アスベスト被害聞き取り調査―岡崎剛さん[2007年9月14日] 松田毅(神戸大学大学院人文学研究科教授): まず、これまでの経緯を簡単に説明させていただきます。われわれは文学部の哲学・倫理学といった分野が専門なのですが、最近の研究動向では「安全」や「リスク」といった問題に関心が高まっています。あるいは、工学や環境といった部分で倫理的な問題を扱うといったことをしております。 神戸大学は阪神淡路大震災をきっかけにしまして、地域との連携を打ち出しました。文学部も社会学や日本史で、震災を経験された地域の方と一緒になって問題を汲み上げ、そして考えるといったことをしております。 私たちも、二年前、尼崎の方でクボタの排出したアスベストによる環境曝露で中皮腫の被害者が続出しているということで、その問題に注目して、倫理的問題として取り組み始めました。クボタ以外にも、アスベスト性の肺疾患を患った被害者の方に聞き取り調査を行う中で、船員の中にも同様の問題がある、ということが徐々に明らかになってきました。 前回の聞き取り調査では、元船員の方々をお招きしてお話を伺いました。その際、一つ興味深いエピソードとして、その時は確か南アフリカだということだったんですけれども、(アスベストを含む)積荷の荷下ろしの際にも、労働者が防じんマスクをしていたと。もしそれが本当だとすると、海外ではかなり以前から港湾作業についてもアスベストの危険性が認識されていたのではないか、ということになります。そうすると、日本国内の港湾労働者の問題や政府や企業の責任ということにも直結してくるのではないか、と。 今回も同様に、船の仕事とアスベスト問題の関連について、ご自身の経験や見聞を踏まえてお話いただければ、と考えております。 では、まず最初に、日本郵船へ入社されるまでの経歴をお話いただけますか。 岡崎氏の経歴について 岡崎剛: 私は少々変わった経歴でしてね。終戦は昭和20年ですが、その時には学徒勤労動員で横須賀市の海軍航空技術に、中学二、三年生まで所属しておりました。ですから、勉強は中学一年生の時だけですね。二年生になったら勉強はほとんどなく、今はアメリカ軍が占領してベースと呼んでいますが、横須賀の造船所の方に週二日ほど学徒勤労動員で仮に行っていて、正式には昭和19年12月に国家の命令を受け、一部の教職員を除き二年生は海軍航空技術に動員されました。 終戦までそこにいたわけですが、このままじゃいかん、ということで、ちょうど募集があった甲種飛行予科練習生の試験を受けたところ、合格しまして、試験があったのは昭和20年1月だったと記憶しているのですが、「昭和5年12月1日以前に生まれた者」という年齢制限があったものの、私は昭和5年9月11日生まれですので、ギリギリですがそれにひっかかることなく合格しました。 その後、昭和20年7月山口県市の海軍通信学校に行きました。そこで終戦を迎え、すぐに復員ですね。それから、今の横須賀高校に復学したのですが、食べるものもない、大変ひどい生活でした。幸い、米軍の空襲で焼けることもなく、家は無事だったのですが。そこで、海軍に行ったのだから船に乗れるのではないか、と思い立ち、つてを通じて特別輸送艦と名称が変わった旧海軍駆逐艦へ乗船することになりました。これが昭和21年から22年にかけてですね。22年3月に、今度は海員学校への試験を受け、これも合格して、約一年間岩手県宮古市の宮古海員学校――当時は海員養成所という名前でしたが――へ通いました。そこを卒業して初めて乗船することになりました。当時、戦後統制経済下の海運界は全船社が一括して船舶運営会という組織に組み込まれていたのですが、そこで一課一斑に所属していた戦標船(A型)6,800G/Tの汽船栄豊丸がいわゆる「親船」となった、即ち、海上における私の一生を決定づけた初乗船となりました。半年ほど引き上げ輸送(復員輸送)に従事した後、次に日本郵船の氷川丸に乗りました。最後にはGHQから外航に出る許可が出まして、ビルマのラングーン(現在のヤンゴン)などへ、お米を積みに行ったりもしたものです。 ディーゼル船はメインエンジンにディーゼル機関を使用していますから、蒸気をあまり使っていません。ですから、アスベストは使っていないというか、ほとんど関係ないと思います。私が最初に乗った非武装の駆逐艦はタービン船で、今で言うツインスクリュー船でした。それで、蒸気を非常によく使うんですね。煙突も二本、ボイラーも二つですから。アスベストで被覆された蒸気パイプが船内に縦横無尽に張り巡らされていました。 松田: その頃のお仕事は、具体的にはどのようなことをなさっていたのですか? 岡崎: 機関部の方の補機担当です。電気と補機が一緒になっていたのですが、要はデッキ(甲板部関係)の方ではなく、エンジンルーム(機関部関係)です。 松田: 以前、元船員の方にお話を伺った際、「船内職務分掌」に関する書類をいただいたのですが、階級は徐々に上がっていくわけですよね。これは、試験かなにかがあるのですか? 岡崎: 社内の推薦や、船舶職員としての海技免状の取得状況に応じて昇進の基準はいろいろあります。私も最初は甲板員で、学校(現独立行政法人海技大学校)に行って合計三年間勉強して、海技免状を取って、船に戻って、船長になるまで三十三年間ですね。今は6級から1級まで海技士免許が分かれているのですが、3級の免許を取ってから一年後に2級免許を取る資格ができ、2級免許を取ってから二年後に1級への資格ができます。学科試験(含口述試験)と実務経験に分けられるのですが、学科試験は、最初に三回分(1級、2級、3級)を受け、合格することも可能です。しかし、実際に実技の経歴がないと、免許は取れません。 松田: どこからどこまでが三年なのでしょうか? 岡崎: ええと、順調にいって三等航海士(海技士)から二等航海士(海技士)へ昇進するためには一年間の海上実歴が受験資格として必要です。二等から一等――今は一級海技士と言いますが――までが海上実歴二年間で、合わせて海上実歴三年です。条件は今でも変わっていないと思います。 松田: 「船長」は、資格ではなく、職名ですか? 岡崎: はい、職名です。(資格名では)今は海技士の6級から1級という呼び方をしますね。昔は甲・乙・丙という風に呼ばれていましたが、三十年ほど前に呼び方が変わったようです。 それで、先程の話で出た引き上げ輸送以降、つまり氷川丸からは貨物船で、貨物を運ぶ仕事でした。一番大きいのは、総トン数12万トン級のタンカーで、ペルシャ湾まで行って30万トンの油を積んでくるなんて作業が多かったですね。