アスベスト被害聞き取り調査―中村實寛(さねひろ)氏 [2006年9月25日] 松田毅 (神戸大学大学院人文学研究科教授): 前回はいろんなお話を伺いました。最初の生い立ちから始めて、大阪に出てこられて、どんな仕事をされてて、ご病気がわかった。大体そんな感じですね。 前回のことで何か付け加えがありましたらそれを最初に伺って、その後で、ご病気がわかったところから、例えば去年のNHKの番組に出られて尾辻前大臣とお話されたこととか、現在の運動だとか、日頃の中でのアスベストの問題の見方をうかがったらいいかと思います。前回のお話に付け加えられることはございますか。 中村實寛: 別に、あれぐらいでいいです。 松田: それでは病気がわかったところからお話しいただけますか。前回もカルテを見せていただいたんですが、病気がわかったのはいつですか。 中村: 2003年平成15年の健康診断2月14日、再検査したのが3月4日です。北摂の総合病院です。 松田: 健康診断を受けられて北摂の総合病院で再診されて、その後の経過というのはいかがでしたか。 中村: おおまかには、一週間に一、二回の検査それまでは内科だったんですが、4月の中頃、呼吸器外科の方に回されて、呼吸器外科の方で検査を続けて、生検、細胞検査しましょうということで、5月2日に細胞検査しました。その日のうちに病院独自の病理組織検査で悪性胸膜中皮腫という診断が下りまして、5月の27日に右胸膜の全摘手術をしました。 松田: この健康診断があって、再診があって、生検があって、手術というのは三ヶ月ちょっとくらいでしょうか。 中村: そうですね。三ヶ月弱ですね。 松田: 普通のペースでいくと中村さんの場合は速いのか遅いのかどうなんでしょう。 中村: いろんな方の話を聞いてみた結果、最初の健康診断を受けた時の先生が、おそらく中皮腫という方向に診断されたようです。それで多分、紹介状に書いて下さった。多分というのは、僕は紹介状の内容を見ていないから分かりませんが。それが一番の早期発見ていうんかな、一番の要因じゃないんですかね。 ですから一番最初健康診断受けた淀川健康管理センターですね。ここの内科の先生の見立てが良かったと僕は思っているんですよね。それ以降も北摂の総合病院もテキパキとやってくれたんで約二ヶ月の検査で一応手術に向けて動こうかという判断でたんで早かったんじゃないかと。 いろんな方の話を聞いてみたら、診断が出るまでに例えば、半年とか一年とか、いろんな病院を転々とされてる人が多いんですよね。そこらを考えたら僕の場合は総合的に早かったんちゃうかなと。 松田: 手術があったのは平成15年の5月ということで、手術後で言うと(現在は)3年くらいですね。立ち入ったこと、聞いて申し訳ないのですが、その後の経過はいかがでしょうか。拝見しているかぎりお元気そうなのですが。 中村: 検査は一応ずっと受けてまして、最初は二ヶ月に一回レントゲンとCT撮ってましたそれから一年ぐらいしたら三ヶ月に一回撮って、そして、最近は今年になってから半年に一回のレントゲンとCTの検査になったんですけどね。診察は月に一回あるいは二回行ってるんですけど。 松田: それは北摂の病院ですか。 中村: はい。 松田: 術後としてはいい感じですね。 中村: はい、ずっと落ち着いている感じですね。 松田: 一般には、術後が悪い場合が多いと聞いているんですが。 中村: 手術するまでに時間がかかったりして。 松田: 進行したりしていたということですか。 中村: そうですね。それで無理して、手術したり、とかいう人が多いみたいですね。だから手術後の経過というのは思わしくない人が多いみたいですね。 松田: 中村さんの場合は早期発見が良かったということですね。 中村: そうですね、そうだと思います。僕の場合は肺の下の方だけでしたんで、普通と言いますか、いろんな人の写真を見せてもらうと全体がまだらになっている人が多いんですよね。僕の場合は、裾野の方の下の方だけだったんで、そういう点も初期治療っていいますか、速いほうやったんかなと。そやけど、進行している状態で手術されている方が術後がちょっと芳しくない人が多いみたいですね。 松田: 病気のことは専門家ではないので分かりにくいのですが。セカンドオピニオンなどに関しては、今回の場合はいいお医者さんで断定してくれて、特に必要なかったということですね。 中村: 僕の場合は必要なかったし考えもしなかったけど、いろんな人には相談受けたらセカンド・オピニオンで違う病院行ったらどうですか、って最近は言えるようになったんですけどね。 松田: 次に労災などの問題もあると思いますが、今、患者と家族の会に関わられるようになったきっかけと経緯をお話し願えますか。 中村: きっかけはですね。僕がこの病気になって社会保険の傷病手当をもらって生活していたんですよ。傷病手当と言うのは18ヶ月で支給が打ち切られるんですよ。そうしたら収入が何もなくなってくるので、インターネットでいろいろ調べていたら、石綿イコール中皮腫、中皮腫イコール石綿ということがわかって、それやったら僕は建築関係やったからなんぼでもアスベストあったわなぁ、と。それからひょっとしたら労災になるん違うかなと。それでなかったら収入が途絶えたら生活もやって行かれへんし。 それから始まって、それで労災を手伝ってくれるとこないかな、と探してたら、関西労働者安全センターに行き当たって、電話したら、古川さんが出られて、一回話詳しく聞かせてくださいということで、安全センターに出向いて、資料とか持っていったんですよ。