アスベスト被害聞き取り調査−[2008年6月12日木曜日午前10時40分から] 於神戸大学文学部(人文学研究科)A棟4階共同談話室 ●阪神淡路大震災によるアスベスト被害に関して特に被災建造物の解体、がれき撤去、運搬・処理作業に従事された方からお話をうかがう。 l 参加者 l 近藤喜明氏。震災時に解体作業等に従事 l 岩佐毅氏。兵庫県土建一般労働組合の加西支部支部長。震災時の解体作業に従事 l ひょうご安全センターの方々(西山氏、神田氏、松枝氏、伊藤氏)  l 神戸新聞:増井氏 l 兵庫土建:片岡氏 l 神戸大学文学部・人文学研究科・経済学部などの学生および院生(中国と台湾からの院生を含む)、教員 松田: 今年の三月だったと思います。震災時、建造物の解体作業に従事され、中皮腫という重い疾患になられた方が、労災認定された報道がありました。近藤さんは震災時に解体作業をされ、肺に疾患があると伺っております。近藤さんに関する4月15日夕方に放映されたNHKのインタビューをまず資料とし、その内容についての質問にお答えいただく形で今日の授業を始めさせていただこうと思います。また、震災時の解体作業の様子の写真を西山さんが用意されているので、それも見ながら進めたいと思います。 (この間資料DVDを観る) 松田: ニュース番組の特集として放映されました内容については、今日、お越しのひょうご安全センターの方に補足や説明を最初にお話ししていただけたらと思います。 神田: ひょうご労働安全衛生センターで代表しております神田です。先ほど観ていただいたように、震災中のアスベスト被害に関する震災被災地ホットラインを実施しましたが、2日間で103件、2週間で144件の相談がありました。また、その結果をもとに兵庫県に対する緊急要望書を提出しました。 3月26日に兵庫県に対し石綿による健康被害の救済に関する法律、つまり、現在のアスベスト新法の緊急の救済法の見直しを求めると同時に、アスベスト被害の総合的な相談窓口を設置し、拡充すべきことを求めました。また、第三に、アスベスト健康診断を広報により周知し、その体制や費用面での拡充を図るべきこと。第四に震災時、解体作業、瓦礫、廃材などの運搬処理作業に関わった人の調査を行うべきことです。さらに第五に、今後、アスベスト問題に取り組む諸団体と連携しながら、アスベスト対策に取り組むことを要請する、申し入れを行いました。 これに対する県の回答には、アスベスト対策の健康診断を周知徹底するとありました。新聞各紙の折り込みに月一回程度の兵庫県広報に載せるという話でした。しかし、実際の記事は小さな囲み記事にとどまり、一般市民の目にはつきにくい記事でした。 また、兵庫県としても良性胸水の疫学調査を実施すると報告していますが、それは、兵庫県内に限るものです。阪神淡路大震災の時に全国から来られた、多くのボランティアを含め、ライフライン復興に尽力し、復興に大きな力を発揮していただいた方たちにも調査を周知徹底することは出来ていないように思います。 私たちもこのような形で震災アスベストの問題について議論する機会を増やしていく必要があるのではないかと考えています。そのために、労働組合や、問題の地域の人々、医師、弁護士、政治家だけでなく、若い人たちにもこの問題に積極的な関心を持っていただける機会を作りたいと思います。このような場所から震災アスベスの被害の問題に取り組むきっかけができたらと思います。 松田: 岩佐さんは解体作業に従事されたと伺っています。今日は作業の実態をお話ししていただけたらと思いますが、その前に、先の報道にもありました、ひょうご安全センターの申し入れに触れておきたいと思います。申し入れを拝見しますと、ボランティアで参加された方が不安に思われたとあります。それが26人。また、解体作業や粉塵によるリスクに不安を感じられている方もあり、幾つかのタイプがあります。一つはもちろん解体作業。それに住民の方とボランティアの三つに分けられているのですが、具体的にどういうケースが典型としてあげられるのか少しお話ししていただけますか。その後、一番問題になる解体作業された方の話を詳しくお聞きしたいと思います。また、相談内容もお願いいたします。 西山: 安全センターの西山です。震災被災地ホットラインを3月9日と10日と二日間行いました。NHKにも全国にニュース報道をしていただきました。 (西山さんへの電話のため一時中断、交代) 伊藤: さきほど三つに分けられるとおっしゃいましたか? 松田: ええ。頂いた資料には相談者の内訳とあり、三区分されています。「労働者」、「住民」、「その他」とありまして、その他の中にボランティアの方が入っています。典型的にはどういう相談内容が多いのでしょうか。 伊藤: ボランティアにも社会人と学生があります。学生の方は、全国から来られ被災地のためにお手伝いされました。社会人の中には「全壊」、「半壊」などと書かれた「赤札」を解体住居に札を貼る仕事をされた方がありました。ボランティアの中にも壊れた建屋に赤札を張る方がありました。「神戸に何日間か行ったが、その後、震災被災地とは縁がないので、今、どこに相談したらいいのかわからない」という不安の声がホットラインでもありました。 松田: 「大学生」とおっしゃいましたが、非常に若い方からの相談でしょうか? 伊藤: 若い方のお母様、お父様で、息子さん娘さんのことを心配されている方が多かったです。解体作業も当時、人手が足りないので、元請けの下請けの孫請け、などなどとありましたが、その時給が大変良かったこともありまし。学生なので時間もあり、急遽応援に駆けつけた方もいました。 「息子は急遽応援に駆けつけて、解体作業をしたけれども、学生なのでアルバイトは短期間で終わり、また元の学生生活に戻りましたが、今後息子が何か発病したとか、健康被害があったときにはどこに相談すればいいのでしょうか。」 というような質問がありましたので、 「当時、同じアルバイトをされていた方と連絡を取り、作業内容や会社名、作業場所を一覧にしていれば、万一の時に役に立つのでそういうことをしたらどうですか」 というようなアドバイスをさせて頂きましたが、「当時の仲間とは全く連絡が取れない、どこの誰かはわからない」とお母様はおっしゃっていました。また、「アルバイト先の会社あるいは親方とも連絡が取れない。全くどうしたら良いのか分からない」とおっしゃっていました。 神田: 相談の数は数的には、2日間で103件、2週間で144件です。