一番最後は、日本船籍ではなかったのでことさらはっきり覚えていますが(船自体は日本郵船のものだが、税金対策でリベリア船籍になっている)、外国人の方と混乗で乗り込んだのが5、6隻ありますね。 松田: 船の乗り降りの場所の履歴などはわかりますか? 岡崎: 乗り降りした港は、航路によっていろいろあるのですが、一個人としては、船員手帳を見るのが一番確実です。ただ、日本の船員手帳は日本籍でしか認証されていないんですよ。だから、正式な船長になるための経歴の書類にはならない。また、船員手帳では、貨物船か否か程度はわかりますが、どこからどこまで行ったかといった、航海ごとのデータまではわかりません。(※日本籍船は船員法の規定によって「公用航海日誌」の船内備置が定められている。また船内の日々のできごとは「船用航海日誌」(Ship’s Log Book)があり詳細に記載されている) 船上業務とアスベスト 松田: 先ほど伺った、アスベストの積み下ろしの問題についてお話していただけますか。 岡崎: アスベストと言いますと、赤城丸のお話ですね。赤城丸は、日本を出て定期航路を廻る船で、私は昭和39年6月16日から、昭和40年11月4日まで乗り込んでいますね。最初の航海は臨時配船で日本−豪州間の定期航路。次いで中近東・黒海航路に就航し、その後日本からアメリカの五大湖の方へ行って、次にカナダを廻った定期航路です。沢山の港に寄港することになります。日本でいえば、神戸、大阪、名古屋、横浜といったように。普通で大体20〜30の港に寄港します。オーストラリアは大体6港くらいだったかな。シドニー、ブリスベン、メルボルン、アデレード…、まあ、大きなところは大体、寄るわけです。アスベストの件で寄ったのは、メルボルンだったかと思うのですが…。今となっては記録がないので何とも言えません。 松田: カナダも、アスベスト生産輸出大国ですが、カナダの港では、アスベストの積み下ろしの際のマスクの着用について指摘されなかったのですか? 岡崎: 確かにカナダでは東岸・西岸共多数の港に寄港しましたが、カナダにおいてはマスク無しの危険性について指摘されたことはなかったですね。オーストラリアで指摘を受けたことはまず間違いない。「これは吸ったら危険だよ。船艙内へ入るならマスクをしないといけないよ」、ということを、赤城丸2番船艙内の沖仲仕(stevedore)から注意された記憶が残っています。 松田: 日本ではどこの港から出発されたんですか? 岡崎: 横浜が最終だったと記憶しています。一番先に帰ってくるのが神戸ですから、アスベストを一番最初に下ろしたのは神戸だと思います。 松田: クボタが購入したアスベストが、神戸港経由で入ってきていたことは間違いないと思うのですが…。 岡崎: 私が運んだ中では、袋入りのものが記憶に残っています。セメント袋のような、一袋約30kgくらいの紙製の袋に入ったものです。 松田: 紙ですか。我々がよく耳にするのは、麻袋のような目の粗い袋に、積み下ろしの際に鉤のようなものをひっかけて、そして破れた裂目から出てきたアスベストを吸い込むといったケースなのですが。 岡崎: アスベストに限らず、セメントなどでも、手鉤の使用は船社側の方で禁止しておりました。何故かと言いますと、こぼれたりすると危ないからです。ですから、フックは使うなと指示しておりました。労働者が運ぶ姿を実際に目にしていますが、あれは確かに(麻袋ではなく)紙袋でした。   松田: 衝撃が加わった場合などに、袋そのものからの飛散があったかどうかは覚えてらっしゃいますか? 岡崎: はっきりは覚えていませんが、少しはあったのではないかと思います。積み下ろしの作業は1ギャング、つまり18人から20の単位で行うわけですが、常に半分は休んでいたように思います。半ギャングが働いている間は、もう半ギャングが休むといった感じで。オーストラリアの人間はあまり熱心に働くといったことはしないみたいです。 松田: 一番可能性が高いのが、メルボルンですか。 岡崎: メルボルンだと思います。カナダにも行って、鉱石を積んだこともあるのですが、それがアスベストだったかどうか…。ちょっと今はわからないです。 松田: その時の積荷の量というのは、どれくらいですか? 岡崎: アスベスト単体で、2〜3千トンは積んでいたと思います。もちろん、他の荷物も積んでいますよ。全部合わせると1万トンくらいです。 松田: アスベストを船から下ろす時は、ご覧になっていませんか? 岡崎: うーん、覚えていないですね。なにせ、危険物であるという認識が全くなかったですから。危険物船舶運送及び貯蔵規則に定められた危険物であれば、当然、相当気を遣いますが。認識としては、普通の雑貨やセメント並でした。 もう一つは、それから何年か後、私が一等航海士になってからですが、ニューヨーク航路のはんぷとん丸に乗り込んだ時のお話になります。私がはんぷとん丸に乗っていたのは、昭和45年8月28日から昭和46年6月12日までですから、その頃の話になりますね。「荷敷き」と呼ばれる、ダンネージウッドというものがあるのですが、これは、船体との温度差によって荷物に水滴が付くのを防ぐ目的で使われます。これの代わりに、アスベストを使った荷敷きを使った経験があります。100枚くらいだったでしょうか。日本郵船経由でテストのお話が下りてきました。 危険性についてのお話は一切なかったのですが、重くて持ち運びが不便な上に、なにより強度的に弱かったので、一回きりの使用になりました。 松田: アスベスト製のダンネージ材を作っていた会社というのは、それまでも(木材などの、アスベストとは異なる素材で)ダンネージ材を作っていたのですか? 岡崎: どうやらそのようですが、その会社についての詳細まではわかりませんね。下請けの会社なので、直接のお付き合いもないもので。なぜアスベストを使おうという考えが浮かんだのかも理解しがたい。値段も高く、強度的にも従来の材料に劣っていたのに。厚さも約1cmはあって結構分厚かったですね。 結局のところ、使用を止めたのは、安全性の問題というわけではなく、強度的に実用に耐えうるものではなかったからです。強度的にはベニヤ板とほとんど変わらなかったんじゃないでしょうか。 松田: 話は赤城丸の頃に戻りますが、アスベストを積んでいる船というのは、日本郵船以外にもあったのですか? 岡崎: ちょっとわかりませんね。少なくともやっていたのは日本郵船とMO、つまり三井船舶(現大阪商船三井船舶)の二社です。