そしたら、病名が二つあるなぁということで、胸膜腫瘍と中皮腫と。どっちか確認してくださいということで、病院の先生に聞いたら、中皮腫ですよと言われて。そしたら労災の申請をしましょうということになって、16年の1月21日申請して、7月29日付で労災認定になったんです。 そのまま古川さんありがとうございました、片岡さんありがとうございました、言うて、さようならしてもよかったと思うんですけど。やっぱり世話になったんで。古川さんが患者と家族の会の準備会みたいな名刺作ってはったんで、ひょっとしたらなんかそういう運動するんやろなと。古川さん何か手伝う事があったらさせてください、ということで。患者と家族の会が翌年16年の2月7日に発足したと。そのときに西日本で広島のKさんという方と古川さんと僕の三人が会員だったんですよ。 ですから、まあきっかけというのは、古川さんに労災のお手伝いしていただいた、それの恩返しじゃないけど、なんかお手伝いすることがあったらということではじめたのがきっかけですね。 松田: 手術を受けられたのが平成15年の5月ということですから、その後、傷病手当の支給が切れるということで、調べているうちに行き当たったということですね。 ところで前回ちょっと出てきた、病名が二つあるということなんですけれども、医学的にいうと、その二つの病名の違いっていうのは何か説明されましたか。 中村: いや、聞いてません。聞きたくもないし。 松田: そうですか。病名の問題っていうのは何か難しい問題があるのですか。 中村: どうなんでしょうね。たぶん同じだと思って主治医の先生が。実際は、中皮腫でも腫瘍なんですよね。ですから胸膜腫瘍っていう発言が記録として残っただけかなと思っているんですけども。 松田: 話を戻しますが、最初三人で始められたということなんですけども。 中村: 西日本だけでね。全国では12人くらい。多分。 松田: 古川さんはどんな方かわかるんですけども、Kさんはどんな方でしょうか。 中村: Kさんは船会社ですね。元船員さん。船乗りで中皮腫になって、最初はアスベストが原因とわからんと、古川さんがやっぱり。一番最初古川さんが手がけた人なんですよ。労災のお手伝いをした方です。 それで、広島まで行って病床のKさんの話を聞いて、いろんな話を聞いて、労災になるんちゃうかな、いうことでいろいろ動いたら、やはり船員保険課っていうんですか、そういう組合があって、そこでいろいろ交渉したらしいんですよ。でもとりあえずは認定になって。 それで、船員保険には、例えば、僕らをはじめとして、ハツリ屋とかああいう職業の人らがじん肺になったら、健康管理手帳が配布されるんですよね。その一方で、船乗りの人らは健康管理手帳っていうのが今までなかったらしいんですよね。だからそういう診断が下っても全部実費で自分の健康保険使って診察を受けんといかんかったと、今までは。 それがKさんが労災申請なったと同時に、郵船OB会が働きかけて、船会社の組合にも健康管理手帳つくってくれと叫びだして出来たんですよね、去年。それも画期的なことなんですよね。それもみんなで声を挙げて出来たシステムなんですよね。 松田: 平成16年の2月に会が発足されて、その後の、今年が18年で、去年が17年でクボタの問題がクローズアップされて我々も大きな関心を持ったんですけれども、16年の段階では、どんな形のことをされていたのですか。 中村: 16年はほとんどがたぶん、古川さんと僕とが話をしてたんですけども、患者と家族の会が発足したけど、たぶん西日本では10人くらいしか集まらんやろうなと。会員さんは。そういう会話しとったんですよ。 それが新聞とかテレビとかで会が発足したと報道されて、そういう話を聞いたって言うて古川さんとこに色んな相談がきだして、2004年の秋には西日本で8人か9人の会員さんになったんですよね、半年足らずで。それでこれは大変なことになるかも知れんな、言いながらやってたんですよ。 それで2004年の世界アスベスト東京会議。11月19日から21日ですね。是に参加させてもらって患者と家族の会のブースを設けさせてもらって。それがまず患者と家族の会の大きな事ちゃいますかね。 (世界アスベスト会議の資料を見せていただく。) 中村: 東京会議で発表させていただきまして、発言して。 松田: 会に人が集まってきたのはマスコミに取り上げられて、という感じが多いのですか。 中村: そうですね。やはり一番最初暮れにNHKのラジオで内アナウンサーいう人が取材したやつ、2月7日の会が発足しましたというのを再放送みたいな形でやったらしいんですけどね。それを聞いた人が親戚に、「おばさん、NHKのラジオで家族の会みたいなんがあるみたいやで」、言うて。そういう連絡いって。 そこで患者と家族の会の関西で、関西労働者安全センターいうんがやってるらしいってラジオで聞いて、そんで古川さんに連絡が来た言う人が多いんですよね。それから、他には、病院に入院しとって、同じ病気やなぁっていうので、いろいろ情報集めしとって、口コミで広がったいうのも多いですね。 松田: いわゆる掘り起こしというところで、人数が三人から始められて、自分達で調査してというのはなかったのですか。 中村: 当初はそれは全然なかったですね。ただ僕みたいに古川さんとかに相談してくるのを待ってるような状態だったんですよね。それが口コミでいろいろくるようになって。ですから、マスコミの報道の強さって言うんですか、これが大きかったと思いますね。 松田: 現在ではどうですか。