相談者の内訳は、労働者に分類できる人が83名、被災地の住民27名、その他ボランティア、通勤の被災地経由の人が26名という集計になります。 松田: 住民の方からの相談内容も同じような内容でしょうか? 伊藤: 住民の方の相談内容は、 「家が全壊してしまったが、全壊の自宅をつぶすところを目の当たりにしていた時に、粉塵が舞っていた。また、避難所の生活でも、近くで解体作業が頻繁に起こっていた。子供がいたので風邪用のマスクを子供にはさせていたが、本当にこれで大丈夫なのか」 「避難所から通勤・通学地までも瓦礫の山であり、解体作業の脇を自分も通っていたが、大丈夫か」 という不安な声です。 松田: 例えば、実際に解体作業をされた方はどれぐらいの人数の方が、いらっしゃぃましたか。そういう調査やデータはございますか? 神田: ないのではないでしょうか。これに関連して、ボランティアとは異なり、解体業者については県や市が把握できるのではないか、と考えています。行政にはある程度の数は把握してもらわないと困ります。その結果を全国的に広報していかなくてはならないと思います。その点、県や市には責任があります。また私たちもボランティアの状況の集約をした団体がないかと探しているところです。 松田: 今聞いたかぎりでも、未経験者が頼まれて解体作業をした場合も相当数あったということでしょうか? 神田: でしょうね。 松枝: なんせ、全国にわたっていますね。 松田: 非常に広範囲からこられた訳ですね。 松枝: みなさんご存じかどうかわかりませんけども、被災地からは、出動できないです。みんな被害者ですから。近隣から入って来ているわけです。ほぼ全国からですね。だから、今回、全国から相談がありました。 解体作業には国の補助金が出ているはずです。県に質したところ、一応、どこの解体業者へ補助金がいっているのかは、わかる。しかし、その孫請け、下請けになってくるとどうか。だから、それについては行政の方で把握するべきだ、兵庫県に対して緊急の要望書の申し入れをしたのです。また、土建関係の業者がどれぐらい入っているかも問題です。 すでにありましたように、いわゆる建物検査がありましたね。全壊、半壊など、建築診断です。これも地元行政はほとんどタッチ出来なくて、全国の自治体、建築関係の行政関係者、建築士業界などが入って来たのです。そこまではわかるが、それがどれくらい実際に行われ、どういう状況だったか把握出来ていない。だから「資料を調べる」と言っているのです。しかし、それも具体的には神戸市や兵庫県との交渉が必要かと思います。 片岡: 兵庫県土建一般労働組合の片岡です。解体は、ビルをつぶすというイメージと思いますが、私たちはむしろ木造家屋の建築職人の皆さんを多く組織しています。震災当時、兵庫県下に5万人の組合員がいました。今は、4万5千人くらいです。全国では71万人です。そこで、解体件数に関してですが、震災時に発表され、またその後も発表された、半壊、全壊の家屋数に対応する数の解体現場があったと言えます。半壊の場合、解体しませんが、全壊だと解体になります。 兵庫土建、兵庫県連の五組合が兵庫県連合会を作っていますが、それだけでは対応できませんでした。当然、私たちも被災者ですから。神戸、淡路、阪神地区の組合員さんも被災者で手がおよばず、全建総連、当時75万の仲間の応援を受けました。神戸に一ヶ月泊まり込むとかです、どこかの安い宿を借りてもらうとかしながら作業をしたわけです。 当時は解体より復興が優先でした。住宅を急いで建てることに力を向ける。そういう意味で、震災時だけでもアスベストを吸い込んだ労働者は全国に散らばっているだろうと思います。あの当時、ご記憶の方もあるでしょうが、神戸市内を走っていた車のナンバーは北海道から沖縄までに及んでいました。そういう意味では、もちろん住民もそうですけれども、危険はあるだろうなと思います。私にショックだったのは、震災後、まだ12、3年しか経っていない人から中皮腫の患者が出たことです。これは私たちにとっても強烈な衝撃です。だいたい発症までは20年、40年ということは掌握していたのですから。解体期間だけ手伝った労働者の被害ということの意味は深刻で、もう一回り大きな現象なのだろうなというふうに感じます。 松田: 1995年の震災当時に解体作業された方が、アスベストに関する危険性、リスク認識がどの程度あったのか。個人的にどれくらい認識していたでしょうか。会社、行政の問題もあると思いますが。 神田: そのような認識はほとんどなかったですね。当時の環境問題はダイオキシンがまだ主流だったものですからね。アスベストのとこまでは全然認識なかったですね。 松田: それ以前から、解体時、例えば「アスベストの吹きつけがあるから注意しなさい」というような話はなかったのでしょうか? 神田: まだなかったですね。 片岡: ただですね、現場の状況を矛盾させてはいけないのですけが、全建総連が建設業におけるアスベストの危険は掌握していました。1985年くらいに、アスベストの危険性を訴えるポスターを作って全国の組織に配っています。71万人の組織の数だけを配ったわけではありませんが、各県の責任者プラスアルファに配ったのです。そこで訴えています。しかし、色々な役職の人に配っても、切実感ないし切迫感がない。 現場の責任になると、短絡的につかまえられると困るのですが、そういうこともありました。ヨーロッパでは1975年にすでに製造・使用中止だったのに比べれば、日本は遅れている。国は何もしなかった。当時は厚生省ですね。建設省、環境庁も。対応してないのが現実でした。ましてや一解体会社あるいは石綿を使った製造業の責任に帰すのは、もってのほかです。どうしてそうなったのか、国の無作為ではないかと思っています。 松田: 現場と国あるいは企業の認識のずれがあると思うのですが、実際の作業の様子はどのようなものだったのでしょう。あるいはどれぐらいの期間、一日どれぐらいの長さ、どういう形で作業されていたのか。そのあたり具体的にお話しして頂くとイメージがもてると思います。解体作業は毎日どれぐらいの期間されたのでしょうか。 岩佐: だいたい一日八時間ぐらいの労働時間でした。それと本当に風邪のマスク、埃よけマスク程度で作業をしていましたね。人によって色々ですけども、長期的に泊まりがけで作業していた方もおられるし、通勤で作業した人もおられます。一週間ほどで撤退した作業者もいますし、色々だっただろう思うのです。