一種の航路同盟のようなものがありまして、昔からやっている大きな船会社が半ば独占的にやっておりましたから、他の会社の船はおそらく来ていないんじゃないかな、と思います。 松田: アスベスト積み下ろし作業の見聞のことなのですが、他の船に乗っておられた同僚や、あるいはそれ以外の方でも、同じような話を聞いたということはありませんか? 岡崎: それはありませんね。 松田: ということは、かなり珍しいケースだったのですね。 岡崎: そうなんですよ。昔の個品輸送とは違い、今は各船舶が専用船化されましてですね、積荷は全部コンテナに入っているので、外からは見えません。この、個品輸送から専用船化への切り替わりは、昭和50年前後からではないでしょうか。  ですから、オーストラリア航路もずっとコンテナ船が就航しています。ただし、外から見えないようにしているとは言っても、積荷が危険物であれば、危険物であることを示すマークがコンテナにはついているはずです。危険物以外にもマークの種類はたくさんありますから、コンテナを外から見ただけで積荷の内容はある程度はわかります。 松田: 当時、代表的な危険物としてどのようなものがあったのでしょうか。 岡崎: 問題になったのは、四エチル鉛ですね。航空燃料のオクタン価を上げる、アンチノック剤の原料になる化合物です。主にアメリカから来ておりました。これを積んで、大きな事故を起こしています。 (四エチル鉛は)ドラム缶に入っているのですが、航海中、そのドラム缶がなんらかの原因で破損し、穴が空いた。有毒な液体ですから、大騒ぎになりました。海上でおおまかな処理をした後、港でもっと精密な作業をしたのですが、その時に洗浄作業員の方が何人か亡くなられた(1967年10月17日の日本郵船貨物船「ぼすとん丸」での事故)。 そういうこともあって、危険物というと、我々はハラハラしながら、自衛策を講じながら運んでいました。 松田: アスベストは、吸ったとしてもすぐに影響が出るわけではないですからね。 岡崎: 危険品に指定されていなかったというのは、恐ろしいですね。運輸省が通達で出す、とかなんとか言っていたのですが…。しかし、少し調べてみたところ、今も載っていないようなのです。この辺りはもう少し詳しく調べてみる必要がありそうです。 松田: 港湾作業員には清掃作業員も含まれますが、そういった方が清掃作業中にコンテナの中でアスベストを吸われるといったお話も、よく耳にします。 岡崎: 清掃作業専門の方は、年中そういったことにあたっておりますが、船ごとに何が積まれているかわからない、というのが実状です。 松田: 先ほど、昭和50年代からコンテナ船に変わった、とのお話がありましたが、アスベストも全てコンテナの中に積み込まれるようになったわけですね。個品輸送からコンテナ輸送に切り替わっても、その辺りの事情は変わっていないのですか? 岡崎: 一緒ですね。変わっていません。 日本郵船からのフォロー 松田: 次に、岡崎さんご自身の体の状態(プラークの疑い)についてお伺いしたいと思います。まず、プラークの疑いが発覚するきっかけとなったのは、どういったことでしょうか。 岡崎: 日本郵船からの通達によるものです。「アスベストによる健康被害が問題になっているから、退職者を含めて、職員の身体検査をする」、という内容のものでした。 松田: 日付で言うと、去年の今ごろですね。その後の全体の結果もご存知ですか? 岡崎: いえ、把握しておりません。退職すると、会社とのつながりはどうしても薄くなるもので…。 松田: 診断自体は、神戸で行われたのですか。 岡崎: 指定されておりました、神戸労災病院で行いました。日本郵船以外の人間も大勢いましたよ。私が行った時で、50人くらいいたかな。 松田: これについてOB会のようなものがあるんですよね。 岡崎: はい、ありますね。毎年開催されており、毎回参加しております。 松田: では、OB会の場でこのような類のお話をされることはあるのですか。 岡崎: 少なくとも、今まではなかったですね。この件に関しては、藤田佳弘機関長が会報か何かで、文章を書かれていたように記憶しているのですが…。 松田: こちら(『海員』、2005年12月号、pp.35-7および同誌、2007年9月号、pp.74-5.)に書かれていますね。労災認定までが非常に大変だったようです。そして、こちらの『海技大学校報』にも経過を書いておられますね。こういったお話を伺う限り、会社としても業界としても、アスベストの危険性や、過去にどう扱われていたのかということついて詳しく調べるといったことはしていないように思われるのですが、いかがでしょうか。 岡崎: 確かに、していないでしょうね。担当者の所属も、「人事部第二グループ」になっています。昔は、こういった問題であれば「海務二課」という部署で担当していました。今は名前が変わっているかもしれませんが、海の技術的な事に関して扱う部署です。担当者は全員海員経験者で、十人前後おりました。 「海務二課」は専用船やコンテナ船、タンカーなどの出来事をチェックしていましたから、こういうところが絡んでいれば、もっと深く研究する気があると判断できるのですが、この書類を見る限り、そうではないですよね。それに加え、運輸省の方も未だにアスベストを危険物に含めていないようですから、あまりこの問題については重きを置いていないのではないかというように思えます。 船舶の構造とアスベストの関連性 松田: タービン船の話に戻ります。積荷の問題ではなく、船の構造そのものにアスベストが多く使われているということですが、タービン船は今はほとんど残っていないのですか? 岡崎: いえ、そのようなことはありません。少なくなってはきていますが、今でも(タービンとディーゼルが)半々くらいか、4対1程度ではないですか。最大の問題は、燃費です。タービン船は軽油と、重油の最悪のものしか使っておりませんので、燃料単価は半分かそれ以下になります。 松田: タービン船の方が安いのですか? 岡崎: いえ、高いです。燃料単価は半分そこそこなのですが、なにぶん燃費が悪い。ロスが多く、燃料の質も悪いですから。そういうわけで、総合的にはディーゼルの方が安い。 松田: 最近の新造船なんかには、アスベストは使われていないのですか? 岡崎: 使われていないでしょう。昔は蒸気管などにふんだんに使われていましたが。アスベストが輸入禁止になったのは、確か最近のお話ですよね? 