平成九年度

美術史研究室ゼミ旅行

日本・東洋美術史、西洋美術史研究室合同によるゼミ旅行が去る7月3、4日に行われました。行き先は名古屋・岡崎です。参加者は百橋先生・宮下先生をはじめ13名(その中には留学生2名も含みます)になりました。今回のゼミ旅行では美術館見学などに加え、地元OBとの親睦を深めることもでき、非常に有意義なゼミ旅行となりました。ここで、その行程を紹介し、ゼミ旅行の簡単な報告にかえたいと思います。


7月3日 木曜日
10:40 名古屋城に集合。その後見学
12:35 徳川美術館 [御殿山 原コレクション] 円山応挙筆「淀川両岸図巻」 他
14:50 名古屋市立博物館 [毛利元就展] 伝雲谷等顔筆「四季山水図巻」 雪舟等楊筆「倣梁楷黄初平図」 他
17:15 愛知県青年会館へチェック・イン後、地元OBとの懇親会
7月4日 金曜日
09:10 名古屋市美術館 [第5回名古屋国際ビエンナーレ・アーテック '97] 山口勝弘 他
12:15 滝山寺 運慶作「観音菩薩・梵天・帝釈天像」
14:30 大樹寺 岡田為恭筆「円融院天皇子日御遊図」「三条左大臣実房公茸狩之図」
15:35 岡崎市美術博物館 [イタリア・バロック絵画展] グイード・レーニ作「聖ヴェロニカ」
18:00 名古屋駅にて解散

 

*尚、7月5日にオプションとして、愛知文化センターアートライブラリー及び三重県立美術館を訪れました。


今回お世話になった諸先輩および地元OB
震災仏像調査−神戸市東灘区青木梶井家
調書 名称:木造阿弥陀如来立像(来迎像)
所蔵:神戸市東灘区青木 梶井家
作者:春日(足E銘)
材質:木(金泥塗)
時代:江戸時代
法量(p)
像 高         42.9
肘 張         13.0
髪際高         39.5
裾 張         11.5
面 長          5.3
足先開          5.5
頂ー顎          8.5
足E高(左)       2.9
面 幅          4.5
足E高(右)       2.9
面 奥          6.2
足E幅(左前)      0.7
耳 張          5.5
足E幅(左後)      0.7
耳 長          4.3
足E幅(右前)      0.7
胸 奥          7.2
足E幅(右後)      0.7
腹 奥          8.3
足E奥(左)       3.3
肩先最大張       10.8
足E奥(右)       3.3