アスベスト自体は、たくさん吸ったら発病する可能性は高いのでしょうが、頭の毛の五千分の一くらいの大きさでしょう。一カ所で作業すれば、どこまで飛んでいくかわからんような性格のもんですから、難しいですね。被害のほどということになれば。 松田: 実際にはビルの解体作業ですか? 岩佐: 木造ですね。 松田: 地域でいうと、どの地域ですか?例えば三宮とかそういう形でいうと。 岩佐: 私の場合は本山から灘から湊川から、色々と行きましたね。 松田: 実際に作業されていて、「なんかやばい」とか、そういう認識は持たれましたか? 岩佐: まず、危険な状態だと、これはもう神戸は大変な状態やという意識が強かったものですからね。なんとか早く壊すなり、なんなりしないといかんという先入観があったものですからね。 松田: 実際の解体作業はどのようなものでしょうか。例えば建物が半壊しているとか全壊しているという状態があったとすると、どういうことをされるのですか?例えば、バールで壊すというものなのですか。 岩佐: まず、建物が全部、危険な状態だったわけです。人力でというのは少ないですね。ほとんど重機の作業になりますね。廃棄物をトラックに積んで、それを六甲アイランドか何カ所かに分けて集積していました。 松田: それはそれぞれの担当がやられるわけですね。 岩佐: はい。 松田: どの作業についても粉塵が舞うような状態に? 岩佐: はい。仮設的な養生が出来る現場と出来ない現場があってですね。出来る現場は仮設的な養生はしておりましたけども。 (近藤さん到着) 松田: 近藤さんが見えられました。最初にNHKの近藤さんが登場された番組をみなで観ました。その後、ホットラインの相談の様子をお話いただき、岩佐さんから実際の解体作業がどんな感じだったのか、当時、アスベストの危険性が、現場や組合にどう認識されていたのかをうかがっていたところです。特にどの作業が一番危険だったのか、あるいはほとんど同じような危険性があったということでよろしいのでしょうか? 岩佐: そうですね。 松田: 作業はどれぐらいの期間続いたのでしょうか? 岩佐: 最初、現場を見たときには、神戸は復興までに十年くらいかかるのと違うかというような被害状況だったですね。それがこんなに早く復興するのかなと思うぐらいのスピードで復興しましたね。 松田: 一年くらいかかったということでよろしいのでしょうか? 岩佐: そうですね、はい。 松田: 実際の作業も一年くらいされたのですか? 岩佐: いや、一年もしてないですけどね。 松田: 何ヶ月か? 岩佐: はい。 片岡: 県か神戸市が解体費用を公的に持つ申請期間がありました。それがたしか一年だったという記憶があります。その期間に一斉にしました。以降は自費で解体して業者に頼まなければいけませんので。 岩佐: そうですね、僕らも役所に交渉へ行きました。金額的交渉をね。役所もやっぱり緊急ですから、「めいっぱい出しますからやって下さい」という形で言っていましたね。 片岡: そのときアスベストの危険性は一言も? 岩佐: そうです。ないですね。 片岡: 当局は言いませんね。まあ、その人たちも専門外かもしれませんけどね、書類申請だけで。 松田: そういう意味では、震災だけでなく、アスベストの危険性の問題は、どの時期にもあったと思うのですが、やはり2005年の「クボタショック」以後、認識されたと言ってよいのでしょうか? 松枝: 僕らはあのとき市民運動をやっていたのですが、すべての市民運動が行政、つまり国や神戸市に対して、アスベスト対策を取るべきだと一項目は入れていました。その危険について知識を持っている人はいたわけです。朦々とした粉塵の中で生活していたわけで、最初は撒水もなかったが、解体現場で、撒水を始めるとかありました。撒水がどれぐらい効果があるかはわかりませんよ。それからマスクが増え出す。そういうことは行政もしただろうと思います。ただ、それがどれぐらいの効果があったか。 僕らも同じですが、復旧復興が大前提です。「アスベストなんか構っていられるか」という状況です。知ってはいても実際は、復旧復興の方が優先されたというのが実情じゃないでしょうかね。 岩佐: 私も作業していました。最初は道路でも車が走って廃材を落とす。すごく荒れた状態で作業は進んでいました。そしてある程度進んだときに、道路がだんだん美しくなって、解体する前にも色々養生し、撒水し、しだいにきれいな状態で作業が進むように、段階を追って進んでいきましたね。まあ、それは行政の指導だったのだろうと思います。でないとそういう風な形で作業が変わりませんから。まず道路が美しくなりました。道路が美しくなれば、現場でも整理された状態で解体されていくようになりました。 松田: それはそのさきほど言われた申し入れの効果ですか。 岩佐: そうですね。 松田: そのときは、アスベスト以外に例えばどんなことも言われたのでしょうか? 松枝: 「慌てるな」とだいぶ言いました。仮設住宅も慌てる必要はない。地元で地元らしく生きていくためにはどうするかを最優先させようということでした。しかし、これを期に復旧から再開発へ行政としては最優先だったのじゃなかったのですか。あとはもう後手にまわったというのが率直なところでしょう。そのへんもいろんな問題ありますよね、食事一つにしてもね、防腐剤が山ほど入っている食料品を、おばちゃんなんかが冷蔵庫に十個二十個入れといて、それを食べながら生活しているような時ですからね。 片岡: 私たちにも行政から復興上の住宅無料相談などをそれぞれ立ち上げてくれ、という要望がありました。震災前から神戸市役所の住宅無料相談で私たちの建築のプロが呼ばれ、相談を受けてきたという経緯があったからです。本部の建物玄関に「相談室」という看板を掛け、地域の人たちの住宅復興の相談をよく受け付けていました。そのころ出てきたのは、同業者仲間を悪く言いたくないのですけが、「悪徳業者」といわれる人々です。わぁとどっかから来てぼったくりの値段をふっかけ、基本的作業も手抜きをして、あとはもうばぁと帰ってしまう、そういう業者も一部ですが、ありました。 欠陥があっても請求できない、要求できない。そういうことも含め色んな苦情が出たのだと思います。相談センターを地元で立ち上げてほしいという要望を受けてやってきたという経過もあります。目が向いていたのは、解体か危険性かというと、それは緊急避難状態だったのだと思うのです。 【近藤さんのお話】 松田: では、近藤さんの場合、震災時の解体作業をどんな形でされていたのかをお話しいただきたいと思います。 