藤木篤(神戸大学大学院人文学研究科博士課程): 完全な禁止は2008年を予定しているようです。原則禁止は2004年からで、2006年には年間輸入量ゼロとなっています。 岡崎: うーん、ということは、代替品を使っているのでしょう。ないとやっていけないでしょうからね。 松田: ただこの間のシンポジウムでは、絶対禁止ではなく、一部代替困難な製品については使用が認められている、と技術者の方が仰っていましたね。これは、船に限定されたお話ではないようですが。 藤木: 以前、関西大学の齊藤了文先生からお聞きした話では、船のパイプとパイプをつなぐガスケット部の代替品などがまだ実用化できていないようです。代替品では、高温に耐え切れないとのことで。 松田: 少なくとも、かつてと同じ様に野放しの状態はなくなるとは思います。国内ではそのような状況ですが、国外ではどうなのでしょうか。 岡崎: 船級というものがあるのですが、英ロイドと米AB(アメリカン・ビューロー)、そして日NK(日本海事協会)のいずれかであれば、(今後とも)まず安心であると思います。しかし、仏BVやイタリア、ドイツ、ロシアなどいろんな船級協会がありますから、そのあたりまではなんとも言えません。どうも基準の厳しさについては、ばらつきがあるように感じますが…。 松田: 船の老朽化についてはどうなっているのでしょうか。 岡崎: 落ちる時には、大体三段階あります。日本船であれば、約2、3年で一段階落ちます。一段階落ちて、韓国や台湾、シンガポールなどですね。その下はパナマ、リベリア船籍です。最低は、北朝鮮、キプロス、ベリーズ船籍となります。 松田: 老朽化していって、耐用年数が減っていくと、安く取引されるわけですね。 岡崎: そうですね。おそらく無料同然の値段でやり取りされているのではないでしょうか。耐用年数の目安は、大体貨物船で建造から15年、タンカーで13年と言われています。2、3年で一段階落ちて、その次に5、6年でさらに一段階落ちて、最後にはスクラップになります。船の寿命は案外と短いんですよ。 藤木: そうなると、いわゆる「元を取る」ためには、ずっと動かし続けないといけないのではないですか。 岡崎: 現在では、資金の回収は大体三年を目途にやっているらしいですね。ですから、(資金回収の)目安がついたら、手放すようにしているんじゃないでしょうか。 一口に船と言っても、形はたくさんあるわけですが、使い物にならない船は落ちていく先すらない。そういう船はスクラップになるしかない。今スクラップといえば、全部台湾でやっている。だから、アスベストの問題も今後大きくなってくるのではないかと思う。北朝鮮やロシアでもあまり気を遣って処理しているようには見えません。 海難審判について 松田: 現在のお仕事、海事補佐人というのは、海難事故などを扱われるのですか? 岡崎: はい。陸上で事故などがあった場合、国選弁護人が選ばれますよね。あれと同じようなもの、というとおかしいかもしれませんが、資格は一緒です。一級海技士の免許を持つと、無試験で、申請だけで海事補佐人の資格を与えられるわけです。専門家でないと、はっきり言って船の問題はわからないですよね。いろんな問題がありますから。私自身は、神戸に来て12件海難審判を担当しました。 松田: それは、なんらかの事故ですか。 岡崎: はい。いわゆる海難事故ですね。各地の海上保安部から申し立ての一件書類が出ると、理事官が審査して、審判開始の申し立て書を該当地の審判庁に提出し、海難審判を行うわけです。(海難審判の)頻度は、一週間に2件、月にして10件あるかないか程度です。 しかし、陸上の裁判員制度ができると、海事補佐人の仕事もなくなるのではないでしょうか。 松田: それは、陸上の裁判所と同じような感覚で行われるようになるということでしょうか。 岡崎: はい。事故調査委員会って言うんですか。飛行機と電車の。事故があった場合、そんなふうになるのではないか、という噂が出ています。 私は特に小型船舶の方を担当していました。日本船舶職員養成協会で、海技試験員をし、一応教えていましたから、15年くらい。郵船辞めてからですね。だから小型船舶のことを、研究はしているというほどではないんですが、興味持ってやってます。まあいろいろあります。 松田: それは言えないこともあるでしょう。海の上のことですから、特に安全・安心の問題もいろいろあるのかと思うのですが。 岡崎: そうですね、特に船長としては。やっぱり機関長の考えとまた違うかもしれませんが、昔から言われてきた伝統的なことや大事なことがたくさんあるんですよ。それがもう伝わってないですね。残念ながらね。小型船に乗ってて、小型船と言っても7、8百トンから2千トン以下くらいの船ですけど、乗組員7,8人しかいないわけですよね。そうすると、いろいろ問題があるわけですね。誰でも当直に立つわけですよ。免許がなくても。そうするとですね、船はもう自動でしょ。スイッチ入れれば、船、真っ直ぐ走りますからね。 そうすると、レーダーの見張りが全然できてないんですよ。事故が多いですね、結構。現場のことを知らない国土交通省のお偉方、まあうちのとこもそうなんですけどね、レーダーの見方さえ知っていれば衝突を防げたってのがたくさんありますよね。レーダーの見方を知らない。相対運動方向ですからね。あの見た目のものじゃないんですよね、レーダーってのはね。レーダーが電波を出して返ってくる。これを船の指示器で見るわけでしょ。そうすると、それは実際の位置とは違うんですよ。実際のコースと、位置はレーダーの指示器でキャッチして表示された時点では一緒なんですけど、相対運動方向が出て来るので、衝突するかどうかの判定方法を知らないわけですよ。ただ見てるだけですよ、今の内航航路に乗ってる方はね。そこまで教育を受けてないし。一応、教育は何時間かあるんですよ、船橋当直の仕方をですね。しかし受けてない人の方が多いですからね。そうするとただ見てるだけだから。テレビの画面を見てれば、映像が映っていて分かりますよね。はっきりね。だけど、レーザー指示盤面上では、点と光が出てくるわけですから、それをどうしたら、相手船はどっちの方向向いて走ってるか、これ衝突するかどうか、簡単な判定方法が分からないわけですよね。 それで二、三年ほど前、あそこの潮岬の沖で衝突したタンカーか何かが、大きな人身事故起こしてますよ。それから銚子、千葉県の銚子の沖でも。これらは最近の大きな事故ですよね。これらの当直者も知らないから。ただレーダー見てるったって、レーダーを上から見てるだけでは駄目なんですよね。 