かなりいろいろ報道されて、会もなかなか大きくなってて、ホームページも立派なものが・・・。 中村: いえ、立派なものじゃないですけども・・・。 松田: そうですか、外から見てるとすごく内容があるので。 中村: やはり、かなり最近は増えてきているんですよね。 松田: 関西だけで何人ぐらい会員の方がおられますか。 中村: 関西で、多分、毎日更新されてるみたいやから、今180から190ぐらいちゃうかな思うんですけど。この間の6月の総会のときで178ぐらいやったんで、もう180、190くらいになってるかもわかんないですね。 松田:全国で言うと、もう1000とか。 中村: いや、全国で385でしたね、こないだの総会のとき、6月の中時点で。ですから、関西が多いということは、やはり尼崎と兵庫支部が圧倒的に去年の6月以降ポコポコポコっと、クボタ事件以来でてきましたんで。 松田: やっぱり全国的に見ても関西、特に兵庫とか尼崎が運動的には結集してるということでしょうか。 中村: そうですね、みんながその気になりましたんで。周りが、自治体も盛り上がってきましたし。 松田: 地方、西日本というレベルで考えた時にはまだまだですか。 中村: まだ薄いですね、認識が。まずアスベストの危険性に関しても認識が薄いですね。特に僕は鹿児島出身なんやけど、九州に行ったらほとんど認識が薄いから。 松田: 一週間ぐらい前、三ヶ所、政府が調査するということで、鳥栖(とす)も一応、挙がってはいたんですが、鳥栖(とす)はどうですか。 中村: 鳥栖(とす)はまだそんなに尼崎みたいに熱くなってないみたいなんですよね。まず会社がちょっと前に、クボタと一緒なんですけども、やめてる。製品の製造をやめてるんですよね。 松田: 水道管のようなものですか。 中村: はい、水道管みたいな。会社自体はあるんですけども。やはりクボタは古川さんが火つけて焚きつけたと。それでもう一般の主婦の人が被害者がおったいうんで、みんながビックリして燃え上がったというのが現状ですから。 松田: ではそこに話を移して、16年は今みたいなことで、世界アスベスト会議に出席され、それからラジオなど報道で少しずついろんな方が参加し始めた。そしてクボタの事件があったわけですね。事件と言うのが適切かどうかはありますが。 中村: 僕は事件って言うてるんですけどね。 松田: 外から見ると、労災の認定の話とクボタとの話との間には何か距離があると思うのですが。そこに移られた経緯とかはどんなものだったのでしょうか。 中村: まずですね、一番最初は、僕らの患者と家族の会が発足したいうことで、早稲田大学の村山武彦教授がラジオで2040年までに中皮腫で10万人死ぬだろうという予測をされたんですね。 それをあるドキュメンタリー会社の社長が車の中でその放送を聞いて、社内で「これは中皮腫っていう病気は恐ろしい病気になるかもわからんぞ、それで大変な被害が出るかもわからんから、それを一発取材しようか」いう号令がかかったらしいんですよ。それでそれもまた、関西労働者安全センターの名前が出たみたいですね、報道で。支援団体いうことで。 それを聞いてドキュメンタリー会社の人が、古川さんにコンタクトとって、「患者を教えてください」と。患者さんの追跡取材するからという電話あったらしいんですよ。患者と病院を紹介して下さい、いうことで。「病院は兵庫医大行ったらどうですか」と。いうアドバイスしたら兵庫医大に行って、取材申し込んで、「誰か患者さん、取材する人いませんか」と先生に聞いたんでしょうね。そしたらたまたま主婦の人がもう少ししたら手術するんや言うて。 その方がDさんいう人なんですけど。その人を取材し始めた。そしたら古川さんはまだDさんを知らなかったんですけども、ドキュメンタリー会社の人から古川さんに「古川さん、普通のお好み焼き屋のおばちゃんか、たこ焼き屋のおばちゃんが中皮腫になってるんやけど、何でやろう」って相談があったらしい。それから始まったわけですよね。 それから病院に行って聞き取り調査をして。そして、生活してきた場所とか全部逆算して、遡って、追跡調査していって・・・。学校まで行って、教育委員会にいって、アスベスト使われてなかったかいうとこまで調べて、それでもなかったと。そしたら、もう居住地しかないと。結婚後現住所地で同じとこらしいから、現住所地の近辺にはそういう怪しい企業はないと。そしたら、子どもの頃から二十歳まで育った尼崎やろうということで、尼崎をちょっと探そう言うて歩き回ってたらしいんですよね。 松田: そこはテレビに出てきてる場面ですよね。 中村: そう、それがテレビに出てきて、ガソリンスタンドのおっちゃんが「うちの社長もそうや」という場面につながってるんですね。 松田: そのあたりは偶然そうなったということですね。 中村: そうですね。だからどこがそれのきっかけを作ったかいうたら、一番最初はそのドキュメンタリー会社の社長がラジオを聞いてからなんですよね。それでそれが古川さんとこにいって、古川さんはああいう人やから、もうほとんど尼崎を歩き回ってたんですよね。一日おきとか二日おき。そんで聞き取り調査して。そしたらみんなから「古川さん、今時の警察の刑事でもそこまで聞き込み調査せえへんぞ」って言われるぐらい歩いとったらしいから。 松田: 最初からクボタに狙いをつけたっていう形ではないんですね。 中村: Dさんいう方とドキュメンタリー会社の方と会った10月なんですよね。16年の10月ですね。それで、17年の、今だからもうしゃべってもいいと思うけど。