近藤: 最初に言っておきたいのは、私は家があんまりいい家じゃなかったから、中学校を出て、そのあとは自分で働き夜間高校を卒業したということです。15、6の時分から一応仕事には入っておりました。だから、今からお話しすることについて、きれいな話の仕方ができるかどうかは疑問ですが、みなさんとは違って私は現場の中にいました。自分は仕事している。だから、その観点で間違いがあるかも知れませんが、説明させてもらいます。 まず、震災当日ですが、とにかく急にピカーッと光ったのです。「あれなんか光ったやないの」と感じたのが早朝5時頃だったと思います。「光ったな」と言ったら、どどどどっと地震が来て、これが横揺れでした。それで、家屋の耐震強度が、うやぁ〜いと弱くなったのです。「地震止まったなと」と言っている瞬間に、ぼんぼんぼんぼん飛び上がるような状況で完全に縦揺れになりました。とにかく頭の中で、家の中にどういう道具を置いているかなと思いました。「この壁に逃げたら、なんとかなるやろうと」というわけで壁にもたれ、しのいだのです。そしたら女房が家の下から「なんとか降りてきて」と言います。ところがこっちも下に降りるにも真っ暗でね。階段まで行こうたってみな倒れている。「ちょっと待っていろ」というような感じで、やっと降りて、扉をこじ開けて外へ行きました。自分の家がそういう状況だったのです。 長田の神社の裏に住んでおりました。一番ひどい場所だと思います。それでその後ですが、とりあえず、食べ物がない。水が一滴も出ない。もちろん、電気なんかない。ならばどうしよう。何かないかって、家の表に出ました。自分の家でも表に出るには、よその家のところを回らないと、そこへ行けないのです。外に出るまでに自転車を跨いだり、濡れながら、なんとかしのいだような状況です。その辺のことは話の現場の話として聞いて下さい。そこにゼネコンから、「これは緊急事態だから、あんたは建物のことは、よく研究して知っているから、何とか来てくれ」と言われました。しかし、「来てくれいうたって、ここから動かれへんのに、どうするのや」と答えました。そうすると、軽トラを持ってきたら、それに乗って行って、それで仕事に行けるようになったのですよ。これがまあ震災の全体の話です。 最初に行って一番びっくりしたのは、この言い方が一番わかりやすいと思うのですが、私の自動車、当時1リッターでふだんは13キロくらい走れました。ところが、現場に行った最初の日は、4キロしか走れない。ぶすぶすぶすぶす言い出すし、「はぁ、なんや、どっか故障かい」。エアーフィルターとかついています。自動車には必ず。これがもう詰まってしまってね、通らないのですよ。しょうがないから木切れでエアーフィルターを叩いて埃を落としてから、またちょっと走るというような状況でありました。 だから、もちろんアスベストどころではなかったのです。自動車でさえそんな状態なので、人間はそんなところやなかったというのは確かです。そんな状況で「そしたらマスクせんかい、こうせんかい」と言われても、売っているとこがないのにどうしようもないのです。だから、どうしたかと言うと、タオルを三、四枚持ってきて、それをとにかく口にしました。ところが、30分ほどしたら真っ黒です。だからまたタオルを変える。で、真っ黒なタオルを洗いたいと言っても、水が出ません。だから、洗えない。そういうような状況です。 西山さんもおっしゃったように、アスベストや粉塵のことを考えている暇はなかったです。解体現場の奥の方から、お母さん方が付いてくるのです。「頼むからうちの家の前だけでも取り除いてほしい。外へ出られない。私、いま塀乗り越えて外へ出てきたんや」と。ところが、当時の、先ほど言われたように、お金がどこから出るかもわからない状況なので、「悪いけど、あんたんとこちょっと何か申請出してくれないと無理や」とこちらは言います。「申請はどうしたらいいの?」「どうにもこうにも」「そしたらそこまで行くのにはどうしたらいいの?」って。こういうことで堂々巡りですわ。我々としては、それを取らないとどうしようもないわ、ということで。「金なんかいらない、やったれと」。と言うような事です。 これが最大のことで、だから、アスベストとか粉じんの話は、出たとしても、我々現場に聞こえてくることはありません。ただ、僕らが言えたことは、「神戸市、兵庫県は解体のお金を出すだろう。今出すとは言い切れなくても、多分出してくれるはずやから、とりあえず今、少々のお金出せるのであれば、とりあえず解体すれば、後でお金は返ってくると思いますよ」、と言って、解体作業したわけです。それしか方法がないからですね、この家を取り除かないと、この奥へは行かれないのだから。だから、「なんとか頑張って取り除いてよ」というのが実情でした。 嫌なことですが、私のこの手、震えてきているのですわ。疲れをとってもこの調子です。これも震災の後から、「肺気腫と違うか」というようなことを言われ、薬を飲んでいましたね。呼吸がおかしいからということで。あれを飲んだら、このような後遺症が出るのです。けれども、その当時はそんなことはわかりません。後で、「先生これはどないになっているのか、なんや苦しくなってしょうがない」と。飲んだらそういう人もおるというのがまず一つです。 それから、アスベストとかいう名称のものは、我々の耳には聞こえてこなかったのです。「尼崎の工場で、なんかそんなもん出ていて、騒ぎになっているらしいで」というような感じです。震災のころには私らにはもちろん、そんなアスベストが危険というような話は入ってきてないし、ただ「マスクしてくれー、マスクしてくれー」と。「ないもんどないすんねん」その言い合いばっかりですわ。だからと言って、作業をしなかったら解決しないのです。まあ、そのことにすべてをかけて、やったと。いうのが現状です。 だから、ちょっと質問させて下さいね。いいですか?皆さん、自分たちの家の中でここが一番大事な場所いうのは、どこだと思います?誰かちょっと、思ったとおり言ってくれて結構です。毎日住んでいる家でね。 学生: 仏壇とかですか? 近藤: だれか他には何か思うことない? というより私が基本的な言い方をしてみます。間違っていたら、もちろん言って下さい。皆さん、家を見たら、「立派な家建てたな、立派やな、この柱、ごっつい金がしたやろな。この畳、すごいの入れたな」。これは言いますよね?しかし、一番大事な基礎とその下の捨て石、これ褒めた人いないでしょう。