松田: 本当は誰かが教えなくてはいけない。 岡崎: 教えなくてはいけない。そうなんですよ。われわれが若い頃、教わったように。レーダーのプロッティングと言うんですけれどもね。これをやらないと駄目ですよね。だからそういうことを言ってるんだけど、なかなか採用してもらえませんね、そういう意見はね。 松田: 例えば、あのフェリーだとか、もっと大きな船の場合は? 岡崎: 瀬戸内海を走ってる船はもっと大きいですよ。姫路の沖に家島がありますが、あそこも内航小型近海航路の船が多いですよね。あの辺りの5〜800トンの船は、皆レーダーを持っているんですよ。だけどその操作の方法だとかを良く知らないですよね。で、一人で当直してるでしょ。だから霧でもかかってきたら、船長さんが一緒に昇橋してやればいいんだけど、レーザー操作方法を熟知している船長の数が少ないですから、やり切れんですよね、一人では。そういうことの方法を教えたりね。いろいろあります。それから陸上勤務が長いから、もう船員として、名前は航海士なんだけれども、実際には、大事なことが抜けてますね。われわれから言わせますとね。だからそういうことが伝わっていけばいいんですが、まあ一番何かあった時に言おうかな、と思ってるんですが、当直交代した時にね、一般的に4時間船橋当直やっちゃ8時間休むわけですよ、今のやり方はね。すると自分の船の位置を確かめてない方が多いですよね、はっきり言いましてね。当直交代したら、これから自分が当直やるって時にはなんでもいいです、方法はね。それをしっかりと確認して、自分の位置を確認して、当直を交代すればいいんですが、そういうことやらない。例えば、レーダーばっかり見ておる。それで当直交代する。 大きな事故で、私、助かったことが一回あるんですよ。シンガポール海峡の入り口にホースバーグっていう灯台があるんですよ。それをね、私が一等航海士の時でしたが、前道の二等航海士の方、陸上勤務が長くてね、あんまり慣れてなかったんですね、船のこと。そうするとレーダーでばっかり見ておったから、実際、灯台見えてるんですよ。その灯台を見て、その方位を測ってね、それでレーダーで距離を測る。これは正確な方法なんですけれどもね。レーダーばっかり見てるもんだから、そのレーダーで映ってる灯台がよその遅いスピードのタグボートだったらしいですね。後からあの赤い船とか見たら。だから自船の位置がとんでもない方向にずれてるわけですよ。船の位置が。私の当直が4時から8時なわけですから、もう何分かしたら、浅瀬に乗り上げてしまったかもしれない5万トン近い大きな船がね。そういうのが一回ありましたね。 松田: 気づかれたんですか?それは。 岡崎: そうね、そういう習慣だったから。次席三等航海士(四等航海士)が一緒に乗ってて、W当直だったから、ちょっと位置を確認してもらったんです。四等航海士の方に。そうしたら、おかしいと。とんでもないところに船の位置がある、と。 松田: それはその、目で見た? 岡崎: そうです。ええ、肉眼で確認してやれ、と。それから方位測定は肉眼で確認せよとね。レーダーの見方はね、一番大事なのは、レーダーには誤差がある。誤りもあるわけですね。そういうことで助かりました、一回ね。だから欧州航路のコンテナ船がシンガポールの沖で乗り上げたことになる寸前と、ええ。それ一回とね。 それから台湾にキールン(基隆)という港があるんですが、そこを出て、あの時はアフリカに行く時なんですが、夕方に出て、8時に私、いつも昇橋するブリッヂ(航海船橋)に上がる癖をつけてました。習慣ですね。すると、どうも前が暗いんですよね。おかしいなあ、8時過ぎてですね、おかしいなと思って、その時はフィリピンの三等航海士だったんですけど、彼が何も見てないんですよ。ただボケッと前を見てるだけでね。レーダーも見てなかったしね。ジャイロ・コンパスの故障発生で私がうまい具合に上がってったから、そのまま陸地に突っ込んでいかなくて済んだわけですよ。ヒヤッとしたんですよ、あの時も。幸いそこは陸地まで深いんですよ、岸までね。それで一万トンの船だったんですが、助かりましたね。  大きなことは三つあるんですが、もう一つは、霧の中のことでね。アフリカ西岸のコンゴ人民共和国内にコンゴ河があるんですけど、そこはほんとに未開の地でね。船が全速力前進で4〜5時間航走してずっと河を上っていくんですよね。マタデイ港って言ったかな、港の名前。そこにね、地獄の釜と呼ばれる断崖絶壁の、港の近くに高さ50mくらいの断崖がね、そこのところで、船を回頭していくんですが、その時に運悪く、雨が降って、何て言ったらいいかな。猛烈なシャワー、スコールですね。ものすごい雨が来て、レーダーが利かなくなっちゃったわけですよ。レーダー電波は雨を通しませんからね。そして、船の位置が分からなくなったんですよ。水先案内人が乗ってたんですが、私もいつもそのブリッヂに上がっていったら、右側に回転窓ってのがありましてね、円形の窓(直径約30cm)が視界不良のとき回転してるわけですよ。霧の中でも一応ね、ある程度視界が効くのですが、全部は見えませんよ。他のないところよりも、まあある程度、視界がいいんですよ。前に立って双眼鏡で見ていたら、左に見えなきゃいけない航路ブイが右に見えてるわけですよ。こりゃおかしい、ってわけで、すぐ水先案内人に告知して右変針した。レーダーが利かなかったからですね、幸いそれがよくて、それも助かりました。陸地に乗り揚げてしまう寸前に変針したこと、ちょっとしたことなんですけど、そういうことで助かったことが三回ありますね。ヒヤッとしたことがありましたね。いずれも運よく助かりました。 松田: 結構、船はそういうことがあるんですね。 岡崎: あるんですよ。昔から言われていることですが、当直の時にはちゃんと進路、スピード、周りの状態、コース、こういうこと全部言って、交代する。こういうことすぐ言って、確認する。スマートに目先を利かせて、それを几帳面にやらないといけないんですけど、今はレーダーの見方が全くなってないのが、残念ですよね。はっきり言って。 神戸大の海事科学部でもそうですが、今はもう自動でね、ARPA(Automatic Radar Plotting Aid: 自動衝突予防援助装置)っていう装置があるんですよ。自動でね、衝突の援助装置っていうのがあるんですよ。レーザー指示板面上にはこれで出てくるんですよ。私の現役の頃でも100隻までぐらいだと思いますが、相手船の位置、進路、スピードが全部わかるわけですよ。