17年の1月の5日に尼崎に奈良医大の車谷典男教授と大阪府立公衆衛生研究所の熊谷信二さん。 松田: 疫学調査をされた方ですね。 中村: その方たちを呼んで、古川さんが事実を伝え調査の相談を持ち掛けたそうです。だから多分彼女はそのとき、もうクボタしかないというぐらいのあれをしとったんだと思うんですよ。 そんで一月末くらいから動き出してたと思うんですよね。三月には、「これはオフレコやけど、クボタと今接触してる」言ってたんで、三月終わりから四月にかけては、かなりクボタとの交渉が進んでたと思う。それで五月、六月で、見舞金のとこまで、金額まで詰めていってたと思うんですよ。見舞金の金額はクボタと当事者、交渉委員の間で検討されて公表されたようですね。 松田: その時期は、クボタとの交渉の方は古川さんだけですか。 中村: 僕は行ってないです。やっぱりこれはあんまり早いうちから洩れたら、クボタも大変なことになるし、それこそ全部が、日本国中がパニックになってしまうんで、いうことで、ずっと抑えとったみたいですね。ですから少人数で交渉しとって。 松田: アスベストの被害の広がり、また補償や賠償の問題を考えた時に、クボタは一つの大きなケースだと思いますが、他方では、泉南の国家賠償訴訟のような問題もあります。私たちも先日、泉南の問題に関するシンポジウムに参加したのですが。 一種の戦略と言えばおおげさですが、クボタの問題はクボタだけの問題ではないことになっています。そのあたりは、会として、あるいは中村さんとしてはどんなふうにお考えですか。 中村: やはりまず、クボタが最初に提示したすべてですね、一番最初の、見舞金、弔慰金から始まって、救済金という名目で2500万から4600万でしたっけ、この救済金いう名目ではあるけど一応補償を打ち出したと。これはほんまの始まりやろうな、と。これが一応たたき台となるんちがうかなと。他の企業でもですね。思ってるんですよ。 松田: 泉南問題に関するシンポジウムには、アスベストに限らない公害問題に取り組んできた弁護士が集まっていましたが、こちらでも訴訟に進んでいく可能性もあるのでしょうか。そういうことも多少視野に入れてるのでしょうか。そのシンポジウムの話では、香川県の会社のケースですが、交渉はするけども額があまりにも低いので、交渉が決裂し、訴訟になるかもしれないということでした。そのような可能性はあるのでしょうか。 中村: 実はですね。僕らこの患者と家族の会っていうのは、個人的な訴訟っていうんですか裁判、これの支援っていうのはしないと。基本的に。 松田: 会としてもしないのですか。 中村: 会としても、です。個人としては応援としてそれぞれの会員さんが自由だけど、会としては裁判のバックアップはしません。これが基本で来てますし、今後もそうなるでしょうね。 松田: 仲介されてるっていうわけですね。現に今だと400人近い会員があるわけだから、訴訟に進められている方も個人的にはあるわけですか。 中村: 個人的に動きがあるのは、あります。これは関東の方で、横浜のほうで。元国鉄職員ですね。が、訴訟を、裁判しようかという動きを今見せているところですね。もうボチボチ動き出すかなぁいうぐらいですね。僕ら会としては裁判には支援しません、応援しませんっていうのが一つの決まりなんです。 松田: その理由は何でしょうか。 中村: やはり裁判起こすとなったら、いろんな方、いろんな難しい裁判、そして、時間がかかります。ただそれに対して役員が一人なり二人、手とられると思うんですよ。そこまで我々の会も体力ないし、そこまでは立ち入りしませんというのが基本的な考え方なんですよ。 たとえ会が大きくなっても、会員さんが賛助会員さん含めて一千人になろうと一万人になろうと、この考えは変えるつもりがないと。それは統一見解です。どんだけ大きくなろうと、例えば、寄付金とかもらって裕福になったとしても、そこまではする気持ちはありません。そこまでしたら大変な事になってくる。 それをしないがために弁護団が協力してくれてますんで、関東で五人、関西で五人の弁護士が一応バックアップしてくれる体制になってますから。これは中皮腫・じん肺アスベストセンターも含めての弁護団なんですけどもね。名取先生のところのグループも含めての弁護士。 松田: 泉南の方の弁護士さんのグループと、今、こちらの会をバックアップされてるグループとは全く関係ないのですか。 中村: 全く関係ないですね。 松田: 対立しているわけでもないのですね。 中村: 対立はしていません。僕らもですから、泉南の方からいろいろお話し聞いたり、また情報があったら泉南の方に提供したりとか、古川さんのほうはしてると思うんですよね。 松田: 泉南で聞いた話なのですが、弁護士さんの話では、建設、吹き付け作業をしていた方が、大阪で訴訟をするとのことでした。 中村: 吹き付けですか。 松田:はい。 中村: 吹き付けは、僕は聞いたことがない。 松田: 前回の話では、中村さんのようなかたちで中皮腫になられた方が多いと思いますが、その場合、因果関係を特定しにくいが、そういう場合、どうするのかを訊くと、そういう人が一人いて、訴訟の準備中である、と弁護団長が言われました。 中村: 吹き付けいうたら、業者も多くないし限られてくると思いますね。 松田: 八幡さんも聞いてないですか。バスの中でちょっと雑談してた。 八幡さくら (神戸大学文学部): 天井を作る作業とか。 中村: ああ、軽鉄・軽天ですね。 松田: 私が間違ってますね、天井を張る作業って言ったかな。 