見えないから。 今度の震災があって初めて、基礎がもっと頑丈だったらと。手抜きとかじゃないんです。というのは、我々は、勉強し覚えているのは、まず神戸には地震はない、地震はありえない。火事はものすごくある可能性があるというのが出発点です。家の計算の仕方は、縦に対しては全然、計算をしなかったのです。地震は、横に揺れるものや。だから、横に対する強さは計算したけど、縦は計算していなかった。こういうことが全部、今回、影響したのですわ。 僕が今言った、基礎とか捨て石とかに目がいかない。捨て石とか基礎。僕が自分なりに言えることは、震災の時に。それを行ったのは俺らやいうことです。でも、壊れた家をきれいにし、道を通れるようにして、それから13年でね、こんな復興なんか誰も考えなかったと思います。だから自分なりに誇りは持っていますわ。しかし、アスベストを吸うて、体がこないになったということは、マンガみたいな話や。 松田: 今、作業時にマスクの代わりにタオルを使用したというお話されたのですが、当時作業時にマスクをつけろ、と言われたことがあったのでしょうか? 近藤: あのね、ありました。一、二度あったと思います。ただ言われた時に、「ほんじゃ、支給してよ」と言うことです。自分が、そっちから次のとこ行かれないような状況でね、だからと言ってやりようがないなぁ。だから、まぁ、極端な言い方したらね、やりようがない極限の状況で、何もなかった。だから、みなさんがいろんな意味で、広報を流したり、色々したと思いますよ。だけど、それが入ってくるような状況とは違うのですよ。電話も通じない何も通じない。だから、まあ、これはどちらがええとか、悪いとかいう以前の問題で、出来なかったということです。 片岡: クボタの旧神崎工場の石綿被害の問題が出なければ、国も厚生省、今の厚生労働省ね、県も市も、これが危険だとかマスクをしないといかんとかね、水を撒いてとかいうことをね、ずっと先延ばしたと思うのですよ。そこが一つものすごいポイントやと思うのですよ。僕の発言は国寄せ的なことをつい言ってしまっていますけどね。以前からも色んな警告が出たりしていましたけど、本当にそれがスタートやと思います。本当の危険性を一人一人が、ましてや建設に従事する者たちが、知ってということになると難しかった。 松田: 近藤さんご自身はどうですか?石綿、アスベストという形で、これが危険だ、と認識されたのはいつ頃からですか? 近藤: 認識がなかったというのは、嘘になるからいやですけが、対岸のこと、クボタのところでやっていることぐらいでした。自分の身に降りかかってくるとは思いませんでした。だから、西山さんも言ったように、西山さんたちが動き始め、われわれみたいな者にも入ってきたのは、17、8年のころです。完全に入ってきたんはね。それまでは、福祉課へ行っても、「これは、肺気腫の疑いとあるけど。だからと言っても、なってしまったら、もう治らない。だから、この薬をあげる」。そういう形できた。だから、個人的です。 「もっと、はよ言わんかい、人の命なんやと思とんねん。」という憤りはあります。でも、あのときの状況がどうか言われたら、お水は全くない。水を撒くくらいなら、飲みます。コップ一杯でもね、水がほしいです。だから、理屈はわかっている。わしら、わかってる。でも、ないのだから。言う方も、「マスクせえよ」言っても、出来るわけないわな、いうような気持ちで言ってると思います。 松田: 平成17、8年ごろからでしょうか 近藤: もちろん、このぐらい騒ぎ始めたのは。 松田: この3、4年ですか? 近藤: その間いうのは、肺気腫の疑いがあるといっても、それがアスベストやとか、粉塵を、仰山吸うっているからとかの返事はもらっていない。 松田: 肺気腫の病気は、いつごろ、わかったのでしょうか? 近藤: えーとね、これは震災後6、7年だったと思います。レントゲンが「なんかえらい黒いなと。陰があると言われたことがあります」。ただ、自分自身では歳か、何かによるのかいな、くらいの気持ちでした。お医者さんと話しても、「まあ、なんや言うても、70やそこら過ぎているからな、ある程度体も弱ってくるわな」と言われて、「まあそうでっか」ちゅう感じです。 松田: 失礼だとお許しいただきたいのですが、震災前からのお仕事と、震災時のお仕事は、基本的に同じなのでしょうか? 近藤: そのへんですが、同じと言ったら、ちょっと語弊があるのですが、昔は、何もかもやらいといかん時代やったから。わしは溶接しか出来ない。わしはこれしか出来ないと言う時代じゃないから、現場の先端にいた、先ほど言ったように、基礎をやるときも、基礎なんか経験ないけど、ここへ来て、基礎のセメントを「十分煉れ」と言われたら練り、このパイプ取り替え言われたら、それを外して、それで働いたという。その時に、昔はほとんどアスベストやと思いませんでしたわ、今、考えたらね。けど、そんなこと考えてないし、知らんから。「ほいほい」っちゅうようなものです。だから、全然関係ないことに、この前のことをいうと20年近くですわ、色々やってきて。 ただ、もう一つだけ言えるとしたら、この震災の時に解体で、建築のプロが何人も来ていました。今からここを解体するのですだけど、「どっからやったらよろしい」って言うて、「わかりません。そらそうですわな、きちっと建っとるもん、この柱から取れと言っているけれど、こないなっとる、いうやつをね」。「どうですか」言います。専門家ほど逆にわかりませんわな。そしたら、僕らは「しゃあないな」と長年の勘で、「おい、こっち側からとりあえず取れと。ここまでは、ちょっと今日一日やめとけと。こっちやっとこと。まあ、普通の家で、僕の範囲で6軒ぐらいは、もう今日は、ここでやめておこう。もうこれ以上やると危ない」と言って、あくる日来たら、ぺちゃんこになってたんが6軒か7軒くらいあります。計算とかそんなものと違う、計算しようがない、計算できるわけがない。また、一級建築士が、どこから解体したらよいか、教えてほしいと言われたこともあります。 松田: 学生、院生の方で、今までのお話で何か質問したいことはありませんか? 早坂: 建物解体する時に、一応、養生をしたって聞いたのですけども、具体的にどういう形でしたのですか? 岩佐: 具体的に言いますと、枠組足場か、単管足場を組み立てて、シート養生ですね。 早坂: あのビニールシート? 岩佐: はい。ビニールシートからだんだんと防音シート、防音パネル変わってきましたね。