宮下規久朗助教授著
『カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会)
サントリー学芸賞受賞!!


                     
選評と受賞の言葉

サントリー学芸賞を受賞された宮下規久朗先生に聞く

大学院生Aさん(以下A)このたびはサントリー学芸賞と地中海学会ヘレンド賞のダブル受賞おめでとうございます。まずはご感想をお聞かせください。

宮下先生(以下M)毎日たくさんの人々から祝福されて改めてすごい賞だったんだと実感して身がすくむ思いです。祝って下さった方々にはこの場をお借りして御礼申し上げます。このところすっかり祝賀ムードで、連日祝賀会をしてもらったり、いただいたお酒を飲んだりして仕事が手につかない状況です。

A サントリー学芸賞は、神戸大学文学部では25年前に野口武彦先生が『江戸の思想家』(現ちくま学芸文庫)でとられて以来の快挙だそうですね。

M 野口先生は本学の看板教授でしたし、今も『週刊新潮』などで連載されていますが、その著作はどれも無類におもしろくて昔から尊敬して愛読していましたので、同じ賞をいただけるなんて大変光栄です。去年出た『新撰組の遠景』(集英社)も最高でしたね。

A 受賞作『カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会)は自信作だったのではないですか?

M いえいえ。専門的な研究書ですし、そもそもカラヴァッジョなんていう画家が日本ではそれほど知られているわけではないから、こういう賞に値するとはまったく思っていませんでした。6月に地中海学会ヘレンド賞をいただけただけでもう十分と思っていましたから。

A それが選ばれたというのは、美術史に興味がある人が読んでおもしろいのは当然でしょうが、他分野の方が読んでも刺激的だったということでしょうか。

M さあどうでしょう。でも選評では文芸評論家の三浦雅士さんが、「冒険小説か推理小説を思わせる」ほどスリリングで「小説の感興」があると褒めてくださっていて、素直にうれしかったですが。殺人を犯した「呪われた画家」の伝記的なおもしろさではなく、絵画作品を読み解いていくのがおもしろかったというのですが、私はカラヴァッジョを語るときに常に伝記にひきずられないことを注意していましたし、これはまさに私の意図したところだったのです。この三浦雅士さんは、まったく面識はないのですが、私の好きな批評家の一人で、『メランコリーの水脈』(現講談社文芸文庫)や『青春の終焉』(講談社)など昔から愛読していましたので、そういう方が実に的確に私の本について評価してくださったという点もとてもうれしいんです。

A そういえば先生は常日頃から、「作者の人格と作品とはまったく関係ない」とか「作品解釈に伝記的事実をもちこむな」とおっしゃっていましたね。

M ええ、原則的にはそうですよ。美術史的には作品の内部だけを見て客観的に分析する必要があるのはたしかだけど、カラヴァッジョのような強烈な個性をもった画家の場合、関係させたほうがおもしろくなる場合も例外的にある。史料や図像源泉をちゃんと押さえた上で、ごく限られた伝記的要素を隠し玉のように使ってみたりすると見えてくるものもあるんです。この本でもカラヴァッジョの最後の自画像である《ダヴィデとゴリアテ》についての議論などでそういう微妙な問題を扱っています。

A この本は今までのご研究の集大成ということですが。

M 卒業論文を書いてから20年間にわたるカラヴァッジョ研究をまとめたものにはちがいないのですが、美術館にいた7年間は担当する展覧会の仕事で手一杯で、ほとんどカラヴァッジョやイタリア美術から離れていました。私のデビュー論文も幕末明治の美術を扱ったものですし、アメリカの現代美術にも熱心に取り組んだりしました。ただ、こうした経験がカラヴァッジョについて考える際にすごく役に立ったのはたしかで、現代美術を見るような目で改めてカラヴァッジョの特質について考えることができるようになったと思います。神戸大に来て今年でちょうど10年になりますが、この本の大半がそれ以降の研究の成果です。特に一年間在外研究でローマに行かせていただいたことが大きかった。何よりも百橋先生がすばらしく理解のある方で、先生の下で自由に研究させてもらえたことがありがたかったですね。うちの美術史研究室は本当にすばらしい環境です。「あとがき」にも書いたのですが、学生からもずいぶん刺激をもらいました。2,3年に一人はカラヴァッジョで卒論を書く学生もいたし、百橋先生やうちの学生と卒業生、それに文学部のほかの先生方との交流が実に大きな糧になっています。皆さんには感謝してます。