中村: 骨組みを、下地を作る職人ですね。 松田: ちょっと違うんですかね。 中村: 違いますね。 松田: そっちはまた吹き付け業者とは関係ないんですか。 中村: 関係ないですね。それやったら知ってます。 松田: 知ってる方ですか。 中村: 名前も知ってます。天井の下地とか壁を作って、それにボードとか張っていくんですけど。その下地屋さんですね。多分ゼネコン相手だと思うんですよ、大手三社ぐらい相手にして訴訟を起こすん違うかなと。 ゼネコン相手だったらそこで仕事していたという保証があると。裏づけ取れたとしても、どうなんでしょうね。うちの現場では使ってなかったとか。また、うちの現場でそういう人働いてなかったとか、濁してごまかしていくんちゃうかな思うんですよね。 どっちにしても、そういう人らはお客さんがあってゼネコンありますやん。こっからまた、一次になって、二次三次、下手したらたぶん四次ぐらいの下請けになってくるんで、下地屋さんは。三次から四次下請けになるんで、そしたらゼネコンいうたらそこまで責任もてんってなってくると思うんですよね。これは一概には言えない。 松田: 一番なんか救済されにくいというか。 中村: (救済されにくい)立場ですね。 松田: 中村さんご本人の場合でも、クボタでもないし、立場的にはその方と近いわけですね。 中村: まったく一緒です。 松田: そういう意味では、補償とか賠償を考えることはないのでしょうか。 中村: まったくないんです。だからそれをやろうと思ったら、国賠に。それで、訴えるとしたら、政府になる。もうゼネコン相手に訴訟起こしたってしょうがないし。ですから、訴えるとしたら、当時の政府、行政が何の手立てもしなかった、不作為があったというので訴えていかんと始まらんのです。 松田: これまでのお話の流れを振り返りましょう。会の発足、西日本で三人で始められ、マスコミを通して拡がり、クボタのことがありました。今、クボタなどの企業責任の問題を追及しておられる。ここで賠償、国の問題も出ました。 会として省庁交渉もやられているということですが、大枠では、会としてあるいは中村さんご本人が責任問題をどう考えられ、何を国に問いかけ、要求しているのかというのを聞かせていただけますか。 中村: まず一番最初、省庁との交渉のときにぶつけたのは、労災の時効問題。これはまだクボタショックが始まる前の、前の年の11月でしたんで。労災の時効問題はかなり多いと。これはなんでやというたら、厚労省は労働局、監督署に対して、通達を出して周知させていると言うてるけど、この中皮腫とかアスベスト疾病に関してはそういうのがわかってない被害者が多かったと、そのために5年間の時効が過ぎて一円にもならないと。遺族年金も飛んでしまった人が多いということがわかったんですね。 松田:すみませんが、基本的なことなんですけども、5年の時効という場合の5年っていうのはどこからどこまでを言うんでしょうか。 中村: 亡くなってからです。亡くなられてから、5年以内に何らかの申請をしないと駄目になる。 最初の2年過ぎたら、療養費、休業補償、これも時効になります。亡くなってから2年以内に労働基準監督署に申請をしたら、全部いけるんですけども。休業補償や療養費は2年過ぎたらなくなります。それで、遺族年金は5年過ぎたらなくなります、いうのが現状の法律なんですよ。 ですから、5年過ぎて、はじめてそういう相談があったと。ましてやクボタショック以降一ヶ月で98件の時効の事例があったというのが浮かび上がってきたんですよね。ですから次の交渉も、時効の撤廃を一番最初に申し入れていますね。一番最初は厚生労働省だけでしたから、相手が。 松田: それが平成17年の。 中村: 十一月、去年の秋ですね。 松田: 厚生労働省はその件についてどんなふうに言うのでしょうか。 中村: やはり、その都度、労働局に通達を出したという答えでした。例えば、大阪の労働局に通達を出して、そこから各監督署に通達がいっとるはずやと。では監督署からどこまで周知させているか、それが各事業主まで周知されているかと聞いたら、そこまでは調査できていません、というのが彼らの言うことなんです。 松田: 時効そのものについては変える気がないと。 中村: ええ。「通達を出しても、あなた方は机の上で、電話なり、ファックス、あるいはメールで流すだけでしょう。それがどこまで行き着いてるかっていうのを調査して初めて周知になるんと違いますか」と言うてるんやけど、そこまでは調査してませんと。 松田: そうすると、中身というのは、時効にならないように繰り返し繰り返し言ってるだけですか。 中村: 一応、そういうアスベスト疾病五つの病気は労災として認定されるから、こんだけは受け付けなさいというふうな通達を出してると言ってるんですけども。それは法律上にも書いてあります。 労災の申請の手続きのアドバイスっていうのがなかったんで、救急病院で、総合病院のベッド数700ぐらいの大きな病院の呼吸器外科の先生でも、そういう患者に対して指導がないということは、「それがどこまで周知されてるんかな」という意見につながってくるわけです。 ましてや、労働局が通達を聞いて、それを監督署に渡して、それから全事業所に書類かなんかで配布してるかどうかもわかんないし、それを追及しても当局もわかりませんと言ってるから、そこらへんに不作為があるんちゃうかなと。 松田: 時効が一ヶ月間で98件あったというのは。家族が亡くなられてっていう一番長いのは何年ぐらいになるのでしょう。 