こういうことは各大学、高専でよく教えてるんですが、そういう装置を持ってない場合は費用が倍違いますからね。一台につき50万円だったら、100万円必要になりますからね。そのARPAを付ければ、霧中衝突事故は格段に減少していくと考えられます。 特に小さな船会社ではそういう装置の費用も人も減らして、設備を減らして乗組員数をできるだけ減らそうと、そういうことを考えてますから、持ってないんですよね。ARPA装置を持っていれば、ある程度は判別できると思うのですが、そんなことで危険を防ぐためとにかく、昔から言われてるように、スマートで目先を利かせて几帳面にやれ、ということですね。 松田: 興味深いお話ですね。 岡崎: いえ、まあね、いろいろと。 松田: 世界中、回られておられるのですよね。 岡崎: おかげ様でね、日本郵船に入ったおかげで、まあ、「ハチハチ」って言ってましたけど、小さな880トンの船から、一番下はE型、A型、B型、C型まで、D、EとC型は乗ってないけど、ほとんど皆、乗ってますね。これがアスベストがひどい。皆、蒸気船ですからね、全部。(※特別に船の主桟が焼玉エンジン船、一部ディーゼル船である場合を除き、主桟用燃料は全部石炭だった) 松田: 前回、資料でいただいた標準型の船? 岡崎: 戦時標準型の船です。なるべく費用のかからない船。 松田: 人間扱いされてない。それも乗られたんですか。 岡崎: そうですね。それも乗ってます。まあ蒸気船が多かったですね。 当時の危険物の積荷について 松田: 船がどの港を通って行ったのか、記録としては何か残ってるものなんですか? 岡崎: 日本郵船にはあると思いますよ。 松田: 永久保存みたいな形で? 岡崎: 多分そうだと思います。どこへ寄港するかっていうものですよね。私も船長になってからの分は、残しています。自分で書いてね。それまでの分は残念ながら持ってないですよね。 ※:1)通称:アブログ(アブストラクトログ:航海日誌) 船長が船主宛に提出する書類。船社により書式が違う。     2)公用航海日誌(official log book)    船員法、船舶安全法上の船内常備書類。     3)船用航海日誌(Ship’s log book)    重要証拠書類となるので、2年間船内保存義務あり。 松田: 先ほどのオーストラリアのお話は、貴重な証言だと思います。そこまで本当に調べられるかどうか、分かりませんが、オーストラリアが認識していた。1960年? 岡崎: ええ。ちょっと覚えてないですけどね。二等航海士の時に、オリンピックが…。そうかな。 松田: 1964年ですか。かなり早い時期ですね。 岡崎: そうですね。 松田: オーストラリアが知っていた。 岡崎: ILO(国際労働機関)のほうの何か規則がね。あっちのほうがレイバー関係のことは詳しいんじゃないですかね。アメリカのそのCFRっていうやつですか。運送貯蔵規則ですね、あれには今でも載ってるのかな。 松田: さっき言われてたの、何でしたっけ、その分厚い本。 岡崎: 「危険物船舶運送貯蔵規則」ですね。 松田: 出版しているのは? 岡崎: 海事協会。協会だと思いますよ。 松田: ILOの時は、日本はそれに同意しませんでした。 岡崎: ああ、そうですか。 松田: 1986年ですよね。 岡崎: ああ、やっぱりいろいろ問題あるんですね。 松田: 最近なんです。 岡崎: 最近ですね。じゃあ、それにも載ってませんね。批准物として扱ってなければ、危険物として扱ってないわけですからね。まぁ船乗ってる頃、その危険物取り扱いでばっかし、苦労しましたんでね、相当見てますよ。危険物かどうかってのはものすごい負担がかかってきましたからね。 松田: 例えば、それ以外、どんなものが。 岡崎: もう、数え切れない。ええと、火薬は、ないな、経験。藤田さんなんかは火薬をしょっちゅう積んでた船に乗ってたんですよ、朝鮮戦争の時ですからね。確か火薬はないけれど、アイソトープはありますね。放射性物質の。アイソトープは積んだ経験ありますね。 松田: やっぱり特別な環境で。 岡崎: 隔離しましてね。確かコンテナに入ってたと思いますね。コンテナって、普通の、箱のコンテナでなくてね、専門のコンテナに入ってましたね。 松田: 特別な箱に? 岡崎: そうですそうです。特別なコンテナで。あれはイギリスからどこかに運んだ記憶があります。イギリスから台湾かなあ。台湾の高雄まで運んだのかあ。ちょっとはっきりしないですけどね。その他化学薬品も相当な種類を運んでますよ。アメリカにも持ってったし、中南米からね、あっちこっち。みんな隔離して、規則に決められたように。いっぱい種類がありますよね。火薬だとか、それから可燃性、引火性、それから有害物。有害物なんてのは、袋もアメリカのCFRだったら、それも数量は制限がなかったけれども、何かちょっとした規則がありましたね。有害物、それから過酸化物、オキシダイジングっていうんですかね、腐食性とね、それからコロシーブ、そんなようないろんな種類を積んだ経験があります。 松田: 積み込み方の最終的責任も船になるんですか? 岡崎: そうです。 松田: 業者じゃなくて? 岡崎: 業者じゃなくて。積み込んで、確認するわけですよね、われわれは。積み終わった後で。そうすると、漏れたりなんかしてるのがたまにありますからね。 松田: その時点で? 岡崎: その時点で。そうすると陸揚げして、返すんです。持っていけませんからね。 松田: それは専門的な、例えば、アイソトープなんかそうでしょうけど、かなり専門的な知識が必要になるんですよね? 岡崎: そうですね。あの時はガイガーカウンターとかあったと思いますけどね。  イギリスから積んだ時ですね。一応取り扱って、漏れた時でも、そのような防護処置ですね、これは危険な場合には海中に投棄してもいいとか、もし航海中に起こった時にどうするかとか、そういう細かいことが全部書いてありましたね。 松田: やっぱり船長さんのその管理責任っていうか、大変ですね。 岡崎: いろんな細かいことまで知ってないといけませんからね。だから危険物がなかったら、ホッとしたですね。まあ原油タンカーなんかも、もちろん危険物ですけどね。あれも専門的にはなかなか大変でしたね。また、雑貨船は何を積むか、わかりませんからね。その時にならないとね。荷物の内容見ないとね。いろいろ苦労ありましたですね。まあそれで、私は幸いでした。他の船で、四エチル鉛で大きな事故起こして、失敗した方もいましたからね。運が悪いと。 