はい。 早坂: わかりました、ありがとうございます。 藤木: 震災時解体にたずさわった方はご存じだと思うので、この場にいらっしゃる皆さんにお訊きしたいのですが、解体した後に、例えば瓦礫だったり、鉄骨につけられていたアスベストだったりっていうのは、何も処理をせずに、どこかに運んだといます。それは今どうなっているかご存じの方おられましたら、教えて頂きたいのですが。 近藤: 解体して、その廃材は、捨て場があります。現在でもあります。最初は、よかったのです。というのは道がないから、捨てに行けないのです。だから、捨てに行ける人は、行けたらすごく早く行けて、ほいほいっと帰ってきて。これで出来たのですが、だんだん道路がよくなってくると、車がすごく並びだして、僕なんかも一緒なのですけれど、しまいには、重機は使いませんでした。重機を使ってばらしても、ばらしすぎてもて、置き場所がないので、手でばらして、トラックに積み込んで、捨てに行ってこいと。捨てに行くと晩まで帰ってこない。だから、明くる日も、そういう状況です。だから、余談で申し訳ないけど、僕らが話していたのは、「一番多く、捨てられるところはどこだろう」。 弁当屋や、お茶屋は、お弁当やお茶を持ってくるのですわ。運転手はね、一旦帰ったら廃材が捨てられないから、夜でも道路で仮眠をしているのですわ。買い物に行かれない。だから、弁当屋、お茶屋が車で持ってきてくれます。「明日、また十本持ってきといてな」と言うようなぐらいに、廃材を捨てることと自身にすごく困ったという現実がありました。 片岡: 場所、どこに持って行っていましたか? 近藤: 一番はね、やっぱり、白川の次の、布施畑の方やね。で、その後、水族館のところに駐車場をなくした所にも持って行った。 神田: 私らも多分見ていたと思うのですけど、トラックに積んで、アスベストがむき出しで、そのまま走っとったから、そこら中がもう、飛散のやりたい放題というのが当分、続いとったなあ。ああいう感じでは。シートが無かったから、余裕も何もなかったから。むき出しのままでトラックが走っていたという光景は、思い出します。 岩佐: 実際、そうでしたけどね。そりゃ役所としては、もしわかとってもね、それを止めると復興出来ませんわね。工事を止めることになる。工事を止めたら、神戸全体が復興出来ませんわね。だから、難しい問題ありますね。 神田: 結局は廃棄物を布施畑に運んで、あそこではどういう処理をしていたかわかりますか? 岩佐: 木はね、木は燃やしていました。なんか緊急事態宣言いうのが出たら、いろんな規制は外れるでしょう。 神田: 県の独自の判断で。 岩佐: ちょっとそれ聞いたことがあるのですけどね。埋め立て、木を燃やしてね。その他のものは、布施畑では埋め立てをしていましたね。 神田: アスベストがまだ埋まっている状態にある。 岩佐:そうかもわからない。そうだけど、「それ、正規のルールで処理せい」言われたって、そんなこと出来ませんわね。 神田: 神戸にそんな設備もないわね。 岩佐: まあ見て見ぬ振りか、難しいわね。難しい問題ですわね。だからとにかく、早く処理してしまおうと。 片岡: 見て見ぬ振りというのもあったのかもしれません。例えば医学の面でも、肺ガンと言われたら、今でこそタバコか石綿か、公共機関の医者は見る目を持ちだしたけれども、クボタの前までは肺ガンと言われたら「アンタ煙草何本吸うねん」と聞かれてね、患者が「いや一日に二十本や三十本やと」「ああ、あんた肺ガンやな、あんた若い時から吸いすぎや」と。これで処理されてきたのですよ。 私たち建設業も肺ガンでたくさん亡くなられていますけど、きっと煙草の吸いすぎで処理されている事がいっぱいあると思うのです。それがやっとね、公共機関の専門医が「石綿の危険がある」という目で見だした。これは私自身が経験したことですけが、病院名は言いませんけれども、内科の呼吸器科の医師のところへウチの組合員さんが、「痰が絡むだとか咳が止まらないとかいうことやから、診てもらって下さいよ」と、こういう風にして受診に行くと、「そういう症状が現に出ているから、もしかしたら石綿の被害の影響があるかもしれませんねと」、こういう風に医者が仰るもんやから、「じゃぁ、労災申請するからね、診断書を書いて下さい」と言う。 何号様式とかいう専門用語があるのですが、「書いて下さい」と言ったら、「私、書けません」ときた。「ほんなら、医師が書けなかったら病院には事務長がいるわけやから、その書類だって分かるはずやから書いて下さい」と言うたら、「どこか別の医者、病院に行って下さい」と。内科の呼吸器専門の医者ですよ。そのレベルでしたよ。その時点では。   クボタ以降、やっと厚生労働省が専門医を集めて、肺ガンなみに石綿の健康被害の研究をし出した。しかし、1975年にはヨーロッパで規制があり、厚生労働省が知っていた上での話をしているのですよ、くどいようですけど。そういうことも含めて、ちゃんと掌握して頂いて吟味して頂いて、っていう風に思うのです。(笑い) 松田: 日本は地震国で、東南海地震も非常に高い確率で起こると言われています。阪神大震災の規模の地震が起こる可能性も十分にあります。そのための教訓がもしあるとすれば、どういうものか、実際に体験された方からお話をうかがうのがいいかと思いますが、いかがでしょうか。あのときはもちろん余裕がなかったのでしょうが、日本やアジアを見たときに、地震は間違いなく起こる。その時、同じことを繰り返すのはよくない。何か、教訓を言って頂くと、中国からやって来た留学生や日本人学生にも、いい機会だと思います。 近藤: 最初に言った考え方から言うと、「ちゃんとせい」という気持ちになった。兵庫県知事が、震災でアスベストになるのは考えられないと言ったのが、新聞に載っていたのですよ。それでもう頭に来た。これだけ世間がアスベストって言っているのに。二十年で出るものなら、もう後七年ほどしたら出る可能性あると言うのですが、現実に亡くなっているわけです。 先ほどの医者もそうです。「診断書が書けません」ちゅうのは、恥ずかしいことです。中国の人がおられて余計に言い難くなったけどね。二度と起こらないようにするのが一番大事ですけれども、やはり一日も早く、こういう病気が出たら、どういう対応、どういう治療したらええということがなかったら、これは堂々めぐりです。理想はいくらでもありますが。 震災の時には、隣の家に米びつがあっても、その家に入っていかれないものね。あっても、米が食えんですもんね。