中村: 僕はデータを集めてなかったんで、知らないんですけども、何人かは10年15年っていうのがあったみたいですね。それよりも一番可愛そうなのは、関西労働者安全センターに電話あって、「クボタのニュース見て、救済のどうこうのあるみたいですね」って聞いて、いつ亡くなられたんですか言うたら、電話受けてる五年前の前日。あと1日早かったら、その日のうちに監督署に電話なりしとったら、遺族年金がもらえた、という方があったと聞いてるんですね。一日違いで300万円なり、全部入れると2000万から2500万くらいのがあったらしいんですよね。 松田: 時効にシャットアウトされた人たちっていうのは一切何もないのですか。 中村: いや、今度のいわゆるアスベスト新法で一応ひっかかってるんですけどね。でも新法でひっかかっても300万ですよね。 松田: ある意味では前の法律の方が額としては大きいですね。 中村: もし、遺族年金でしたら配偶者の方が亡くなるまで貰えるから大きいですね。 松田: 新法ではなく、遺族年金というのはどういうものでしょう。 中村: 遺族年金は最低っていうのは、多分決まってないとおもうんです。だから給料から計算されたものになると思います。例えば、今、僕は休養補償ってしてもらってる。それに6割とかで決まると思うんですよね。僕も詳しい計算方法は知らないですけども。 松田: その交渉自体っていうのは、窓口はあるのですか。 中村: 窓口は内閣府。内閣官房ですね。 松田: 安全センターなどが仲介しているのですか。 中村: 中皮腫・じん肺アスベストセンターと患者と家族の会の二つが合同で、内閣官房に持って行ってる。まず質問を先に提出して、それによって、何日か後に向こうから、いついつ交渉しましょうと。ですからこっちが要望書出して、それに答えられる日にちの余裕を持ったあとに交渉に移れるわけですよ。 松田: これが一番最初の省庁交渉と言われるものですか。 中村: そうですね。 松田: その後も何回かされていますか。 中村: その後も、今年の4月でしたかね、4月の26日にやってますね。4月26日は全ての省庁が出てきましたね、総務省から国交省、農林水産省も出てきたんかな、環境省、厚労省。環境省、厚労省はもうつきもんなんですけども。とりあえず、すべてのそういう省庁に質問書、出してたんで、4月はやはり、国交省なんかは学校なんかの建物のアスベストの使用状況、それと、囲い込みなんかの実数をどこまで把握してるかとか。そういう要望を出してましてね。 松田: 会としてはそれを調べろ、ということですね。神戸大学でも建物にアスベストが使われているということで、改修工事をするのですが、それで予算も出てるらしく、ついでにって言ったらなんですけども、耐震補強もするのです。それに国が、公共施設に関して学校とか。 中村: 補助ですね。 松田: それに派生してというか、意味のあることですよね。対策を取っているでしょうから。 中村: そうですね。ですから学校関係は、全てアスベストの有無をどこまで調査してるんか、正確な数字を出してくれと。例えば、大学で何ヶ所、高校で何ヶ所いうのを分けて、出してくれ、言うて。今調査中ですいうのをそのときは回答だったんですけども。例えば、囲い込みとか除去とか言うのがどれぐらいの数字で進んでるのかいうのを求めたんですけども、まだそれも調査中いうことで返ってきたんですけども。 特に学校関係は不特定多数の人間が集まるとこですから。ましてや、若い人が集まるとこやから、早急に対策取るように要望したら、それはすぐにでも行動に移します言うてたんで。そういう、例えば、学校から要求していったら手続きはスムーズにやってくれると思いますね。 松田: それでは、個別の補償のことだけではなく、アスベストの全般についてやってるわけですね。 中村: 全般ですね。ノンアスベスト社会を目指してるんが、われわれのグループでもあるし、今あるアスベストをむやみに持ち出さない、っていうのも僕らの提言であるし。今あるやつをむやみに壊してそこらに放棄しない。徹底的に処分きっちりしなさいよというのも僕らがやってますし。それを自治体にどこまで責任持たせるかとか。例えば、建屋の解体工事、改修工事ですよね。 さっきおっしゃった、学校にアスベストがあるとかいうのは、徹底的に業者が来てそこまでやると思うんですけども。一般の建物ですよね、それは国交省にも関係あるし、色んなとこで全部ひっくるめてあるんですよね。一般の建屋の解体とかの環境省とか厚労省とかすべての省庁が絡んでるんです。 そういうのをどこがするんや言うたら、今までの縦割り行政やったら、抜け道なんぼでもあるぞー言うて。一つにまとめるのをなんとか作れ言うてるんですよ。そういうアスベスト対策課みたいなやつを。省や庁までいわんでも、課みたいなん作って、そこが一本化して把握して、色んな自治体に統制取るようにしたらどうや言うて提案してるんですけども。そこまで僕らは政府に対して提案までしてやってるのに動かんのですよ。 松田: 政府はなかなか難しいですよね。特に縦割り行政の壁は厚いでしょうね。 中村: そうなんです。ですから、いろんな規制の数字でも全然違うんですよね。こっちの省庁はこれでいい、でも、こっちの省庁は違うって言ってる数字も。 松田: 8月に事務所にお伺いした時に省庁交渉があるとかないとか。それは今お話されてることの続きでしょうか。 中村: そうですね。全部が続きになるんですけどね。前回、答えてまともな答えが返ってこなかったら、次回にこと細かく砕いてからやっていこうとかいうのがあるんですよ。