです。肺内にアスベスト繊維があるかどうか、ということになるんですが、検査できていないんです。ある程度進行してしまったガンなので、手術して取るということができなかった。だから、検査のしようがなく、証明もできていない。なので、そこでストップといいますか、労災申請は難しい状態ですね。 単純に、職業従事した期間が10年以上ある、という事実だけをもって認定基準にしてくれたならば、認定されるとは思います。ただ、現在はそれに加えて(胸膜肥厚斑のような)何らかの変化が必要なんですね。 藤木: 医師から見て、現在の認定基準はどう思われますか。 道端: もっと緩和してほしいな、と思います。検査のしようがない方もおられますので。さすがに、肺ガンは全てアスベストに関係している、とするのは極端ですが。 少なくとも、アスベスト新法に関しては緩和しなければならないと思います。あれは認定基準が労災より厳しい上に、認定疾病が中皮腫と肺ガンの二つしかない。先ほども言いましたとおり、環境曝露でも石綿肺が起こりえますので、認定疾病の数を増やすことが必要です。 藤木: できた当初からずっと指摘されていましたが、やはりアスベスト新法には穴が多いようですね。救済対象から漏れる方が多い上に、給付額も十分ではないと。 被害者への補償という点で、もう一つお聞きします。ずっと一カ所で働いていた場合というのは比較的職歴の証明は容易だと聞いていますが、ここで2年、あそこで3年、そしてさらに別の場所で4年、といった働き方をされていた場合、どこか一カ所での曝露が証明できれば、労災の申請は可能なのですか。 道端: 労災をとるには十分であると思います。 藤木: 記録が残っていない場合はどうするのですか。 道端: 正社員はいいんですよ。ただ問題は下請け、孫請けです。そういう方は記録が残っていない。 これも昨日来た人の話ですが、記録が残っていなかった。仕事をしていたという証明はある程度できるんですよ。会社がする場合もあるし、それが望めない場合は社会保険庁の年金記録を参照するとか。ところが、そこで働いていた、ということは認められても、有害作業をしていたかどうかを証明できないんですよ。 労働基準監督署の言い分としては、「いたことは認めてあげよう。しかし有害作業をしていたかどうかはわからないから、同僚の証言を持ってきなさい」と。だけど、当時の同僚はほとんど亡くなっているわけです。連絡のとりようがなく、亡くなっているかどうかすらわからない場合もある。 藤木: 同僚の証言はやはり必要なのでしょうか。 道端: 必要なんですね。一番基本となるのは会社の証明です。しかし、会社が証明してくれなかったり、会社自体が潰れて無くなっている場合も多い。 藤木: 実際に同僚の証言が得られるパターンはあるのですか。 道端: それはありますよ。 藤木: 当時の、住民票のような公的な記録が何も残っていなかったため、地域の図書館に足を運んで古地図を引っ張り出して、自分の居住歴を示さねばならなかったということもあったようです。そこまでのことを、被害者がしなければならないというのは、被害者救済の観点から見た場合、大きな問題だと思います。 こういった被害者に科せられた立証責任を、疫学的に一括して処理するということはできないのでしょうか。 道端: 住民の場合は、できるのではないでしょうか。今、疫学者の車谷先生がそういったレポートを書いておられますね。 それに「公害健康被害の補償等に関する法律」、いわゆる公健法では、この地域に住んでいてかつ喘息の症状が認められる、といった場合、補償が認められますから。 公健法なんてのはそれこそ疫学的な考え方ですよね。似たような感覚で認めればいいのではないか、とは思いますが。 藤木: このあたりでは、そういった疫学調査がなされたということはありませんか。 道端: 私は聞いたことがないです。 産業医学と臨床医学−職業因子の重要性 藤木: ブログの方でも、産業医と臨床医の間に乖離が見られる、と書いておられましたが、その断絶はまだ続いていると捉えてよろしいのでしょうか。 道端: 正確には、産業医学と臨床医学の間に、です。その断絶はずっとあります。その断絶をどうにかして埋めたいと思って、あのブログを書いているのですが、なかなか。私の頭の中には常に鑑別診断というものがありましてですね。一般の方はほとんど聞かない言葉だと思いますが、患者さんがいろいろな症状を訴えて来られた時に、可能性の高い疾患を頭の中に描きます。例えば、貧血の場合は血液中の鉄分が少ないといった風に、こういった疾患にはこういった可能性を考える、というようなリストがあるわけです。(臨床医学では)その中に職業性や環境性の疾患が挙げられていませんね。 その一方で、産業医学の教科書にはそのようなリストが載っているわけです。だから、結局のところ両方の教科書を読まないといけなくなっている。それを埋めるために、ブログの方には少しずつ書いてはいるのですが。一番最近書いたのはなんだったかな。ガーデニングか。ガーデニングをする過程でカビを吸い込みます、というようなことを書いたのですが。カビが肺に悪さをする、というのは臨床医学でも明らかにされているのですが、そのカビをどのようにして吸い込むか、というと教科書には書いていない。 臨床医学の教科書をめくるたびに、あれも書いていないこれも書いていないということで、乖離を感じます。なんとかしなければいけないと思って、あのブログを書いています。