そういう状況なので、僕自身、現地におって、その日の晩に、「おお今日も無事に帰って来れたなぁ」いう感覚以外にないような状況だったんです。ただ、僕自身も反省するのですが、テレビを見ていて、よその地震のニュースが出てきますね、「うわぁ、またえらいことなっとんな」。 自分のとこがなっても、13年近くなってよそのとこ見たらね、「うわぁ、大変なことになっているな。また大変や」と。実感がないんやね。だから、こういうことして、若い人が言ってくれて、育てていけるということに関しては、すごくいいことやなぁと。もう僕らが考えていることは遅れていると思います。総合的に考えたらね。でも、若い人はそれを肥料にしてもらっていけるのが、私が一番お願いしたいこという言い方で、申し訳ないけど。 松田: 他の方はいかがですか。 松枝: まず、アスベストをなくすことじゃないですか。 岩佐: 最近はもうだいぶなくなりましたもんね、どんどんどんどん。費用はものすごく高くつきますけども。どんどんどんどん撤去作業しましたのでね。ですから、これから先こういうような震災があっても、アスベストに関しては、神戸のようなことは絶対ないですね。 松枝: ただね、代替物だって危険性があると言っているからね。そのあたり慎重にどうするかっていうことと、もう一つは、その東南アジア、韓国とか問題になっているけども、ものすごく今、途上国にアスベストが入っているわけでしょ。そのあたりは、やっぱり知っている人らが、日本に被害があるのだから、知らせるのでしょうね。 あと、震災に直接はね、申し入れの時にもずっと言ったけれども、建築基準法でうちがどこにアスベスト使っているかは、一応届け出があるわけですから。だから、それより「マップを作れ」って言ってるんだけど、それはまた膨大な金だとか、調査が要りますよね。だから、実際そのあたりが、せめて大体アスベストが使用している建造物はわかっているのだから、まぁそれも推定でしかないでしょうけれども。だから、被害が起こった時には対処はしやすくなると、言っているのですけどね。 片岡: 今から建築をするとか、今から建物を立てるとかいう問題よりも、1985年以前に、これはマップに繋がる話ですけれども、以前に建てられて、建設省そのものが推奨していて、「アスベストを使用しろ」と言っていた建物を解体する時期でもあるのですね、30年、40年。今このテーマは、阪神淡路大震災によるアスベスト被害に関していうことで議論なさっているけれども、しかし非日常ですよね、震災が起きるっていうことは。日常の社会生活の中で、そういう危険がこれからも引きずってあるっていうことも、この勉強会で是非感じていただけたらなと。失礼な言い方やけども。お願いしたいなと思いますね。 松田: それでは、西山さんが写真を用意して下さっているので、説明していただきます。 (西山さん写真を見せながら説明)。 西山: 今日、岩佐さん、近藤さんからお話がありましたように、こんな状態だったのです。当時を思い出してもらったらいいのですけれども。この人はマスクをしています。けれども、健康マスクですよね。風邪を引いた時につけるような。ものすごい埃が舞っているし。こんな状態の中で、正規の解体作業といったら、養生をして、アスベストが飛散しないような対策をとれ、いう方が無理な状態なわけですね。傾いたり、壊れたりしてしまっているから。だから、こういうふうになってしまった時点では、もう遅いのだと思うのです。 普段からアスベストを無くしてしまう、今のうちに取ってしまう。日本中のどこで地震が起こっても不思議はないわけですから。壊れたら、アスベストが飛んでしまうわけですから、飛ばないうちにいかに早くこれを除去してしまうかと。これしかないと思うのです。 壊れた後でいくら飛散対策をと言っても、無理なわけですから。それが一番課題なんじゃないかなと思うわけです。このあたりを見てもらったら、みんな石綿です。このままの状態で、さっき言われたように、トラックに積んであちこち持って行ったわけですから、解体の時も飛びますし、トラックで運んでいるときも空気中にいっぱい飛んだと思います。 これは、民家を中心に解体作業されているようですけれども、この写真撮った方が言っていましたけれども、灘区の方で国道2号線らしいんやけども、この近くで測ったら、1リッター170本の石綿が出てきたということなのですよ。民家の解体作業の現場にね、大気汚染防止法でいったら、1リッターあたり10本が限界と言われています。で、その10本っていうのも、石綿を作っている工場の壁のところから外に出ないようにということで、壁の敷地のところで10本っていうのが決まっているのですけども(★)。だから、解体作業が行われているそのすぐそばで測ったら、170本出てきたということですから、いかに震災時にたくさん飛んでいたのか。こういう、見てもらったら分かるように普通の家ですよね、どちらかといったら。 普通の家っていったら、石綿はそんなに使われていないはずだし、どちらかといったら。建材とかにたくさん石綿が入っている可能性があるのですけども。そういうところにもこれだけ飛んでいたということになります。これも同じように梁のところとかにいっぱいついていますね。だから、こんな状況やから、正規に解体をしろというのは無理ですよね。吹きつけがもろに出ています。 藤木: これは建物のどの部分にあたるものなのでしょうか? 岩佐: これはスラブですね、床のとこ。電気プレート。 (近藤さん写真を指す) 近藤: これ一番わかりやすいでしょう。梁のところについているでしょ。これが一番よく見える。灰色のところに吹き付けたような状況で。白いところやったらあんなに盛ったような形にね。ぼろぼろ垂れ下がってますでしょ。 西山: 壊れてしまった状態では絶対飛ぶわけですから、そんな中で安全対策とか、飛ばない対策取れっていうこと自体、無理な話だと思うのですね。それまでにいかに飛ばないように除去してしまうというか、それしかないと思うのです。それまでに何ができるかっていうことを、みんなで知恵を出し合わないといけないと思うのです。 松田: 学生か院生の方で、今日の全体を通して質問とか何かあれば。 藤木: さきほどアスベストの量自体が少なくなってきているというふうにおっしゃっていましたけれど、具体例を挙げて頂けますか? 岩佐: まず、学校関係、役所関係。役所が、率先して除去にかかっていますね。公的な建物のアスベストの除去は、もうほとんど終わっているんじゃないですか。