形状:
 華麗な一尺半の阿弥陀如来立像である。肉髻相、白毫相を表す。螺髪は髪 際で30個、地髪部で五段、肉髻部で六段を刻出する。白毫は茶系ガラス質 の物を填める。肉髻珠は欠失している。髪際は、中央がわずかに下がり波状 になる。着色は群青と思われるが、現状は古色である。面相は半眼閉口で、 眼は黒目を朱で縁取る裏紙を張った玉眼とし、鼻孔、耳孔は塞がり、耳朶は 環状とし中央を貫く。口ひげを墨書する。三道を刻出し、胸のくびれ一条を 刻む。左手は軽く垂下し、外側に向かって第一・二指を捻じ、右腕は今は欠 失しているが、右臂を前に屈することから、同じく外側に向かって第一・二 指を捻じていたと思われ、いわゆる来迎の印相を示す。着衣は偏袒右肩で、 偏衫を右肩から右腕に懸けて着け、右腹部に大小二つの垂みをつくる。その 上から大衣をかけるが、右肩に一部を懸け、左肩に端を裏返して背面に向か って懸ける。胸前の大衣を大きく前に折り返す手法をとり、その下にあるべ き胸前の衣文をすかして彫る。その折り返しの縁を更に波状に折り返しを見 せて変化をつける。腹前にはU字の衣文を深めに四条刻出し、股に近づくに つれて角度を強め、最後のV字の垂みを刻んだ後は太股に沿って弧を描きな がらまっすぐに垂下させる。左右前膊に懸かる大衣と偏衫は大きく波状にう ねりながら垂下する。左肩から右腹にかけて僧祇支らしき衣文が大衣の縁と 平行して見える。足裾は、大衣の内側下、中央に偏衫の一部を表し、さらに その内に裳をつける。裳は正面で打ち合わせていると思われるが不明瞭であ る。足は足先を左右に少し開き、左足を少し踏み出す形で前に出す来迎の形 である。なお、現状は古色を呈するが、螺髪以外は濃い粉陀弥で覆われる。 また背面裾部分、垂下した大衣、偏衫と胴体部の間などに所々草文や三角を 組み合わせた「三つ鱗」の変形と思われる文様(籠目文か)の切金が残る。 右足E外側に、像前面を上に背面を下になる方向で、「春日作」の墨書銘が ある。
構造:
 木造寄木造。体幹部前後二材を金属製の鎹によって側部上下二カ所と最下 部を留め、その体幹材に両肩材を、肩部二カ所、腰部一カ所の計六カ所を両 針竹釘によって矧ぎつける。体幹部材は内刳を施す。左右腕にかかる大衣、 偏衫の外側は更に別材で刻出し寄せつける。頭部は耳後ろで割矧ぎし、三道 下で体幹部に差し込む差し首で、首後ろを金属製釘によって打ち留める。左 腕は別材を袖口に差し込むが、右前膊上半部は肩材からの刻出、下半部のみ 別木を矧いでいる。両足と足Eは、左右とも足先と足Eとを一材とし、それ ぞれ体幹部に差し込む。
保存:
 阪神大震災に罹災したので、体部と大衣との間に土砂が挟まる。肉髻珠損 失。右腕前膊も欠失している。右足先は震災持の圧力のためか@孔からずれ 取れかかっている。台座以下欠失。その他、背面衣襞下方に破損がある。
X線調査:
 ソフトX線による胎内部撮影を行った。胎内構造、木材の寄せ具合はこれ によった。面部は、玉眼構造において、ガラス質材を押さえる木材、さらに それを支える竹釘のはまり具合がある程度明瞭に写し出された。耳材が頭部 からの刻出か別材を寄せたのかは不明瞭であった。頭部材の体幹部への差し 具合もはっきりし、頭部部材が大きく体幹部部材から突き出るところから、 割り首ではなく差し首であることが判明した。内刳は上半身部は前後左右、 撮影されていたが、下半身部が明確でなく下限が不明である。形もU字型か V字型かも不明である。左右肩材と体幹材の寄せ具合も明瞭に写し出され、 金属製鎹、竹釘による寄せ具合もはっきりした。体幹部前後材は木目が不明 瞭のため、割矧ぎか寄せ木かははっきりしなかった。右前膊は上下切れ目が 確認でき、下半分の木を寄せていることが判明した。胎内納入品は認められ なかった。
所見:
 小品ながら均整の取れた来迎形阿弥陀如来立像である。来迎印を結び、左 足を差し出しながら迎えにくる姿は発願者の意図を実現しているものであろ う。この像を特徴づけているところは、大衣を胸前で大きく折り返して、さ らにその内側の衣文をもすかして見えるように表現しているところである。 衣文や衣襞にこのような装飾的で複雑な表現を行い、より現実味を像に持た せようと試みる表現は鎌倉時代以降に流行したところの所謂「宋風」表現で 扱われたやり方で、さらにこの像の比較的首が細くくびれがちなところも同 様である。これは、単なる偶像としての阿弥陀というよりは、より親しみや すさを感じさせる生身の阿弥陀を意図したものであろうか。また、腹から股 に掛けて刻まれた衣文は、下方に向かって均等にその曲線を強め、U字から、 きれいなV字に刻み、なおかつ単純な曲線だけではなく、Y字に分かれた松 葉状の衣文を所々配し、破綻なく処理するところは、鎌倉時代に立像阿弥陀 の頂点を極めた快慶やその弟子行快の三尺阿弥陀(安阿弥様)を彷彿させる。 足E銘には「春日作」とあり、春日なる仏師の作であることがわかる。仏像 を制作するに当たって春日大明神のご加護により成就できたといった伝説が 各地に残る。おそらくは南都の春日社に関係した仏師もしくはその周辺に住 んだ仏師であろうか。本像を南都の仏師「春日」の作と考えるのも興味深い が、本像の銘が、@春日本人の自署銘か、後の追銘か、A春日は実在するの か、伝説上の人物で個人名ではないのか、B春日と南都は関連があるのかな いのか、等明確でなく、由来や伝来がはっきりしない所から即断はできない。 いずれにしても、本像は熱心な信仰者によって発願され、技量の持ち主であ る仏師によってつくられた名品であることは疑いない。

過去の研究室の活動


神戸大学文学部美術史研究室 制作
arthist@kobe-u.ac.jp