だから、ずっとそういう問題は継続してやっていくんです。まともな答えが出てくるまで。今度は9月の13日ですかね。  (要望書の資料を見せていただく) 中村: こないだは農林水産省と大気汚染防止課しか出てきてなかったんですよ。農林水産省は農業JA関係の建物全部、そういうのにアスベストが使われてないか。総務省、環境省、厚労省に質問書を出して。これは返事が来とるんですよね、答えが。こないだは農水省と環境省・公害対策課みたいなとこが来とって、あんまり、一時間しか交渉の時間がなくて。こういう質問出しとるんですよ。 松田: こういった質問事項そのものがアスベストセンターの方なんかと一緒に作られるのですか。 中村: そうです。うちの患者・家族の会の相談役さんが作って、まとめて、それを内閣府に送って、それが各省庁に渡って。今回は質問が多すぎるいうことで。質問が多すぎるいうことはそんだけわからんことを行政がやっとんちゃうん言うて。 松田: リスク認識みたいな話も出るのですか。私はリスク論に関心があるので、これは答えの感じでいうと、環境省の大気局ですね。ここがそんなにリスクはないと言ってるわけですね。 中村: F/Lどうのこうの言って。 松田: Fは繊維の数ですか。 中村: 繊維の数ですね。150本いうことですね。リッターあたり。1000人に1人の死亡リスクがあるというのが、青石綿とか茶石綿とかで30F/L。これよりも数字低くせんといかんということですね。一般環境でもこんだけあったら、1000人に1人。ですから、敷地境界線の基準で、10F/Lですか。1リットルに10本。これも早稲田大学の村山教授の提言では、0.1本から0.2本に基準を上げていかんと、危険度はそんなになくならんと。リスクは大きいという発言をされてるんですよね。ですから、敷地境界のそういうのから、法律を改めていかんと。 松田: 法律は甘い基準になってるんですね。 中村: 甘すぎるんですよね。ましてや、解体現場の基準って言うのはないんですよね。 松田: ないんですか。まったく。 中村: 今まで。それで、急きょ自治体が作ってるのが、その敷地境界の基準に合わせて10本というのを設けてるんですよ。 松田: 解体作業をしてる現場でもし測ったとしたら、どれぐらいになるんでしょうか。 中村: たぶん、その現場の中でしたら、2万本とか。 松田: 2万本。このリッターあたりで2万本なんですか?すごい桁が違いますね。150とか30とか、これでも危険なわけですよね。 中村: それでも1000人に1人が亡くなると。ですからそれに近いようなところで、僕はタオルでやってたんですよね。建築現場の被害者が表立って出てるのは、案外少ないんですけども。去年の8月か9月ですかね、企業の労災の数字見たら、建築関係けっこう少ないんですよね。そんだけの過酷な環境にありながら。 松田: やっぱり労災を出さないで、という体質とかが関係しているのでしょうか。 中村: それもあると思うし、押さえつける。そういう体質があるんで、たぶん押さえつけられてるんかなぁと。自分の健康保険で治療して、かけとった生命保険でガンやから言うてもらっとるぐらいかなぁと。そういう人の掘り起こしをせんといかんなぁいうて、僕はそのために名前を報道機関にもさらして、職業も元大工とか書いてもらってやってるんですけどね。 松田: 昔働いていた仲間から、名前が出てテレビなどに出て、中村さんご本人に相談があったとかというのはありますか。    中村: ないです。だから運がええんかな、皆、病気になってないんやなぁ、思いながら。 松田: 泉南に調査に行った時に出た話でも、ある村から泉南の会社に勤めたので、親戚などに「お金が儲かるから、来いよ」みたいな感じで呼んだということが出ましたが。中には隠岐の島からの方がおられ、親戚か地縁で同じ会社に勤めたが、結婚などで地元に帰る。そこから掘り起こしていこうというのを弁護団の方も話しおられました。 中村: そうですね、そこまで掘り起こしていかんといかんでしょうね。特に泉南地方は紡績とかが主ですから、どうしても地方の人が多いですよね。九州、西日本の人が多いですよね。そういう人も会社やめたら、結婚したりとかして、田舎に帰ってやってる人いると思うし。それは掘り起しには必要やと思いますね。 松田: だいぶ時間が経ったので、もう10分20分お話しをうかがってよろしいですか。 中村: いいですよ。 松田: せっかくですので、テレビでの尾辻大臣とのお話のことをお伺いしたい。あの交渉はどういう経緯で実現したのでしょうか。 中村: あれはですね、まず、NHKがスペシャルで7時半から10時半まででしたっけ、枠をつくってアスベスト問題を取り上げよういうことで。それでクボタショックで尼崎がクローズアップされましたんで、尼崎も中継で結ぼういうことになって、それで、そこに僕も出てくれ言われて、中継の先に出たんです。 そんで尾辻大臣は鹿児島に帰ってて、たぶん鹿児島の放送局で中継だったと思うんですよ。東京のスタジオと尼崎と鹿児島と、三次元で結んで、やってたんですよ。僕は二部のほうで出て、自分の思うところを話したんですよ。 松田: 私、そこをちょうど見ていまして。 中村: それで、とりあえず遠距離交通費の事を提案したんですよ。尾辻大臣は鹿児島の加世田出身なんで、鹿児島弁で一言、「大臣、ぼっけもんの勢いでやってくださいよ」と最後にボソッと言ったんですよ。そうすると、放送終了後に尾辻大臣がNHKの人に「中村さんって鹿児島の人なんかな」いうて訊いたと。 