ただ、一般の民家でもね、天井のボードにアスベストが含有しているボードもありますからね。それから、ケイカル板、大平板、このようなのは一般の民家でも全部使っています。スレートも使っています。みな入っています。公的な建物については、ケイカル板もスレートもみんな入ってない建材に変えていますけども、普通の家はアスベスト含有がわからないから。分析に5万も6万も金を払う。まぁ、なかなか広く出回っていますので、なかなかやっかいですね。 藤木: 公的な建物で使用されている分についてはだいぶ減ってきているのですね。しかし、70年代以前に建てられたような、まだ建ってはいるがそろそろ立て替えないと危ない、という建物は、日本全国に結構散らばっているわけで。そういうのに関してはどのように対処していくべきなのでしょうか。 岩佐: 今はね、届け出が義務づけられるようになったのですよ。80平方メートル以上は。その場合に、届け出た場合に、役所が「これはアスベスト建材が含まれていますか?含まれていませんか?」いう書類があるわけです。それにアスベスト建材が含まれていません、含まれています。含まれているのならば、どの場所にどういうものが使われているのか。いうことを全部明記するようになっていますんでね。だから、きちっとはルートが出来ている感じですね、今は。 藤岡: それを調査するのに5、6万円くらいかかるっていう話だったのですけれども、それを除去するのにはどれくらいかかるのですか? 岩佐: これねえ難しいです。莫大な、ものすごい金額がかかりますよ。日々あたり何十万いう金額かかる場合もありますし。で、とくにこの吹きつけいうのはね、耐火のために吹き付けとるわけですから、手の届かないところとか、ややこしいとこに吹き付けてあるのですわ。そやから、除去にものすごい手間もかかるし、ものすごい費用もかかるのですわ。そやから、民間の方はなかなか思い切られない、金額的に思い切られないとこがあるのです。ただ、アスベスト建材が使われているということがわかっていても、除去するのにちょっと見合わそうかという場合が多いのですけども。 藤岡: だいたい目安として、民家一軒のアスベストを除去にいくらくらい? 岩佐: 民家はね、アスベストと言っても、飛散性と非飛散性いうのがあります。民家で使われてるいのはほとんどが非飛散性いう建材なので。そうきっちりした防護策もなしに、取り外しが原則ですから。ぼんぼんと壊すのはだめなのです。取り外しが原則なのですから。取り外した場合には飛散する心配が低いと。 藤岡: 大体ビル一棟では目安としてどれぐらいなのですかね。 岩佐: 何百万、何千万。 片岡: こないだ、解体したのは何千万やったな。 岩佐: ええ。それもピンからキリまでありましてね。 松田: 先月ですね、尼崎の方で、旦那さんを中皮腫で亡くされたされた方のお話聞した際、アスベストが使用されていた隣の家を業者がまったく何の処置もなく、「ばんばん」壊してしまったということを聞きました。制度的にちゃんとできたとしても、実際に作業する者に中身がちゃんと伝わってなければ、やっぱり危険性はまだ残るわけです。そのあたりある種の教育が重要だと思います。 岩佐: それもね、車と一緒で、「免許持ったら制限速度を守りなさい」言うのですが。わかっているのですけども、スピードを出してしまいますね。それと同じで、いくら良い制度が出来てもね。届けなしでやれば出来るのですわ、これが。正規に届けたら、いろんな書類を出さないといかん。完了届けも出さないといかん、マニュフェストも全部提出しないといかん、いうのが今の制度なのです。ですから、手間がかかるから、届けんとやろうかいう者もおるわけですわ。 片岡: 震災で解体なさっていた方が13年くらいで中皮腫なってしまったということなのですけども、本来20年、40年いう期間ですから、あなたたちもお若いけども、ぼくらもそうですけども、あの解体当時の時、平気で現場の横通って日常生活していたじゃないですか。だから、もうあと逆にいったら、20年ぐらい経つと、少なくとも吸っていますからね、皆さん、僕もみんなも。それが発症しないという保証は何もない。 そしたら、発症する危険を常に持って、僕らは、神戸の阪神淡路大震災経験したものは、これから先、生活していることなのです。皆さんが関心をお持ちだったら、危険を気にされるやろうけども、一般市民は危険を気にしないで生活している。それで、いざそういう症状が出た時に、原因が何かわからないような状態の時に、救済も求められないと言う状況に。そっちも怖いということも。 なんでそんなこと言うかというと、みなさんにお配りしたこの機関誌の真ん中に、こういうようなのが挟まっていると思うのですけども。私たちの建設業の仲間の団体、兵庫県から5つ組合があるのですけども、これで、建設国民健康保健、国民健康保険の建設労働者版です。建設国保っていう保健を作っています。毎月、病院からレセプトという名の請求書があがってくるんです。病院では3割払って、あと7割保険組合が払っているのです。 100人ぐらい、中皮腫や肺ガンや、それからその疑いや、それから、胸膜プラークがとかですね、肺気腫も含めて石綿肺、そういう疑いも含めてですね、あがってくるのですよ、請求書の病名の欄にね。その人たちがいるということ前提で、私がそれに関して相談に乗るから、どうぞ私たちのホームに、労災の申請か石綿新法か知らんけど、健康被害救済の手続きの協力をしますと言っているのだけど、なかなかご相談にない。あった時には大変な状況であると。医学的にどうこうしてあげることは出来ないけども、救済問題で。というと、西山さんや神田さんたちのご尽力でやっていただいている。 松田: 今、指摘されましたように、救済、補償という大きな問題があります。それについても今後の課題としたいと思います。今日は、震災との関わりでのアスベスト被害の問題を勉強にすることができました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 ★この値についてはばらつきがある。『Nikkei Ecology』200年8月号の、井部正之「忘れ去られた震災時の曝露 認定を教訓に平時の対策を見直せ」(pp.78-81)では、解体現場近くでは最大1600250繊維/l、神戸市の調査でも19.9繊維/lが検出されていることが明らかにされている(以上、アスベストセンター永倉氏の指摘)。NHKの番組ではこれが50繊維とされている。