今年の産業衛生学会でも、フロアの方から臨床医学と産業医学の乖離を埋めることができないか、と質問をしたのですが、このようにいろんな場所で発信し続けるということが大事だと思っています。 藤木: 臨床医学と産業医学では、別々の教科書を使っているのですか。 道端: そうですね。産業医学においては、これが定番ですといったような教科書はあまりないのですが。普通のお医者さんが患者さんを目の前にした時、職業性疾患か環境性疾患であるかといったことを頭に浮かべましょうというのが私の問題意識なのですが、臨床医学で学ぶ「公衆衛生学」では、そもそもその領域に踏みいらないんです。産業医学も、その多くは職業性疾患のことは書いていますが、普通の医者がどう鑑別診断をするか、というものではなくて、例えばどこかの企業の産業医さんが労働者の健康をどう管理していくのか、といったような観点から書かれておりますので、問題意識が異なります。だから、分野が完全に分かれてしまっているような感じです。この断絶をどう埋めるかですね。 藤木: 目的が若干違うんですね。 道端: そうです。産業医は職域の労働者の健康をいかに管理するかに主眼をおきますから。 藤木: そういった乖離があるというのには全く気づきませんでした。全て「お医者さん」という一つの固まりで捉えておりましたので。 道端: 一般の方はそうだと思います。ですが、実際はそうではないんです。職業性疾患は普通の臨床医は診断していないと思いますね。これは私だけが言っていることではなくて、Cecil(*3)やHarrison(*4)といった英語の教科書には必ず書かれています。職業・環境性疾患は、under diagnosisもしくはunderestimate、つまり「診断されていない」「見逃されている」と。全体的に職業性の疾患は見逃されている、あるいは認識されていてもそこでとどまっている。例えば、レジ打ちで肩がこる、といった時、「それは仕事のしすぎからくる肩こりですね」で終わってしまう。その人の職業や職場環境にまで目をやる人は少ない。そこが現在の臨床医学に欠けている点ですね。 *3 Russell L. Cecil, Cecil Textbook of Medicine (W B Saunders Co., 1996) *4 Eugene Braunwald et al., Harrison's Principles of Internal Medicine (McGraw-Hill, 2001) 藤木: 個人的には、先生がおっしゃった「職業性の原因」というものは臨床医学でも考慮に入れられていると思っておりましたが、そうともいいきれないのですね。 道端: はい、あまり考慮されていません。いろいろと証拠は挙げられますが、例えばここに内科学会雑誌という雑誌があります。だいたい特集を組むのですが、私はこれらを見ていつもため息をつきます。疾患概念や食事指導や生活指導のことは出てくるのですが、職業や環境のことは出てこない。この号に限らず、特集を組まれた場合はほとんどそうです。明らかに環境が原因として考えられるアレルギーなどは職業のことに触れられたりはしますが。 (本棚から資料を取り出す) 道端: いろいろと触れられていますが、職業性や環境性のことはほとんど触れられていませんね。私の夢は、こういった特集があれば必ず一項、「職業環境因子」という項目を入れることです。 藤木: 印象としては、原因に近寄りすぎてミクロな視点に偏りすぎる傾向がある、というように感じたのですが。 道端: そう、そうです。一口に原因と言っても、何段階もの階層があるわけです。例えば心臓であれば細胞であったり分子構造であったり。同様に職業的な原因というのも考慮に入れられればいいのですが、なかなかそうはいかないですね。 藤木: 産業医学を専門にされている医師というのは全国的に見て少ないのですか? 道端: 産業医、は多いですよ。産業医科大学という大学があるくらいですから。ただ、私みたいに臨床してその中で職業性疾患を診る、ということをやっている人間は非常に少ないですよ。産業医学科とか労働衛生科とか名前はいろいろとありますが、そういった看板を掲げているところとなると本当に少ないと思います。 専門家と非専門家−知識の差をどう埋める 藤木: 産業医学と臨床医学との乖離、もそうなのですが、アスベスト問題に関しては専門家と一般市民、もしくはよく知っている人間とそうでない人間との間に乖離があるように思えます。医学に関わっておられる先生方は、外来で来られる患者さんを診察される以外に、発信といったことはされているのでしょうか。 道端: うーん、どうなんでしょうね。とりあえず、私は発信が少なかったと反省しています。反省して、あのブログを書いているわけなんですけれども。私は1983年卒業なのですが、石綿に問題があるということに関しては、その翌年から認識しておりました。 藤木: 1984年から、ですか。 道端: そうです。クボタ・ショックが起こって、いろんな事例が報道されましたよね。そのなかで、旦那さんの作業着を洗った奥さんが中皮腫を発症された、というものがありました。それを聞いた時、「何を今更」というのが率直な感想でした。なぜかといいますと、旦那さんの作業着を洗濯した家族が曝露にあうということは、20年以上前からわかっていたことなんです。 (本を取り出す) 道端: これが、私が最初に勉強した本(*5)です。昭和58年(1983年)に序文が出ていますが、この時点でもう既に奥さんが曝露したという事例が出ています。