それが尾を引いて、あの時中継でイヤホンしてたら、声が遅れて入ってくるんで、聞きにくかったと。それでもう一回中村さんの話聞いてみたいなと尾辻大臣がぽつんと言うたらしいんですよ。それで、NHKの記者が一回連絡とって見ましょうか、いう話になったみたいで。 次の日ですかね、NHKの記者から東京から電話が掛かってきて、「尾辻大臣、中村さんと会って話聞きたい言ってるんですけども、いいですかね?」って言って。「僕はこれ個人で動いてるんちがうし、患者と家族の会を通してください」と。とりあえず、「僕は大阪の方やから関西支部の古川さんか片岡さんに連絡とってもらえますか」言うて。逆に投げたんですよ。 そしたら、すぐに古川さんとこに電話あったらしい。「それやったら受けたらどうですか、いいですよ」って古川さんから返事があったいうて。そんでまた折り返しNHKから電話があって、「古川さんこんなん言ってましたから。」「それやったらいいですよ、会います」、言うたら、「わかりました、中村さんの電話番号厚生労働省に教えてもいいですね」言うて、「いいですよ」と。 そしたら、次の日の三日目に厚生労働省の書記官、言うんかな、電話かかってきて。放送があったんが10月8日で、厚生労働省から掛かってきたんが10日やったかな。それで、「16日に大臣が大阪に、会いに行くからいいですか」、「いいですよ」言うて。 そういうような話で面談が実現したんですよ。それまでに一応訊きたい事、患者と家族の会として、要望書を一応出してくれいうことで。その時も、労災の時効問題、医薬品の早期開発承認、治療法の確立、遠距離交通費と、ケアの施設を作ってください、と五つをファックスでまた厚労省に流して。やっぱり向こうも答える下準備がいるんでしょうから。とりあえずこっちからは僕と古川さんと安全センターの片岡さん、三人行きます言うて、名前と立場と全部ファックスして。それで、大阪の労働局で一時間の約束で面談に行ったんですよ。 色々話して、そしたら、「交通費の事はわかりました。すぐに手を打ちます」。労災の時効の問題も、片岡さんから話を聞いて「ああ、そういうことだったんですか。事務方から話を色々聞いてたけど、僕もあんまりわからんで」って大臣が言って。「今片岡さんがおっしゃったことを聞いて理解できました。そういうことだったんですか。そしたらなんとかせんといかんな。手打ちましょう」いうことになって。本来一時間の約束だったのが一時間四十分になって。事務方が「大臣そろそろ時間です」って横から言うと。「ちょっと待ってよ。まだ話終わってへん」言うて。 むこうから大臣が知ってる事をそのまま言ってもらったんで、よかったなぁって言ってたら、その交通費の事は約二週間後にもう通達出してるんですよね。10月の終わりには労働局に通達を出して、七つのブロックに日本全国を分けて、そのブロック内やったら支給しなさい、交通費を。今までだったら、家から2キロから4キロ。家から2キロより近いとこは出ないんですよね。家から2キロから4キロまでの範囲で交通費支給されてたんですよね。労災の通院に。4キロ過ぎたら一円ももらえなかった。 松田: もらえないのですか。 中村: 今まで。それはおかしいん違う?どういうこと?言うたら、大概4キロ以内には病院あるだろうという解釈だったんですよね。例えば、整形外科であろうが、外科であろうが、内科であろうが。労災やったら、一般的に怪我ですよ。骨折とか墜落事故で。そういうのを想定して作ってる法律なんで、家から4キロ以内には病院あるだろういう解釈で作ってたみたいで。 それで、現実に僕はそれを提案した根拠は、奈良から兵庫医大まで通った患者が一人あって、一人は徳島から兵庫医大まで来とった患者さんで、そのふたりを念頭においてお願いしたんですよ。 そしたら、実名挙げて大臣が「わかりました。この二人は何とかします」て。二週間後には通達を出したんですよ、労働局に。7つのブロックに分けて、近畿やったら近畿ブロック、中国地方、九州、北海道。7つの中やったらどこの病院に行っても交通費出しましょうというふうに制度が変わったんですよ。だから尾辻大臣と会って、ものすご進展したなぁ言うて。 それと、そのときに片岡さんが「胸膜プラークなかったら労災にはならん言う今の法律やけど、生検してもプラーク見あたらへん人もいる。死ぬのを待たんと労災できへんのか。死後解剖待つんか?」と質問したら、それも事務方が濁しとったみたいで。もう大臣はそんなことせんでも中皮腫の診断があったら労災になるもんや、と思いこんでたと。 それも今年の18年の2月に法律が緩和されて、胸膜プラークがなかっても労災の認定になりますって改正にはなったんです。ですから、尾辻大臣と会って話したことは、ものすご僕らに関してはプラスになったんですよね。 松田: 直談判ですね。 中村: そうです。被害者の、犠牲者の支援する立場としたら、ものすごく進展っていうか。 松田: それは功績ですよね。今の政府は大臣がころころころころ代わるので、続けてくださったらね。 中村: 代わった後でもそこまでできたから。もう去年の10月に代わったでしょ。それはよかったなと。逆に小池大臣と会ったのはなんのプラスにもならんかったなぁと。 松田: まあ、よくわかりますけども。クールビズとかばっかりなんで。 中村: そやから、こないだも省庁交渉のときに東京で、朝日新聞の記者が質問する。そしたら、その話まで遡って。やはり、口先だけじゃあかんわなぁって。 松田: 時間ももう終わりなので今日はここまでということにさせていただきます。ありがとうございました。