A 先生の授業は毎年すごく人気があっていつも立ち見が出るほど満員ですが、この本の内容も講義で話されたのですか。

M カラヴァッジョについては5,6年前に一度詳しく話しただけです。ただ、前著『バロック美術の成立』のときもそうでしたが、授業で試みに話した内容が随所にあります。実際にスライドで作品を大きく映してみて、説得力をもって話そうとすることによって、自分の考えを修正したり補強したりという経験はいつも貴重です。私の講義は基本的にイタリア美術史を5,6年のスパンでゆっくりと中世から下ってきて、その間にまったく別のテーマをトピック的にはさむスタイルでやってきてます。で、ちょうど今年のこの時期にカラヴァッジョの話をする時期になったのはタイムリーでした。

A 先生の講義は話に勢いがあるし、必ず笑わせてくれるので人気があると思うのですが、文章も内容が高度なのに非常にわかりやすいですね。

M ありがとうございます。この本が出たとき、いろいろな方が内容だけでなく文章のことを褒めてくださってとてもうれしかったんです。

A 今後の目標があれば教えてください。次はノーベル賞とか?

M そうですね・・・ってありえないでしょ。カラヴァッジョ研究はしんどいので当分お休みにしようかと思って、つい最近も明治美術関係の論文を書き終わったところなんだけど、賞をいただいたからにはこれからもまだまだ研究しなければいけないと思ってます。本もどんどん書きますよ。ひとつもう脱稿したのもあるし。そのためにはもっと充電もしなきゃならないけど。目標って言えるかどうかわからないけど、健康のことも気をつけなきゃと思っています。こないだの健康診断の結果が最悪で、悪くない箇所はなかったくらいだから。持病の痛風も恐いし、お酒も少しは控えようかなとか、ラーメンの汁を全部飲むのはやめようかなとか考えてます。

A 先生は暴飲暴食ですから、ぜひお気をつけください。

M ただ、こんなすごい賞をもらったから、もういつ死んでもいいかななんて思ったりもします。美術史は楽しくて仕方ないし、これからもずっと研究したいけど、この先どんどん体力も気力も衰えていって、いい成果が出せるとは限らないし。カラヴァッジョの本を出すまでは死ねないっていう気持ちでがんばってきたけど、無事出せてさらに大きな賞までいただけたし、娘もかなり大きくなったし、もうこの世に思い残すことはあんまりありません。完。

A まあそうおっしゃらずに私たち学生のためにもせめて定年まではがんばってください。ところで最近凝ってることとかありますか。

M 趣味といえば飲み食い以外は基本的に読書ですが、相変わらず手当たり次第に目についた本を読んでます。北朝鮮関連の本はあいかわらず好きだけどちょっと頭打ちですね。そうそう、最近、文化大革命にはまってます。昔、ウォーホルの《マオ》との関係でちょっと調べたことがあったんだけど、その後どんどん資料が出てきて目が離せません。

A そういえばこの本のどこかにも「百家争鳴」とか何とかそれっぽい言葉使ってませんでしたっけ?

M それは別に普通名詞だから関係ないでしょう。それを言うなら、今回の受賞は私の仕事にとってはまさに「大躍進」で、「下放」が「果報」に転じて「家宝」を生んだというか、そういう感じです。

A よくわからなくなってきましたが、最後に先生の人生のモットーというか座右の銘でも聞いておきましょうか。

M そんな大層なことを言うほど偉くないんだけど、まあこんな機会じゃないと聞かれないから言うと、人生の指針は聖書、とくに新約のパウロ書簡ですね。座右の銘は、「祈り働け」。あと、いつもカラオケで歌ってるからみんな知ってると思うけど、「それが大事」。

A あの執拗なリフレイン・・・呪文みたいに耳に残って困ってます。今日はどうもありがとうございました。

(2005年11月17日 神戸大学文学部視聴覚準備室にてインタビュー)