『細川両家記』は16世紀前半の畿内の戦乱を描いた軍記物で、この時期の畿内の政治史を知るための重要史料です。

 細川京兆家が家督争いから分裂する永正元年(1504)以降、織田信長と三好三人衆が摂津中島で戦う永禄12年(1569)までを、年代記的に時代を追って記しています(年表参照)。

 途中、天文19年(1550)の記述の後に、「天文十九年庚戌卯月日、これより以後は老耄によって記さず候也。生嶋宗竹六十九歳の時書く」とあり、続いて「細川両家に成り始める由来の事、永正元甲子年より天文十九年庚戌まで記す分、およそ四十七年の間一巻にこれあり。その以後は老耄によってこれを記さざる処、この次を去り難き所望によって、又天文廿年辛亥以来の事、荒々書き置き候」とあって、ここで前半と後半に分かれます。さらに末尾に「元亀四年癸酉三月永日、春椛これを書く、長生九十二歳」とあり、この記述の年代を信用するならば、前半部は天文19年、後半部はその23年後の元亀4年(1573)に書かれたことになります。前半と後半を比較すると、後半の方が記述が簡略で、また前半が細川氏の内紛を描くのに対し、後半は三好氏と織田氏の対立が中心となります。さらに、作者の生島宗竹が92歳という高齢で後半部分を書いたとは考えがたく、これらから後半は別人の作とする見解もあります(森田恭二『戦国期歴代細川氏の研究』)。

 生島宗竹は、摂津国生島荘を本貫地とし、戦国期には三好氏の家臣となった生島氏の一族と考えられ、本書の記述は、あくまでこのような宗竹の立場から見たものであることに留意しておかなければなりませんが、記されている内容は比較的信憑性が高く、史料的価値は高いとされています。

 『細川両家記』は様々な題名で、複数の写本が伝存しています。このなかには『細川両家に成始以来聞見事記』という題名の写本もあり、これが当初の題名ではないかとされています。主な写本と、その所蔵先は以下のとおりです。
『細川両家聞見記』(国会図書館
『細川両家後之巻』(国会図書館
『二川分流記』(国会図書館加賀市立図書館聖藩文庫、慶応大学図書館、彰考館文庫
『細川両家に成始以来聞見事記』(内閣文庫
『正禄間記』(内閣文庫、尊経閣文庫、神宮文庫)
『三好記』(宮内庁書陵部)
『続太平記』(加賀市立図書館聖藩文庫)
『細川始末記』(加賀市立図書館聖藩文庫)
 この展示室では『細川両家記』の富松城が登場する部分の原文と訓読、解釈、さらに登場人物の解説や、関係地図を展示しています。
なお、ここでは江戸時代、塙保己一が諸本を集めて編纂した『群書類従』合戦部に収められている「細川両家記」を底本として用いています。


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