藤木: コンテナ船になってからも、その中に何が入ってるかというリストはありますか? 岡崎: リストはあります。もう最近は陸上で、ワープロで打った、立派な書類がね、ちゃんと来てましてね。計算まで全部やってくれます、今は。昔は自分で一等航海士が手計算で船の状態から、安全かどうか、それもね、船でやっとったんですけれどね。今はもうおまかせです。陸上で、コンピューターで計算され、プリントアウトされた書類がはい、できました。この通りです。ここへ積んで、船の状態はこうで、揚地に行ったら、こうなってどうのこうとかで、全部、さっきの荷役関係用各種計算の数字プラスで。しかもこれでも一等航海士が一応監督・責任者ですからね。 こういうのを今はもう陸上で港湾関係者が全部作ってきますね。これは昔のものですが、手書きになってますよね。 藤木: 航海ごとに? 岡崎: そうです、一航海ごとにですね。プロが見ればね、これ一目で分かるわけですよ。どこに何積んで、何トン、船の状態、これ見て安定してるかどうか、ってのをね。 松田: これもまた保存しておくのですか? 岡崎: 多分、各船それぞれの船で積荷書類を保存しているはずです。まあなくなった船(売船または廃船した船)はないかもしれませんけどね、しかし現実にはほとんどの船がなくなったり、新しい船に変わったりしていますからね、何か残しているはずです。事件があった時、パッと見ないといけなかったからですね。残しているはずです。 松田: 赤城丸でもこういうものが、アスベストって書いてるはずですよね。 岡崎: あれば、アスベストって書いてあるはずです。おそらく。あれば、ですね。 海難審判の具体的な説明 松田: 船であの、さっきの事件ですね、その責任の所在みたいなのは、どうなっているのですか。 岡崎: あれは船長が責任取りましたね。それで辞めましたね、最後は。厳しいですよね。 松田: 厳しいですね。 岡崎: 船長よりも一等航海士のほうが現場の責任者で一応見ていなければいけないのに、一等航海士はお咎めなかったですね。船長が身を引きましたね。 松田: それは自分から、と。 岡崎: その辺がね。一緒に乗った船長だったですけどね。辞められた船長で。厳しい方だったですけどね。そうですね。まあやっぱり運命なんでしょうね。なかなか厳しい…。仕事のできる船長だったんですけどね、だけど厳しい…。厳し過ぎたっていうのかなあ。そういう面がありましたですけどね。気の毒ですけれどね。 松田: 飛行機でしたら、事故が起こった時に調査委員会を作るとか、海難事故の場合も同じような感じでやるわけですか? 岡崎: 今現在は違います。旧来の裁判所形式ですね。法廷内は通常正面に裁判官、審判官っていうんですけどね、それが三人座って、向かって右側が弁護人(海事補佐人) の席ですね。左側が理事官っていう、でその審判官と向かい合って被告になる、受審人って言うんですけどね。(※:現時点の海難審判法廷内の様子。ただし、行政改革により、本年度[平成20年度]には大幅に変更される予定。海難審判庁は解体され、運輸安全委員会に現在改組中) 松田: ジュシンニン? 岡崎: 受審人。ジュ、「受ける」。審判の「審」で。受審ですね。受審人。そういう名前になりまして、それで後ろに傍聴者がいるわけで、大体、神戸の審判廷なら、30人座れますね。そういう形式で。裁判所もそうでしょ。裁判を受けたことないですからね。わかりませんが、そういう形式でやってますね。 松田: 裁判は民事に近い感じですか。 岡崎: 刑事事件に指定されているものは検察庁の呼び出しを受けて罰金を事前に支払っているケースもあります。刑事は一応また別になるわけですね。その審判予定表にも刑事事件の時には「刑」という字も入ってますけどね。だけど参考にしてるんじゃないですかな、検察庁の方でね。われわれがやる、その海難審判の結果を見る感じで。だからわれわれの方は行政上の罰だけでね、お金の問題とか何かはないんです。 松田: ないんですか。 岡崎: ないんです。民事でもですね。行政上の罰だけです。 松田: ということは、使用が禁止されるとか、免許が停止されるとか、そういう感じですか? 岡崎: 免許停止です、受審人に対してね。海難審判法と言えば、海難の原因を調べて、探求し、発生の防止に寄与する、という目的なんですね。それで船舶ね、それから人命、それから陸上施設、そういうのに異常があった場合に、審判開始の申し立てがあれば、審判を開くと、こういうことになっているわけですよね。 松田: そうすると、その船の構造もそのものも。 岡崎: あ、悪ければ。 松田: ということも当然? 岡崎: あります。なってきます。設備ですね。 松田: 極端に言えば、さっきのレーダーの見方みたいなとか、その教育システムとかも。 岡崎: それも勘案されると思います。それも争点がね、何て言うのかな、陸上の一般的な裁判は、論点、争点っていうんですか、コレ、はっきり決まってるでしょ、裁判やる場合ね。船の場合は、争点は何かぼやけて、全体的に見てる感じですかね。それ一つだけではないです。ちょっと難しいとこがありますよね。全体に渡って、うーん、ちょっと情状酌量の余地が多いような感じも受けますけどね。厳しさが…。うーん、難しいですね。 松田: 飛行機とかだったら、事故が起こるとか、その第三者を入れたような調査委員会がありますけど、そのあたり性質が違う、と考えたらいいのですか。 岡崎: そう、今のところ、そうですね、はい。行政罰だけですからね。一番重いのが、免状の取り消し、業務停止一ヶ月から三年。それからあと戒告処分ですよね。 松田: 基本的にはその事故を起こした個人に対して? 岡崎: そうですね。罰則ですね。海技免状の取り消しもあります。 松田: 船そのものについてこういう設計ミスだからどうだとか。 岡崎: はい、それはやっぱり、一応やります。でもその当事者じゃないから、受審人じゃないから、指定海難関係人っていうんです、それ。メーカーだとか、海技免状のない人。 松田: 海技免状のない人も入るんですか? 岡崎: 入るんです。勧告っていうんです。うん、そう、こういう事件があったから、こういうことを今後、注意してくれ、とかなんとか。この前、ヨット沈んだでしょ。琵琶湖でヨットの沈没事故。何人か亡くなってるんですよね。勧告をやりましたね。管理人、ヨットハーバーの管理人と、それから、それを設計した人かな。何かちょっと、わかりませんけど、そんなような感じです。で、今は、海の場合には、受審人と言ってましてですね。海技免状の持ってる方です。