今新聞で報道されていることの大半はここに既に書かれているんです。 そこから反省しましてですね。自分は知っていた。ただ、発信をしていなかったと。医学に限らず、社会の発展の仕方は均一ではなく、不均一なんです。超一流の英文雑誌にこれこれの論文が出ていたといっても、全ての医師に行き渡るわけではない。たまたま読んだ私が知っていても、他のお医者さんもそうだとは限らない。 専門家の任務は、「自分の知ったことや学んだこと、得た情報は発信する」ということだと思います。専門家は専門家同士で発表する責任もありますが、市民に対してわかりやすく発信する任務があるのではないでしょうか。 でも本当に、知識というのは不均等発展でですね、今日何回か出た胸膜肥厚斑や胸膜プラークでも、知らないお医者さんもいますよ。知識としては知っていても、レントゲン写真をよめないというかわからない、というお医者さんはいます。 *5 『石綿肺−臨床と健康管理』、中央労働災害防止協会、1984年 藤木: 最近では、カーボンナノチューブが、アスベストと同じように中皮腫を引き起こす可能性があるという研究結果が出てきていますが。医学の側から、カーボンナノチューブや類似の技術を危惧する声などはあがっていますか。 道端: 声というよりもむしろ、アスベストと同じく危険性に関する研究はされていますよね。私も工学部ではないので専門的なことはわかりませんが、新しい技術や素材に関しては危ないかなー、と思うことはあります。そういった思いから少し調べてみると、どうも現在は生体影響というのもちゃんと研究しているようですね。 新しい技術が出てきた時は、必ず環境生体影響を必ずセットで調べるとかそういった感じで進めてもらえればいいのですが。単純に工学や技術的な観点から推し進めるというのはやめてほしい、と一市民の立場で思います。ナノテクでやっているようなことを、他の分野でも、社会常識としてシステマティックにやっていければいいな、と思います。一昔前、環境アセスメントという言葉が流行りましたが、それと同じように、環境生体アセスメントをしなければならない、というようになればいいですね。 東南アジアにおけるアスベストの大量使用をどう捉えるか 道端: では逆に、こちらから質問させてもらえますか。 藤木: はい、お願いします。 道端: ひとつは、東南アジアにおけるアスベスト使用に関してです。アスベストというのは非常に優秀な素材ですから、水道管や下水管が安く作れますね。東南アジアでは、上下水道の設備が全然整っていないから、それによってさまざまな感染症が広まって、沢山の人が亡くなっている。そこに安い上下水道設備を作れば、死亡に至るリスクが激減します。 ただ、アスベストを使わなければコストがかかりすぎて普及が難しい。この場合どのように考えるべきか、どのようにリスクをアセスメントしていくかという問題ですね。私自身は、最終的に政治決断の問題になってくると考えています。 日本ではアスベストが悪い悪いと言われていますが、その論理は全世界で通じるのかどうか。ずっと疑問に思っているのですが。 藤木: 東南アジアからインド、中央アジアにかけてのアスベスト使用に関しては、現在大きな問題になっております。先生がおっしゃったように、アスベストを使うことによって助かる人間と、反対に将来的に亡くなる人間がでてきます。 単純に功利主義的に考えれば、犠牲者が少ない方を選びましょう、ということになると思います。一方で、持続可能性というものを考えると、東南アジアであっても極力使わない方が良い、という結論になるとも思います。といいますのも、アスベストは適正に使用・処理しないとその後数千年、あるいは数万年単位で環境中に存在し続けますので、現在生きている数万人のために、今後生まれるかもしれない数万人の命をリスクにさらし続けても良いのか、ということが言えるからです。ただ、現在生きている人間と今後生まれるかもしれない人間の命の価値を比較できるのか、あるいはその考え方はそもそも妥当かどうか、といったことに関しては、また別の議論が必要になってくるとは思いますが。 道端: その考え方でいくとですね、原子力発電所なんていうのは到底容認できない技術ですよね。一方では原子力発電所を容認しながら、他方ではアスベストを厳しく規制するというのはダブルスタンダードであるように思えるのですが。そのあたりのことを、人文社会学系の方たちはどう考えているのか、知りたいですね。 藤木: 人文社会学系全体の統一見解のようなものがあるかどうか、私は知らないのですが、おそらく現時点では無いと思います。 先ほど持続可能性、という単語がでましたが、神戸大学では文学部を含めた三学部が連携して、ESDと呼ばれる試みを行っております。ESDはEducation for Sustainable Developmentの頭文字をとったもので、一般的に「持続可能な開発のための教育」と訳されています。この試みには、さまざまな専門分野の研究者が参加しておりますので、数年以内になにかまとまった意見は出るかと思います。 ただ、人文学系、特に哲学系の人間はダブルスタンダードをものすごく嫌いますので、ダブルスタンダードの解消がなされないまま議論が進むという可能性はほとんど無いのではないでしょうか。 道端: なるほど。 …そろそろ時間ですね。 藤木: 本日はお忙しい中、どうもありがとうございました。 道端: ありがとうございました。