免状の取り消し・停止。それから戒告、とそういう懲戒処分の罰則ですね。 松田: まあそうすると、そのあたり、かなり細かいことまで分析されるわけですよね。 岡崎: そうです。してます。結構ね。はい。 松田: それはそれですごく何か、興味深いというか。 岡崎: ああ、それで、専門家だったら、機関関係だったら。  松田: 呼ばれたりしてるわけですか? 岡崎: そうです。メーカーが呼ばれたりして証言します、皆。今度も大きなのは、あそこの大阪の水先案内人ってのはご存知ですか?パイロット、大阪ベイパイロット、水先案内人です。 そういう方がね。水先要請船の舷側をよじ登っていかんといけないわけです。縄ばしごでね。それ途中で落下して、三年ほど前かな、真冬の早朝。もう何回かたくさんの方が落ちて、墜落して、海中に入って、そのまま亡くなっちゃったんですよね。そういう事件があった時に、その方がたまたまね、ペースメーカーやってたんですわ。で、ペースメーカーってのはレーダーだとかなんかに影響を受けるかどうか、そういう問題もね、やっぱり専門家の、そのペースメーカーの製造メーカーだとか、医者だとか来て、証言してましたね。そういうのをちょっと傍聴したことあるんですけどね。 松田: それは極めて興味深いですね。 岡崎: あっと言う間ですからねえ、船は走ってますからね。水先船と被響導船の両方ともね。24時間休みなしですからねえ。大阪ベイの友ヶ島って島、ご存知かな。四国と大阪湾の間の、あそこの沖でパイロットが乗り降りするんですよ。強制パイロットだから、水先人が強制になるわけね。取らないと、違反になりますよってことで。 それであれ、何千トンかな、8千トンだったかな。今、私もはっきりと覚えてないですけど。それ以上の船になると、どうしても乗せないといけない。水先案内人を。乗せないと違反になりますからね。すると乗り降りするわけですね。私の所属していた郵船でも三人あそこで落ちてなくなってますよ。恐ろしい仕事ですね。天候にかかわりなくね、夜昼なしでしょ。 松田: やっぱり、ストレスだとか過労だとかも絡んでくる? 岡崎: 絡んでくるんじゃないですかねえ。水先ボートの操船が悪かったかどうかとかね。いろんなことを…。審判で。 松田: 難しい判断なんですね。 岡崎: そうなんですよね。結局、第一審では戒告ぐらいになってましたね。普通、亡くなったりなんかすると、免状の取り消し・停止が必ずつくんですけどね、今回の場合には戒告処分みたいだったですね。で、どちらかに不服があると、二審、三審ができるわけですよ。東京で今度は二審やるんですけど、それに申し出してますね。理事官か、受審人か、補佐人が、二審請求できるわけですね。一週間以内に。これやってましたからね。 松田: その場合、その戒告をされた側は、当事者は誰になるわけですか。船ですか? 岡崎: これはね、船長です。水先人を乗せるための水先船のボートの船長が受審人になります。 松田: 船長が? 岡崎: 船長が受審人になってるんですね。戒告処分だったから軽かったから、どなたかが、その方じゃなくてどなたかが二審の請求されてますね。二審の請求が出れば、正しい手続きが取られていれば、東京の高等海難審判庁で二審をやらなければいけないわけです。二審で駄目だったら、東京の高等裁判所で三審がね、で、それが不服だったら、おそらく最高裁まで行って争うんじゃないですかね。全く陸の裁判になっちゃうんですよね。途中から。ちょっとおかしいと言えば、おかしいんですかね。その辺がね。 松田: あの、一番最初の何て言うか。第一審?地方裁判所に当たるものが海難関係でいうと、近畿地方では神戸っていう感じ? 岡崎: 神戸地方海難審判庁。 松田: 中国地方だったら、一つ?そんな感じですか? 岡崎: 全部で八ヶ所、ええとね、北海道の函館、仙台、横浜、それから神戸、広島、門司、それから長崎、沖縄。沖縄は支部になる。 松田: 大きな港がある所。 岡崎: そうです、そういうとこで同じシステムでやってますね。先例の死亡事件の。あれはやったのかな、私も資料を調べてないんですが、例の四エチルのね、助燃剤じゃなくて、ハイオクの燃料ですね、その裁判・審判はやってるはずですよ。船長、責任取って辞められたんですからね。 松田: あの「なだしお」とかあったじゃないですか(潜水艦なだしお/漁船第二富士丸衝突事件)。。あの場合、国際的な話になりましたけど、あの場合はそれはなかったのですか。 岡崎: いえ、やってます。裁決は一審がなだしお側がよかったのかな。で、二審で今度、逆転してるんですよね。それで三審がまだ継続中じゃないでしょうか。多分そうだと思います…。 松田: 長くかかるのですか。 岡崎: かかるんですね、あれも。われわれの常識から言えばですね、たくさん人がおるんだし、見張り員がたくさん…乗組員が150人くらい乗ってるんでしょ、潜水艦なんかですね。こっちは船長一人ですからね、何かあの時にはもう一人おったらしいですけどね。見張りもしてるんだし、結果論ですが、潜水艦は横須賀に行くんだったんですよね。東京湾内でね。人情的には注意喚起信号または警告信号を吹鳴してやって云々……、そういうことで向こうがよけてやったほうが、というような感じはしますけどね。ええ、気の毒なこと…。一審と二審と逆転してますからね(海上交通安全法の適用の法律上の可否は詳細不明でなんとも明言できないが)。 松田: それは機会があれば。 岡崎: ああ、いいです。あとまたね。まだあと80歳くらいまではね、海難審判協会の海事補佐人として籍だけは置いて。あと二、三年は海事補佐人としてお手伝いしたいと考えておりますので。 藤木: 一つお聞きしたいのですが、中国は陸上ではアスベスト対策がされてるけれども、やっぱり造船ではこういうふうにきっちり決まってるか、もうアスベストは使ってないのでしょうか? 岡崎: 使ってないんじゃないですかね。案外とルーズみたいだから、中国ってね。何をやっているか、よくわかりませんけどね。 藤木: その違反してたら、何らかのペナルティが…。 岡崎: 今度はね、IMO関連のポートステイトコントロールっていうのがあるんですよ。港の出入港の時に検査するね。これで厳しく罰せられるのと違いますか。入港不許可の場合にはね。この違反してる場合にはね。神戸でもやってると思うんですけどね。最近あんまりそういう規則にはタッチしてないもんだから。疎いんですけどね。結構、いろいろとやかましい規則がありますよね。 松田: 本日はどうもありがとうございました。